第43話 試練


「お決まりになりましたらお呼びください!」



にこにこと輝かしいスマイルの店員さんから「どうも」とメニューを受け取った先輩もまた笑顔。お姉さん、ちょっと顔が赤い。



奥の2人用の席で姿勢を正して硬直する私は、他のお客さんにはどう映るんだろう。



……恥ずかしすぎて考えたくもない。



「ほれ、姫さん」



店員さんから貰った1冊のメニューを開くことなく、なんでもないような表情で私に差し出してくれた先輩。



とりあえず、彼の目では私はわりと自然体に見えるみたいだ。よかった。もしかしたら、このガチガチが通常運転だと思われてるのかもしれないけど。



両手でメニューを受け取り、開いて縦方向に真ん中に置く。



わぁ、美味しそうなものがたくさん。



始めのページから綺麗なパスタやサンドイッチの写真に目移りしながらも、先輩は何が好きなんだろうと顔を上げる。



瞬間、私は再び背中に棒が入ってるみたいに背筋を正した。先輩と目が合ったからだ。



メニューじゃなくてこっちを見てたなんて、なんという不意打ち!いや、私から目を合わせたようなものだけども!



完全に固まった私の顔を少しばかり驚いたように見ていた彼は、やがてスミレ色の目を穏やかに細めた。



「そうか、そうじゃな」

「は、はい?何がでしょうか、」



先輩が納得したように頷いた理由が分かる筈もなく、恐る恐る尋ねる。でも彼はテーブルに肘をつくと、そのままメニューを覗き込んだ。



「なんでもねぇさ。ほら、選ぼうか」

「は、はい」



私も一緒になって身を乗り出すと、予想外の距離感に嫌な汗がぶわっと出る。



ち、近い!!!!



しかしながらここで引けば、また先輩に不快な思いをさせてしまう事態に陥りかねないので、ぐっと堪えて写真を見続ける。



あれ、むしろ近い方が嫌かな!?


というか、何を食べたらいい!?



サンドイッチは食べ方が汚くなっちゃいそうだし、グラタンを食べるには暑いし、ナポリタンは上手く巻けないかもしれないし、どうしたらいいの!?



そうだ、それに、向かい合って2人きりで食事なんて薫君相手でも数回しかないのに!!


緊張して喉を通らない気がする!



チラリと先輩が私を見上げる。



「決めたか?」

「はっ、あ、いえ、えっと」



決めてない!決めてないけど、待たせられないよね!?どうしよう、えーっと、何か決めちゃわないと!



私は咄嗟に目についた写真を指差した。




「こ、これにします!えーと、有機野菜バーガー!?」

「あー、これか。へぇ、美味そうじゃ」




って、よりによってなんでこれを選んじゃったんだろう!この大きいハンバーガーどうやって食べるの!?確実に口には入らないよ!解体してもいいのかな!!せ、先輩の前で醜態を晒すはめに……!



冷や汗ダラダラで内心頭を抱えてる私をよそに、先輩が「すみません」店員さんに声をかける。



「お決まりですか?」



い、今ならまだっ……、



「有機野菜バーガーとサンドイッチのセットお願いします」



あああなんてこと!!頼んでくださった!!



「では、少々お待ちください」



店員さんはにこりと笑うと、頭を下げて厨房へ入っていった。



……なんか無駄に疲れた気がする。

でも気を抜けない。



そわそわしながら意味もなく前髪を撫でつけていれば、回収されなかったメニューをパラパラめくっていた先輩が上目遣いで私を見上げた。




「気になるかい?」



……えーと、



「あの、前髪が、ですか?すみません」



食事の場で髪を触るなんてマナー違反だ。



パッと手を下ろして膝の上に乗せると、「違う違う。前髪は大丈夫だぞ」と首を振られた。



「稜汰のことじゃ」

「ぶふっ」

「……何かおかしかったか?」



ち、違っ、笑ったんじゃなくて!!!



手持ち無沙汰に含んだ水を噴き出しそうになったのをかろうじて堪えた私を、彼は少しだけ恨めしげな目で見た。咳き込みながら涙目で先輩を見上げると、紙ナプキンを渡される。すみません。



「いやぁ、映画には集中出来なかったみたいだからな」



ば、バレてた。



「あの、その、すみません……。ただ、お2人仲が良かったなぁってだけで、別に気になったとかでは」



それを世間一般的に【気になる】って言うんだよと心の中で自分自身にツッコミを入れる。



もちろん先輩も確実に同じことを思ったんだろうけど、彼は「そうか」と頷いただけだった。



沈黙。



伏せた目を上げることが出来ないまま、コップについた水滴がゆっくりと流れ落ちるのを眺める。



ああ、だんまりっていうのが1番嫌なのに!!



溜め息を飲み込み、テーブルについに到達したしずくを紙ナプキンで拭った。



「ありゃあ、付き合ってはいないと思うがな」

「えっ!!?」



思わず勢いよく顔を上げてしまって、失敗したと直感。頬杖をついた彼は、片眉を器用に吊り上げた。



「なんだい、姫さん。やっぱり気になってんじゃねぇか」



……か、返す言葉もございません。



肩を落としつつ、何で付き合ってないと考えるんですかと聞けないことも、そもそも聞きたいと思っているということも嫌になる。



「そう見えただけじゃ、俺にはな」



声に出せなかった質問に答えてくれるかのように、先輩が付け加えた。



わ、私にはとても良い雰囲気に見えたのですが……!?



はは、と乾いた笑いを漏らせば、綺麗な紫色が私を見据えた。



……これがコンタクトじゃないなんて、信じられない。




「妬けるなぁ、姫さん。多少強引だったが今日誘ったのは俺だぜ?俺はずっとお前さんのこと考えてたのに」




……ん?



幸か不幸か今度は噴き出す水も器官に入る水も口に含んではいなかった。代わりに金魚みたいに口をぱくぱく開閉する。ちなみに顔の色も、金魚だと思う。赤いやつね。



き、聞き違いじゃないよね。突発的に耳が遠くなったとかじゃなければ、今、先輩。え、え。



「せ、せんぱ」


「なーんてな」



……え?



これでもかと言うくらい目を丸くする私を彼が楽しげに見つめる。



「冗談じゃ冗談!なかなか真に迫ってたろう?いやぁ、姫さんが本気で顔色変えるもんだから面白くてな」



な。


なんてこと……!!



え、何、今の若い人ってこんな心臓に悪い冗談を日常的に言い合うものなの!?



「まぁ、一部は事実だが」



一部ってどこですか!!?



「気になるかい?」



先程と同じセリフでも、今度は意味が分かる。



しかし。



私が口を開きかけたのと先輩が店の入り口の方を見て目を見張ったのは、ほぼ同時の出来事だった。



「しっ!姫さん、こっち向け!」



えっ。


ぐきっ。



突如顎を掴まれたかと思えば左、というか壁側を向かされ「ぶ!?」と女子力の欠片もない声が出た。


く、首が。



「ふ、ふふふ深見先輩?」



笑ったわけじゃない。断じて。



先輩の手と壁を何度も交互に見やる。おまけに顔は動かせないから目だけを一生懸命キョロキョロさせながら。


はっとした先輩は「すまん」と慌てて手を離してくれた後、眉根を寄せた。



「今日はすごい偶然の連続じゃ」



静かにな、と長い人差し指を唇に添えた彼の紫色が複雑そうに向けられる先へと私も視線を移す。


……あ。



「2名様ですか?」

「ええ」



濡れ羽色の長い髪を優雅にまとめ上げた女性と、銀色のフレームの奥で切れ長の目をチラリとこちらに向けた男性。



私たちはバッと即座に俯く。



は、白蓮高校の、豊条さんと伊月さん!!!

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