第45話 深見先輩という人
朱が交じり始めただけでまだまだ明るい空に、夏を感じる。駅前は人通りも多く、浴衣を着ている人も何人かいる。どこかでお祭りがあるのかも。
「最後まで送ってくぞ?姫さん」
「いえ、駅まで送っていただきましたし、家まではそんなに遠くないので大丈夫です。あの、今日はありがとうございました」
衝撃のランチタイムの後で、私たちは映画を2本も続けて観た。情報量で頭がパンクしそうだ。映画の正しい見方には反するかもしれないけど、名作をたくさん観ることができて、達成感がすごい。
「こちらこそ。来てくれてありがとう。お蔭で4本も観れた」
穏やかに頷く深見先輩。カバンの中に手を突っ込んでサイフを握り締めた私は、朗らかに笑う彼をおずおずと見上げた。
「あの、それで、お昼ご飯代を、」
実は、ずっとモヤモヤしてました。
「ああ、いらんと言ったろう?まだ食ってたところを無理矢理引っ張り出しちまったんだから、詫びみたいなもんだ」
「いや、でも、あと一口とかでしたし」
「それじゃ。【食いもんを粗末にするな】ってじいさんの言いつけ、破っちまった。反省はしてるが、内緒な?」
頬をかいた先輩が眉尻を下げて私を見るもんだから、つい少し笑って、頷いてしまった。
「よし、ちと少ないが口止め料ってことで」
え、あっ。結局ご馳走になるってこと!?でも、先輩はきっとお金は受け取ってくれないに違いない。
「……ごちそうさまでした」と頭を下げた後、お昼ご飯代くらい気になっていたことが再びふと頭をよぎる。
「あの、えーと、豊条さんたちとお話してたことなんですけど、」
歯切れが悪い私に、彼は「ああ」と思い出したように目を瞬いた。
「やっぱり嫌だったかい?悪かったなぁ、変なこと言って。どいつもこいつも口を開けば【デート】だなって面倒に思って、つい、な」
あ、あああ!そのことじゃなくて!!いえ、それも気になっていましたが!!ものすごく!
「嫌だなんて、とんでもないです!!そんなことなくてですね!あ、いえ、えーと、」
頭がこんがらがってきた。とにかく、誤解を解いて、それから、結論を。
「もしかして手首が痛かったか?すまん、そんなに力を入れたつもりはなかったんじゃが」
「それも違います!あの、でもなんだか、少しだけ、先輩らしくなかったというか、ああおこがましくて本当すみません!あの、豊条さんと伊月さんへの態度が、そのですね……」
「俺らしくないって?うーん、俺は普段お前さんの目にどう映ってるんじゃろうな」
苦笑いを浮かべる彼に、私は焦りながら指折り数え始める。冷や汗半端ない。
「や、あの、優しくてですね、かっこよくて、気配りがすごくて、落ち着いていて、大人で、それからエリザベ、あ、いえ、えーと、あ、アメジスト色の瞳と高身長とですね、黒いサラサラの髪に、」
あれ、なんだか外見の特徴の話になってきた!?
やばい中身の話に戻さないと!
近年稀に見る頭の回転を見せつつ四苦八苦している私の肩を先輩が「もういい、もういいぞ姫さん。十分じゃ」とぽんぽん叩いた。さっきとは少しばかり雰囲気の違う困った顔の彼が溜め息を吐く。
「……そうだなぁ、なんつーか、自分のことを嫌ってる奴への対応って難しいじゃろ?」
「え?」
「伊月の話じゃ。あいつ、俺のこと相当嫌いだからな」
え、えええ!?嘘!?あれで!?え、でも、もしそれが本当だとしたら、人間って怖い!!
先輩はクレープのキッチンカーで楽しそうにメニューを眺めるカップルに向けていた目を、チラリと私に戻した。
「だから当てつけで、あんなこと……」
あんなこと?眉をひそめた私に、先輩がはっとして首を横に振った。
「いや、なんでもない。とにかく、今日は楽しかった。ありがとうな」
そうだ、私もお礼を!
「あのっ、本当に楽しかったです!やっぱり好きな映画を好きな人と観れるのは嬉しくて」
私の話に耳を傾けていた先輩が目を見開いて固まった理由が、一瞬本気で分からなかった。
あっ。
ワタシノバカ!!!
即座に慌てて「ああっ、私の好きな映画を同じように好きな人って意味でして、申し訳ございません!気持ち悪がらないでください!本当に失礼しました!!」とまくしたてるように謝罪。
「あ、ああ。分かってるから落ち着け」
頭をかきながら気まずげに微笑む先輩に、もしここが公衆の面前じゃなければ華麗な土下座を決めていた。確実に。
「……なぁ、姫さん」
「はい」
手を下ろした彼は、私を見下ろしてほんの少しだけ心配そうに、うかがうように首を小さく傾けた。
「また誘われてくれるかい?」
お。おおおっ。
「あのっ、そのことなんですけど、」
言えっ、言うんだ私!!
いつまでも受け身じゃ駄目だ!
自分から歩み寄らなきゃ、人と仲良くなんてなれないんだから。
ぎゅっと拳を汗と一緒に握り締め、緊張がバレないようにぎこちない笑顔で先輩を見上げる。
「今度は私に、誘われていただけますか!」
深見先輩はまたもや目を見開いた後、返事の代わりににっこり笑った。
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