20.【幕間・イヴ】真の愛、頂戴します

 その後も、私はまるで夢心地でした。馬車の中では至近距離でリリスと共にいられて、指先を絡めて触れながら言葉を交わします。


 着いたカフェではリリスが「——それで、チャールズのことなのだけれどね」と話を切り出したのですが、丁度注文したタルトが届いてその先は聞けず終いでした。


 ただ、彼女の言いたいことは何となく察せましたので、食べ終わったら聞いてみようと、そう思っていたのです。


 でも、……あ、あの、あーん、なんて。味が分かるような分からないような感覚に陥ってしまいました。更にあんな、私に向けて口を開ける姿をお見せになって。てっきり夢の中にいるものかと。


 そんなご褒美を乗り越えて、無事に帰路へ着いた時。部屋の前で分かれる前に、リリスへあのテディベアをお渡しすることが出来ました。


 ただ、その後のリリスの言葉に私はまた顔が真っ赤になってしまいます。


「ありがとう、イヴ。きっと大切にするわ。そして……共にシーツを乱す日も、近いわよ」


 シーツを、共に……乱す? 頭の中でそれらが上手く繋がらず、思考が回りませんでした。その隙にリリスは寮室に入ってしまって、私は一人廊下で顔を真っ赤にすることしか出来なかったのです。


 それからは、こっそり触れ合って、言葉を交わす日々が続きました。やがて私に向けられる他の子息子女からの視線もヘイグ侯爵家ご子息から言い寄られて困っている令嬢、という同情的なものにもなったようです。


 そんな中、リリスとヘイグ侯爵家ご子息の婚約が解消ではなく、リリス側から破棄されたとの噂が社交界を一気に駆け巡りました。


 私はそのことに心の底から喜びました。リリスが、誰のものでもなくなったのです。はしたなくも、そして浅ましくも、私はそれが嬉しくて堪らない。


 ですがそれを喜んでしまった罰でしょうか、普段は落ち着き払っている侍女が少々慌てながら私に一つの情報を届けて来ました。それは、リリスについて。


 彼女の乗った馬車が、王都の街中でヘイグ侯爵家の馬車に衝突される事故があったのだそうです。その報せを聞いて、全身から血の気が引きました。嘘であって欲しい、リリスは無事でしょうか。


 そればかりが頭の中を巡ります。ああ、何故そんなことになったのですか。ヘイグ侯爵家の総意として? いえ、学んだ限りではヘイグ侯爵はそのような陰湿なことを好まれない女傑。ならば、ご子息の独断?


 その日はただ震えながらリリスの無事を願うことしか出来ませんでした。彼女に怪我はないという続報が届いても、私の不安は拭えなくて、侍女が用意してくれたホットミルクを泣きながら飲んでようやく眠れたのです。


 そして翌朝のこと、侍女からリリスが帰寮しエレベーターに乗り込んだとの報せを聞いて私は廊下に飛び出しました。そしてそのまま、リリスの無事を確認せんと抱き着いたのです。


「リリス、リリス……! ああ、良かった、怪我はありませんか!? あなたに後遺症でも、いえ、擦り傷一つでもあれば、わた、私は……!」


 全身の震えが止まらず、私はただリリスの胸を涙で濡らしながらその体を抱き締めることしか出来ませんでした。そんな私を彼女は優しく宥めてくれたんです。


 それからリリスが先導する形で彼女の寮室に迎え入れて貰い、いつもの椅子ではなく寝具に腰を下ろしました。しかし、ベッドに座ってから暫くして立ち上がろうとする彼女に私は行かないで、と縋ってしまいます。


 それを宥められて、あの方の姿を視線で追っていると、戻られた時その手には小さな箱がありました。そして私の手に握らせたリリスは、美しく微笑むのです。


「イヴ。あなたへの贈り物。どうしてもあなたに渡したくて、この時を楽しみにしていたものなの。……ね、開けてみて」


 私は彼女の声に操られるように、その箱の蓋を開けました。呆気なく開いたその中には、アウイナイトとモルガナイトが薔薇の形に配置されている、美しいネックレスが収められていたのです。


 それを落とさないように、ただ見つめるのが精一杯な私は言葉を発しようにも唇をふるわせることしか出来なくて。満足にお礼も言えないまま、そのネックレスはリリスの手に乗りました。


 そうして彼女は、正面から抱き着くような形で私の首の裏でネックレスの留め具をきちんと閉め、目を細めるのです。


「似合うわ。……イヴ。あなたのことを愛しています。あの日、入学式の前に万年筆を落としたあなたの背を見送った時から、きっと惹かれていたの。でも、婚約者がいるからと想いへ蓋をして来たわ」


 私も。私も、リリスを愛しています。他の誰でもない、あなただけを、ずっと。


「わたくしは、あなたが欲しい。だからこそ全ての障害を取り除き、両親からも許可を得ました。あなたを、イヴを、わたくしの伴侶として生涯を共にするための許可を。ねえ、イヴ」


 リリス。私の、私だけのリリス。ああ、あなたは本当に心から美しい方です。


 その青い瞳からこぼれ落ちる涙を、今すぐ拭いたいのに。私の体はまだ動けなくて。


「——あいしております。わたくしの、伴侶となってくれるかしら」

「……っ、はい! はい、リリス……! ずっとずっと、万年筆を拾って貰ったあの日から、あなたを想わない日はありませんでした。私の心はただ一人、あなただけのもの。リリスだけがその手に握るものなのです」

「イヴ」

「リリス。あいしています。あなたを——あなただけを、私は生涯愛し続けます。両親の説得も致します、あなたがしてくれたように、私もリリスと共に歩むためにやれることは全てやります。ほんとうに……うれしい……っ」


 二人で涙を零しながら、それでも私たちは見つめ合います。だって、喜びの中で目を逸らすなんて出来るわけがないのですから。


 ゆっくり、唇が重なる。リリスの熱が、私の涙で濡れた唇に触れて行きます。それは本当に触れるだけの、あたたかな口付け。


 それから両腕をリリスの背に回して、彼女に押し倒されるままベッドへ身を預けました。ああ、リリス、リリス。私のリリス。


 揃って唇を開いて、恐る恐る伸ばした舌の先を触れ合わせます。室内の空気が邪魔をするように口腔に潜り込むので、それを許すまいと膝を割られながらリリスとぴったり体も唇も合わせて舌を絡めました。


「んぅ、はぁ……っ」


 甘えた声が出てしまうことが恥ずかしい。でも、それ以上に彼女と熱を交わせることが嬉しくて、私たちは初めての口付けに溺れる他ありません。


 ああ、リリス。ようやく手に入れた、私のリリス。


 ヘイグ侯爵家ご子息、あなたの心には真の愛などなかったのです。リリスにも、私にも。


 ですから、ねえ。私が。リリスという存在を、愛すべき、そしてこの身を最も愛して欲しい方を頂きましょう。


 ——真の愛、頂戴します。

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真の愛、頂戴します 猫餅 @mothi

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