第22話 お姫様からのお言葉

どうしてこう、間が悪いのか。



稜汰君は「おっ」と、入り口で仁王立ちしている彼に爽やかに手を振った。



「Ciao!真澄」

「チャオじゃないから。もう8時過ぎてるのに誰も入ってこなかったことに何の疑問も抱かなかったわけ?」



不機嫌そうに髪を白くて細い指で耳にかける真澄君は、今日も絶好調の美少女ぶりだ。前髪に昨日と一昨日はついていなかった小さな白い花のピンが咲いていて、よく似合う。



「保がワーワー騒いでるせいで、みんな怖がって廊下で様子見してたみたいだよ。みんなごめんねー。ほら、入れば」



真澄君は廊下に顔を出して「大丈夫だよ」と招くように手をひらひらさせた。



そ、そうだったの!?



チラリと時計を見れば針は8時10分を指そうとしていて、確かにこの時間に教室に4人しかいないのは少し妙だったかもしれないと今更ながら思う。


ぞろぞろ教室に入ってくる人たちは、ほとんどが気まずそうな表情を浮かべていた。



「何で俺なんだよ。別に勝手に入ってくればいいだろうが」



苛立たしげに舌打ちする最上く……いや、保君のご機嫌は誰が見ても悪い。



呆れたように彼を振り返った真澄君の形がいい唇が恐らくは「ば、か」と動いた。


そして不快感を顕にしながらも保君の口がへの字になっているのは、たぶん少しばかり傷ついたからだろうなと思う。



彼は怖い見た目に似合わず実は友達を欲しがっていることと、本当はちょっと繊細であることがさっきのやり取りからは窺えた。



あ、薫君も起きたみたいだ。寝起き特有のぼんやりした顔で突然騒がしくなった教室内を見回してる。彼の頭上にはクエスチョンマークがいくつか浮かんでそうだ。



「あけび」



呼ばれて振り向き、頬杖をついた稜汰君が「ほら」と指差す方向へ視線を移す。指の先には、にっこり笑顔を浮かべながら手を振る真澄君。可愛い。


手を、振る。



友達っぽい!



私にはあまり人に手を振られたり振ったりした経験が無いため、何だか緊張しながらおずおずと小さく手を挙げる。



私の予想ではこれにより真澄君は笑みを深めるか、そのまま席につく筈だった。


しかしながら、違ったようだ。私はマヌケにも挙手したまま凍りついた。



真澄君の穏やかに弧を描いていた唇は引き結ばれ、大きなきらきらしていた目がスッと細められたからである。


右隣で「呼んでるんじゃね?」と小首を傾げた稜汰君に、私は頷くしかない。



そうだ。



あれは手を振ったんじゃなくて手招きしてたんだ。すなわち、早く来いってことですね。了解いたしました。すぐ参ります。



「あけびちゃん。おはよ」

「おはよう……真澄君」



何度か人の机にぶつかって謝りながらも大慌てで真澄君のもとへ駆け寄った私は、満面の笑みで紡がれた彼の挨拶にびくびくしながら返答した。



「さっきは手を振ってくれてありがとね、あけびちゃん」



あはは、と渇いた笑いを漏らしてから「ごめんなさい」とうな垂れれば、真澄君は目を丸くする。



「何で謝るの?悪いことでもしたの?」



ごめんなさい、という言葉をゴクッと飲み込む。たぶん世間一般的に【白々しい】とは、今の彼の言動のことを言うんだと思う。



「怒ってる、よね?」



恐る恐る尋ねた私に真澄君は「ああ」と肩をすくめてから頷く。



「そうだね。でも別に手を振られたことに関しては怒ってないよ。怒る要素無いじゃん。むしろさ、」



ここで考えるように言葉を切った彼は、内緒話をする時のように口の横に手を当てて「耳貸して」と手招きした。



なんだろ。



何も考えずに1歩真澄君に近づいて彼の口元に耳を寄せた私は、向けられた言葉を聞いた瞬間即座に後退った。



「ちょっとだけ可愛いかったから、どうしようかと思っちゃった」



な、え、え、待って。

おかしいおかしいおかしい!!



ぶわっと顔が熱くなる。



そんな私を真澄君は満足そうな表情で眺めている。長いまつ毛をパチリと上下させて浮かべる彼の笑みには、きっと男子も女子も惚れ込んでしまうと思う。



見惚れるところだったけど、慌てて意識を引き戻す。危ないところだった。真澄君は腕を組んで、すっと窓の外へ目を向けた。



「でも可愛いのはお姫様だけで十分だよね。王子は別に魅力皆無でもいいんだよ。お姫様はどんなに周りから褒められたって王子しか見ないけど、その点においては王子は優柔不断っぽいからさぁ。心配だよ」



え、え、何?私に言ってるの?

というか王子ってやっぱり私のこと?



先程の真澄君の爆弾発言を引きずりつつ混乱している私に「つまりさ」と彼は腕組みしたままチラリと目を向けた。



「あけびちゃんが実はそこそこ可愛いっていう衝撃の事実は、僕だけが知っていればいいってことだよ」



目眩がした。



「あ、ああああの、それはどういう、あ、私なんだか具合が、」



しどろもどろになりながら2、3歩よろめいて再び後退する。真澄君は離れた距離をすぐに詰めてきた。



「確かに顔が赤いね。でも、まだ本題に入ってないんだよね。保健室行く?そこで話そうか」

「あ、治った。治りました真澄君。心配かけてごめんね」

「そ、ならよかった。そういえばさ」



ケロリとして頷いた様子から見て、たぶん真澄君も私が本当に体調不良になったとは考えていなかったようで。彼は手を後ろで組むと腰を折って覗き込むようにして私を見上げた。



「あの夜中の長文ラインは何?」

「えっ」



昨日帰り際に真澄君にスマホを攫われ、気づけばライン交換が済んでいた。「後でスタンプでも送ってね」とあっさり手元にスマホは戻ってきたものの。私から薫君以外の誰かにラインするだなんて初めてだから緊張しまくりで、なかなか送れなかったのだ。



夜の10時になる頃には、そもそもスタンプひとつで済ませるなんて失礼じゃないか?とかいうよくわからない思考回路になってしまい……。



季節の挨拶から自己紹介、迷惑をおかけするかもしれませんが今後ともよろしくお願いいたします、まで一生懸命打っては消しを繰り返して完成したのは深夜2時だった。夜中に失礼かなとも思ったけど、明日になってから送るのも違うだろうし(まあ、もう時間的には明日になってたけど)、通知音くらいじゃ目覚ましにはならないはずと、そのまま送信したのだった。



「起こしちゃった……?あと、やっぱり変だった?」

「起こされてないけど、そもそも起きて待ってた。あと、変すぎて笑っちゃった」

「ごめんなさい……え、起きてた?」



申し訳なさすぎる。深々頭を下げた私は、思わず顔を上げて真澄君をまっすぐ見つめた。彼は、ぱっと口を押さえて「違う!」と小さく叫んだ。



「たまたま起きたの!目が覚めただけ!てかあの内容なんなの!?馬鹿みたいに固すぎるし長すぎるし!読むの嫌になるレベルだよ!読むけどさぁ!」



今度は顔が赤くなってるのは真澄君だった。彼の勢いに負けた私は、もう一度「ごめんなさい」と謝った。



目に見えて落ち込んでいるであろう私に、真澄君は落ち着きを取り戻して「別に、いいよ」溜め息を吐いた。



「さっき鮎川先輩と会ったんだけど。伝言頼まれたんだ。【本日初ボランティア。放課後生徒玄関に集合しろ】だってさ」



ドキドキと心臓が早鐘を打ち始めた。


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