第44話 遭遇

こっそり様子を窺えば、伊月さんはもうこちらを見ていなかった。



私たちに気づいたわけじゃなかったみたい。



どうにも彼女たちが少し苦手で、もしもそれで済むのなら顔は合わせたくないというか、なんというか……。



まぁ、私のことを覚えてくださっているかも微妙だけど。



あれ、でも深見先輩までコソコソするなんて、ちょっと意外かも。フレンドリーに挨拶しそうなのに。とりあえず、お昼過ぎとは言えどもそこそこ混んでるし、変に目立たなければ見つかることもないよね。



「お待たせいたしました」



私たちの動揺なんて露知らず、感じの良さそうな笑みを浮かべる店員さんがいくつか料理が乗ってるカートと共に目の前で立ち止まった。



なんて素晴らしいタイミング!!

これで向こうからは完全に死角!!



「有機野菜バーガーをご注文のお客様?」

「ああ、彼女です」



どこか安堵したような先輩が私を手のひらで示して微笑む。



「では、ごゆっくりお過ごしください」



にこりと笑った店員さんがカートを押して動いた瞬間、私は(恐らく先輩も)凍りついた。


なぜなら。


いまだに入り口のところに立っていた豊条さんが、目を見開いてこちらを凝視していたからだ。


そんな彼女の後ろの伊月さんは私たちに気づくと小さく頭を下げた。


2人の隣にいるこれまた可愛らしい店員さんは困惑気味に彼らとこちらを見比べている。たぶん、案内したいのに豊条さんが動かないからだ。



「私、あちらの席がいいのですけれど」



しなやかな指は、まっすぐ私たちの隣の席に向けられていた。



「米子」

「名前で呼ばないでと言っているでしょう、伊月。ね、駄目かしら?」



溜め息を吐く伊月さんに見向きもせずに、店員さんに首を傾げてみせた豊条さん。



「も、申し訳ございません。あちらは本日のご予約席となっておりまして」



それはもう困った表情を浮かべて頭を下げた店員さんに、彼女は薄く笑いながらサイフを取り出す。ただし目は全く笑ってない。



「それなら、ご予約している方の倍の金額をお支払っ、」

「米子。意味が分かりませんし、小者の金持ちみたいな交渉はやめなさい」



とうとう伊月さんは豊条さんの細い肩を掴んで自身の背後に回し、店員さんに涼しげな瞳を向けた。



「予約は何時でしょうか?」

「あ、えーと、3時です」



壁に掛けられた時計で時刻を確認した伊月さんは「では」と口を開いた。



「30分だけ貸していただけませんか?あの隣の席に座っている方々、久々に会ったんです。まぁ、旧知の仲のようなものでして」



居心地悪そうに顔をしかめていた深見先輩は、肩を落として「よく回る口だな」と呟いた。



久々って、1週間前の幼稚園訪問ボランティアでも会った気がするけど……。



「30分でしたら」



すっかり伊月さんの容姿と丁寧な態度に当てられた店員さんは、おずおずと頷いた。



「ありがとうございます」

「流石は伊月!やる時はやる男だと思っていたわ!」



それはそれは嬉しそうな、彼女の幸せがこちらに届くくらいの笑顔。それを向けられた彼は、呆れたようにこめかみを揉む。



「姫さん、早く食っちまえ。さっさと退散しようや」

「え、あ、はい」



……これ、どうやって食べよう。



こんがり焼けたベーコンと水々しい野菜がたっぷり挟まったハンバーガーを見た私も、やっぱりこめかみを揉んだ。



「ごきげんよう、深見様!!……と、ジャージさん」



後半は低い声で嫌々付け足された。あからさまな格差だ。悲しくもならないくらいの。


ちなみに彼女は子ども縁日ボランティア以来、私のことを【ジャージさん】と呼ぶ。こんなに不名誉なあだ名、なかなか無い気がする。



輝く笑顔から威嚇という女優みたいな表情の変化を披露しながら、豊条さんが深見先輩の隣に座った。



「こんにちは」

「こ、こんにちは」



有機野菜バーガーの解体に勤しんでいた手を止めようとすれば、「作業を続けてください」と隣の椅子に腰掛けた伊月さんが軽く手を振る。



作業じゃなくて食事です!



「邪魔してすみません。お2人がそういう関係だとは知りませんでしたね」

「どういう関係です!?」



私と豊条さんが一緒に素っ頓狂な声を上げる。


そうしてる間に先輩はサンドイッチを既に二つ完食していた。



「いや、そっちもな」

「酷いですわ深見様!私は貴方一筋ですのに!私たちはボランティアの下見の帰りです」



やり返すように答えた先輩に豊条さんが詰め寄れば、彼は「す、すまん」と口元を引きつらせた。顔に【失敗した】と書いてある。



「食事の邪魔ですよ、米子」



メニューに目を落としたままの伊月さんに注意された豊条さんは「だって、仕方ないでしょう。久しぶりにお会いしたのよ!」と頬を膨らませる。



苦笑する先輩の心の中は、たぶん【だから1週間前にも会っただろう!】みたいな感じだと思う。



「で、ジャージさん。厚かましくも深見様とお2人でお食事だなんて、いい度胸していらっしゃるわね」

「す、すみません」



レタスを飲み込んで、思わず謝ってしまう。



なんだか全部私が悪いような気がしてきた。



「アイスカフェオレとアイスティーをお願いします」と豊条さんにメニューを見せることも確認を取ることもせずに注文した伊月さんに彼女は目もくれることなく、私を睨みつける。



伊月さんが、チラリと目を上げた。



「デートですか?」



や、やっぱり男女2人で出かけるのはデートなのかな。



豊条さんは一瞬くわっと鬼の形相をしてから、ぶんぶん首を横に振った。



「ありえません、ありえませんわ!凶暴女なら50000歩譲って考えられなくもないけれど、ジャージ娘とランデブーなんてありえません!」



ラ、ランデブー?というか、違うよね?凶暴女って鮎川先輩のことなんかじゃないよね?



深見先輩を横目で盗み見れば、彼はげんなりしているようで。なんとなく気まずくてすぐに俯く。



「別にそういう関係じゃねぇよ、俺たちは。なぁ、姫さん」

「えっ、あ、はい!そうですね」



残り3分の1まで苦労して減らしたハンバーガーをフォークで解体していた私は再び顔を上げ、慌てて頷いた。



「ま、どちらかが好意を持っていればデートが成立するっていうなら、歴としたデートかもしれないがな」

「げぇほっ!!」


パンが、喉にっ!!!



咳き込みながら水を呷ると、涼しい顔した深見先輩が注ぎ足してくれる。



彼の爆弾発言は豊条さんを放心させ、そればかりでなく伊月さんをも多少なりとも驚かせたようだ。彼まで目を丸くしていた。


それでも一足先に復活したのは、やっぱり伊月さん。私の方へ顔を向け、おやとわずかに眉を上げた。



「パンくずがついてますよ」



どこか楽しげに微笑んだ彼は、なんと、私の唇に指を寄せてパンくずを、え?取、いや唇に指が触れっ……!!?!?



私が真っ赤になって硬直したのと先輩が立ち上がったのは、ほとんど同時。



「出るぞ」

「え、先輩!?私まだ、」

「すまん」



状況が飲み込めない。



先輩に手首を掴まれ、引っ張り上げられる。すぐに解放はされたものの、促すように背中を軽く押されて歩き出す。



な、何も言わずに出ちゃうんですか!?



「ジャージさん」



ピタリと足が止まる。先輩も同様に立ち止まり、少しだけ困ったように息を吐く。



恐る恐る振り返れば豊条さんもゆっくりこちらを向き、今までの可愛らしい豊かな表情とは一変した笑みをうっすら浮かべた。



ぞわり。



なんだかその笑顔が妙に色っぽくて、どこか怖くて、【はい】という返事が掠れる。




「海で会うのが楽しみね」



海。


2週間後の、ボランティア。



「ゆっくり話せなくて悪かったな、豊条。じゃあな」



それだけ言って軽く手を上げてから歩き出した先輩に、慌ててついて行く。



後ろから「とんでもないですわっ、深見様!お顔を拝見できただけで私は……!」という黄色い声が聞こえてきて、さっきの表情は何だったのかという思いが一瞬過ぎった。




取りつく島もなくお会計をまとめて済ませてしまった先輩に意識を集中させすぎたお蔭で、私は頬を赤らめた豊条さんもどこか冷たい笑みを浮かべた伊月さんのことも見ることは叶わなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る