第21話 はじめの一歩?
「稜汰ぁ!間違った道教えてんじゃねぇよ!!」
勢いよく開けられた教室の扉と怒りが滲んだ大きな声に稜汰君は目を丸くして口を閉ざし、私はスマホを落としかけた。
え、今、【保】って言いかけなかった?怒鳴り声と被ったから自信は無いけど。
「……あ?こけしと2人か?」
眉根を寄せた最上君に、稜汰君が今だに睡眠体制をとっている薫君を無言で指差す。
いたのか、と稜汰君の指の先を目で追った最上君は、ハッとしたようにこちらに向き直った。
「はぐらかすんじゃねぇ!俺はお前のせいで全く知らねぇ奴に道聞くはめになったんだからな!」
ずかずか青筋を立てながら詰め寄ってきた最上君に「わざとじゃない」と困ったように稜汰君が笑う。
「はぐらかしてはいねぇよ、落ち着けって保。それにしては早かったな」
「……玄関が分からねぇから塀飛び越えたら運良く草刈りしてる奴がいたんだよ」
最上君、また塀を……。
苛立たしげに舌打ちを一つ漏らした最上君はそのまま後ろの席に座るのかと思いきや、私の目の前で立ち止まった。
え、なぜ。
彼のお腹を見ながら冷や汗を流す。
顔、上げなきゃ駄目だろうか。
「こけし」
私はこけしじゃありません、なんてこと絶対に言えやしない。瞬殺だ。
「は、はぁい」と自分でもよく意味が分からない決して英語の挨拶ではない返事をしながら彼の顔を見上げる。
最上君は「んだよ、その情けねぇツラ」と毒づいた。ごごごごめんなさい。
「やる」
最上君はポケットに入れていた拳をズイッと私の前に出す。
やるってまさかゲンコツ!!?
いらないいらないいらないです!!……ともなかなか言えないまま顔を青くしてピクリとも動かない私に彼は「早く手ェ出せよ」と地を這うような声を出した。
ひ、ひいいいっ!!!
顔が真っ青であろう私を見かねたのか、稜汰君が最上君に「保」と声を掛けたのと私が手を出したのはほぼ同時だった。
「お前は馬鹿か。ひっくり返せ」
「はい申し訳ございません!!」
口角を引きつらせた最上君に頭をペコペコ下げながら、差し出した手の甲を素早く下にして手のひらを上に向ける。彼の拳が私の手のひらの上で開かれたと思えば何かが落ちてきた。
最上君の手がポケットへと戻っていくのを確認してから、自分の手の上にあるものへと目を移す。
「……今日もいい子にしてたら、明日もやる」
ほんのりと頬を染めて目線を斜め下に固定しながら呟いた最上君は、私が口を開く前に足音を荒げて強引にイスを引くとドカリと座った。
黙ったまま、再び手のひらに視線を落とす。昨日も一昨日も彼に貰ったのど飴が二つ、私の手の上にあった。
「ぷっ」
お礼言わなきゃ、とのど飴を見ていると隣で稜汰君が吹き出した。
「何するかと思えば!はらはらさせやがって!あけびも目に見えて怯えてるし、お前ら何なの!?面白すぎ!」
ひーひーお腹を押さえる稜汰君の目尻には薄っすら涙が浮かんでいて。
いくらなんでも、笑いすぎなのでは?
私が口を開く前に身を乗り出した最上君が、稜汰君のネクタイを引っ張って引き寄せた。
「もう十分笑ったよなぁ。そろそろ落ち着こうぜ?」
「お、おう、そうだな。でもちょっと待って。ツボっちゃって、ぶふっ」
一応両手を軽く挙げた稜汰君だったけど、すぐにまた顔を手で覆ってしまった。できれば、王子様みたいな見た目の彼の【ぶふっ】なんて笑い声はあまり聞きたくなかった。
「3秒以内にそのツラやめねぇとブン殴る」
「Si!やめるやめる!」
参ったな、と呟いた稜汰君がネクタイを掴む最上君の手を解きながら肩をすくめた。
「いやぁ、俺はただ、保があけびに惚れちゃったのかと思ってさ」
稜汰君の爆弾発言に「はぁっ!?」と素っ頓狂な声を上げたのは私だけで、最上君は心底呆れたように溜め息を吐いた。
「寝言は寝て言え。まだ寝てんのか?」
「殴られないってことは、俺の気のせいだったみてぇだな」
震えたのは私だけで、最上君はあまり怒っていないようだった。よかった。ご機嫌がいいうちにお礼を言わなきゃと私は最上君を振り返った。ちなみにぐずぐずしてるとタイミングと度胸を失うので、素早く。
ちょっと勢いをつけすぎたせいで最上君は少しだけ身を引いた。しまった大失敗。
様子を窺うような彼に、駄目だ今日から爽やかに振り返る練習もしなければと決意しながら笑顔を向ける。
ああどうしよう、笑顔を意識しようすると顔が引きつるよ……!
「最上君、飴、ありがとう」
やっぱり何か攻撃でもされるのではと警戒していたのだろうか、口をポカンと開けた最上君に拍子抜けしたように「……それだけ?」と尋ねられた。ご期待に沿えなくて大変申し訳ないのですが、これだけです。
「大切に食べるね」
半ば誤魔化すようにそう付け加えて微笑むと、彼はなぜか一瞬だけ下がった眉をぎゅっと吊り上げて俯き、掠れた声で呟いた。
「虫歯になるから1日二つまでしかやらねぇからな」
稜汰君が「もう無理」と再び吹き出した。
「何がおかしいんだよ」
「保、お前俺を笑い死させる気か?」
「も、最上君。稜汰君は悪気があるわけじゃないから、」
最上君が稜汰君に噛み付くように唸るので、ついに私も震えながら進言した。
「あ!?」と今度は私に顔を向けた最上君に即座に「と、思いたいです。あくまで私の希望的観測です。すみませんでした」と一息で付け足した。最上君は嫌そうに顔を歪める。
「お前今何つった?」
えっ。何って色々言ったけど、どれだろう!?
謝罪かな?謝罪を繰り返せってことなのかな?
「すみません、って」
謝ることで彼の機嫌が回復するなら、いくらでも謝る。土下座とかわりと得意だし。土下座って、世界を救うと思う。
最上君は苛立たしげに舌打ちをして唸った。
「そこじゃねぇ。何で稜汰を名前で呼んでんだよ」
えっ。なぜかご立腹である最上君の発言に私も稜汰君も見事に硬直した。
「知らねぇうちにずいぶんと親しくなったみてぇだな」
……えーっと、どういうことでしょうか。
確かに苗字よりは名前で呼んだ方が親密度は高くなるけども、私と稜汰の仲の良さは最上君には関係無いことだし、きっと興味も無い筈だ。
もしも最上君がヤキモチをやいてるなら。考えられる可能性は最上君が私を好きだということか、最上君が自身の大切な幼馴染である稜汰君に私みたいな地味なビビリ女が近づくのは許せないと思っているということ。
でも前者は絶対ありえない。天と地がひっくり返ってもありえない。さっきの様子から見ても、断言できる。薫君の愛想がよくなる位ありえない。命をかけてもいい。
となれば、答えはおのずと出てくる。
土下座だ。土下座するしかない。ここで最終兵器の土下座を出さずしていつ出せばいいというのか。
というか、初めて会った時に私がうっかり名前呼んじゃって、最上君怒ったよね!!?
そんなことを素早く回転する頭で思考しつつ最上君の様子を注意深く観察しながら足を若干動かす。さぁ、立とう。
「俺がこいつに負けてるみたいだろうがっ!」
……え?
私は目を丸くして再び固まる。最上君にビシリと指を差された稜汰君は「ん?」と首を捻った。稜汰君に敵意を剥き出しにして鋭い目を向ける最上君。
「調子に乗んなよ稜汰。俺だって本気出せばトモダチの1人や2人一瞬だかんな」
不思議そうに「んん?」と稜汰君が顎に手を当てる。
「あ、瞬殺ってこと?」
「違う!!俺だってすぐダチぐらいつくれるって言ってんだボケナス!」
ちょ、怖すぎる。
「いいか、こけし」
突然最上君は今まで稜汰君に向けていた刺すような目を私に向けてきた。
「俺のことも名前で呼べ。仲良しようぜ?ってオイ、いちいちビクビクすんじゃねぇよ。マジで苛々すんだよ」
やっぱり彼も私同様、友達が欲しいんだってところまでは理解したけど、待って絶対仲良くできない!!
「あー、つまり保は俺とコミュニケーション能力を張り合いたいんだな?」
「うるせぇ!」
「いやぁ、保も可愛いとこあるんだな。ま、知ってたけど」
楽しげに(本当に楽しんでいると言えそうなのはあくまで稜汰君だけだけど)言葉を交わす2人を見つめながら、ほんの少し高鳴る胸に手を当てる。
……保君、か。
真澄君と稜汰君に名前呼びを試せても、最上君には試せなかった理由は単に【彼が怖いから】ではない。
【たもつ君】と名前が一緒で、なんだか抵抗があるからだ。
最上君はたもつ君ではないのに、やっぱり呼び方を一緒にすると意識してしまい、緊張する。
あの優しい彼を、どうしても重ねてしまう。
最上君がたもつ君と被るのが嫌だとか、最上君は優しくないとかいう意味じゃない。
上手く表現できないけど、えーと、そう、複雑ってこと。
でも、このまま引きずっていては駄目なのかもしれない。忘れたくても時間の流れのせいでどうしても薄らいでいく、たもつ君の笑顔。
忘れるんじゃなくて、思い出として大切にしていく努力をしていかなければならないのかもしれない。
よし。
「保く、」
「いい加減にしてよ!」
え、えええ……。
深呼吸していつもよりは力強く私の口から生まれる筈だった名前は、突如として開いた扉の音と教室に入ってきた人物の声によって遮られた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます