第9話 先行き不安な座席

勇気を振り絞った私の問いかけは見事に先生の一声と被り、無かったことになった。鈴原君がチラリとこちらを見てくれた気はしなくもないけど、彼の視線もすでに先生へ。



肩を落とす私の後ろで薫君が「タイミングぴったりだな」と呟いた。力無く振り返れば、彼が見事に無表情だったので私は黙って前へ目を戻す。


先生は(先生に罪は全くない)、にっこりと笑って黒板に貼ってある座席表を手の甲で軽く叩いた。



「座席表通りに座ってくれよ。男女混合で出席番号順だからな」



座席かぁ……私の苗字は姫後だし、薫君の苗字は冬堂。近くの席になれるかは微妙だなぁ。



はっ!!だ、駄目だ!今からこんなに弱気になってたら友達なんてできない!薫君の近くじゃなくても頑張らないと!



間違いなく下がってる眉をきりりと上げて薫君のブレザーの袖を軽く引っ張る。



ん、と首を傾げて見下ろしてくる薫君と目を合わせて私は頷いた。



「頑張る。まずは席を見てくるよ!」



意気込んで、足を前に踏み出そうとした次の瞬間。



「何を頑張んだよ。喜べこけし。お前の席はここだぜ」



……な、なんだって。



ずいぶんと油を差してない機械のようにぎこちなくゆっくりと振り返れば、さっきの席に座って頬杖をついている最上君が「こ・こ」と顎先で示した。彼の、前の席を。


顔を強張らせた私を最上君が肩をすくめて見上げる。



「なぁに硬直してんだ。ほれ、ドーゾ」



ガタン。



机の下から伸びた長い足で器用に、若干雑に前の席のイスを引く。


え、えっと。



チラリと黒板に目を向けた私に、「なぁに、俺のこと信用出来ねぇわけ?つーか不満でもあんの?」と不機嫌そうな声が突き刺さった。



「とっ、とんでもないです、失礼します」



そそくさとイスに腰を下ろした私の背後で最上君が満足げに鼻で笑うのが聞こえた。あれ、目頭が熱い。



「あーあ、保。ビビられてんじゃん。止めてよね、僕の王子泣かすの」



振り返れば、猫みたいな目を楽しそうに細めて笑う鈴原君が。舌打ちを漏らした最上君が、シッシッと追い払うように手を動かした。



「っせぇな。姫はお呼びじゃねぇよ」

「お前の姫じゃないから」



心無しか周りの人たちの顔色が悪い。でも私の顔が1番青い自信はある。



「おーい、ケンカするなよー?」



苦笑いを浮かべながら口を開いた先生に目を向けた最上君は、「なぁ、センセ」と剣呑に唸った。



「立花も2組だろ。あいつサボりか?」



最上君の問いを受けて、黒縁メガネを中指でクイッと上げた先生は溜め息を吐いて出席簿をめくる。



「それがな、さっき職員室に本人から欠席の連絡が入ったんだ。理由は、【可愛い人との先約があるから】だそうだ。深く尋ねる前に切られてな……」



すでに疲れたような表情を浮かべる先生。


も、猛者だ。いらない勇気を持ってる人だ。というか、そんな意味の分からない理由での欠席は認められるの?



「……稜汰の野郎、裏切りやがった」



ひいっ。



ボソリと呟いた最上君の声の低さに、私の寿命はたぶん半年程縮まったと思われる。



運が無いとしか言いようがない。私みたいな友達0の初心者に、最上君レベルは明らかにおかしい。スポーツ未経験者をオリンピックに出すようなものだ。



うっすら目に張り始めた膜が決壊しないように上でも向こうかと顔を上げた瞬間、前の席に座ろうとイスを引いた人とバッチリ目が合った。彼女が軽く手を振る。



「私、鉢引。よろしくー」

「えっ、あ、あの!姫後です、じゃなくて、だよ。はい」



あわあわ気持ち悪いくらい慌てふためく私に若干引きつった笑顔を浮かべた鉢引さんは、軽く頭を下げて座った。



……心の準備が、出来てなかったんです。



ああ、もう!せっかく薫君に付き合ってもらって挨拶の練習したのに!手を振るなんて高等技術、予想外だった!


右隣は入学式にも関わらずお休みらしく、もう私はまだ見ぬその人に希望を託すしかなくなってしまった。


男子になんて話しかけられないよ。それに、私が欲しいのは女の子の友達。頼みの綱の鉢引さんには引かれてるけど。



「こけし」

「ひっ」



軽くイスの足を蹴られたせいで思わず飛び上がる。ぎこちなく振り返れば私はよっぽど酷い顔をしていたんだろう、最上君がバツが悪そうに眉根を寄せた。



「真澄と知り合いなのかよ」

「……保育園が一緒でした。だいたい皆そのまま近くの小学校に入学したんですけど、鈴原君はちょっと遠くから通ってたみたいで小学校と中学校は別々でした」



まさか同じ高校になるなんて。



「あー、へぇ。俺は真澄とは小中一緒だ。会った時にはすでに女装癖がついててよ。お前は覚えてねぇみたいだけど、原因はお前にあるかもな」

「じ、女装癖って……というか私!?まさか、ありえません!」



ブンブン首と手を必死に横に振ると、「ま、どうでもいいけどな」と呟いた彼はプイと顔を逸らした。


会話だけで、この疲労感はいかがなものか。前に向き直ると、二つ離れた列の先頭から私を睨みつける鈴原君と目が合う。息を飲めば、彼は勢いよく前に向き直ってしまった。



ま、まさか聞かれてた!?

ご機嫌を損ねた!?



「入学式だ。移動するぞー」という先生の指示に、私は内心ハラハラしながら立ち上がった。



緊張していた私は移動中に上級生にぶつかって助け起こしていただいたり、入学式では名前を呼ばれて返事をする時に声がひっくり返るという、簡潔に言えば、まぁ、あれだ、醜態を晒した。



ただ、それよりも悲劇的なことは、すでにクラスの人たちと距離を感じることだ。



私が最上君と話していると(正確に言うと相槌を打ってるだけだけど)、引いたような視線を感じるのだ。


入学早々これはマズイので、私は明日からの戦いという名の学校生活に備えて決意を固めるのだった。



……まさか後々もっと大変な目に合うなんて、この時は私を含め誰も予想だにしていなかったに違いない。

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