19.【幕間・イヴ】愛しい乙女

 自己紹介は、散々でした。皆さんに見下されていることは気づいていましたが、ああもあからさまにされると悲しくなるものですね。


 でも、そんな私を助けてくださったのはリリスさまでした。皆を窘めるのではなく、ただ一言だけで全てを治められた手腕は、本当に見事だったんです。


 その後は恙無く自己紹介も終わり、放課後となりました。リリスさまにお誘いを頂いて、教科書を詰めた鞄を手に意気揚々と教室を出ようとした時です。その方が、私たちの前に立ち塞がったのは。


 ヘイグ侯爵家ご子息、その方がリリスさまに酷いことをお言いになったのに、私はその言葉に対する悔しさで何も言えずにいました。


 でも、それもまたリリスさまは颯爽と交わしてしまったんです。私はヘイグ侯爵家ご子息から自己紹介を受けてないので、床を見つめるしかなかったのですけどね。


 リリスさまは本当に強く、美しい方です。淑女の手本として伯爵家で何度も話題に出された理由もよく分かります。私もまた、この方のようになりたい。


 そう思いながら、女子寮まで共に向かいます。私もリリスさまも寮室は六階で、それも隣室なのはとても嬉しかったですね。そしてその日から、私たちはほとんど毎日放課後にお茶会をするようになりました。


「いらっしゃい、イヴ。さあ、座って」

「お招きありがとうございます、リリスさま。失礼致します」


 一言一言が甘やかな音を纏っていて、まるで蜂蜜に溺れているような錯角に襲われてしまいます。……リリスさまには、ヘイグ侯爵家のご子息という婚約者がいらっしゃるのだから、これは横恋慕なのでしょう。


 この国では忌避されるそれも、周囲へ知られなければ良いのです。そして、私はリリスさまに想いを告げてしまいました。出会ってほんの少ししか経っていないのに、こんなに惹かれるなど可笑しなことでしょうか。


 それでも、リリスさまのお傍にいたい。生涯を共にしたいと胸の中で願ってしまうのです。それが叶わぬことと分かっていても、どうかこの一時だけは夢のなかにいたいから。


 そうして過ぎて行く日々は、少し苦しくて、でも甘美なものでした。毎日のお茶会でのみならず、教室でも指先を触れ合わせて、絡めて、リリスさまの体温を感じることが出来る。


 これほどの喜びが他にあるものかと、私はずっと幸福の最中にいたのです。でも、その罰が当たったのでしょうか。


「僕はチャールズ・ヘイグ。きみの名を聞いても?」

「……、イヴ・ネイサンと申します。どうぞ、ネイサンとお呼びください」

「はは、そんなにかしこまらないで。僕のことはチャールズで良いよ」

「とんでもないことです」


 ヘイグ侯爵家のご子息が、私に声をかけて来たのです。それも、リリスさまの前で。一体何を考えているのか、私には分かりませんでした。


 だって、婚約者の前で他の女に名を呼ぶことを求めるなんて、それも話したことのない私にです。可笑しいでしょう。


 顰めそうになった眉を何とか通常の位置に保ちながら、遠回しに拒絶をします。私、この方のことは好きになれません。婚約者を持ちながら、堂々と好意を見せるのはいかがなものでしょうか。


 そういったことは隠さねば、この国では強い非難をされるのです。それが分からぬわけでもないでしょうに、一体どういうことなのでしょうか。


 その後も「イヴ嬢、彼女の言葉は気にしないでくれ。気楽に話してくれて構わないよ」などと私に向かって仰るのです。何が目的なのか分からず、恐ろしくさえあります。


「——とんでもございません、ヘイグさま。あなたさまはリリスさまの婚約者、周囲からあらぬ思いを抱かれないように、どうぞ、ネイサンと」


 そうお返しをしまして、私はどうしても我慢出来ない内心の荒れを指先に——リリスさまにお伝え致します。ああ、早く二人きりになりたい。あなたの声だけで私を満たして欲しくてたまりません。


 その日を何とか乗り切って、お茶会が終わった後の部屋で私は一人溜息を吐きました。


「はあ……、リリスさまという婚約者がいらっしゃるのに、どういう神経をしていらっしゃるのかしら」


 ぽつりとこぼした言葉に、侍女たちは反応しません。それは彼女たちが冷たいからではなく、聞いておりませんよ、というアピールのためです。他貴族家子息の悪口ですからね、是非そうしてください。


 ですが、嫌なことばかりではありません。何とリリスさまに街歩きへお誘い頂いたのです。街歩きなら私にお任せくださいと引き受けて、入念に準備をしました。


 護衛の者と何度も話し合いを重ねて、最も安全なルート、時間帯を探ります。リリスさまに傷跡一つ残すことは許されないのですから、当たり前のことです。


 そして街歩き当日、リリスさまはお茶会の時に纏われるワンピースともまた違う、街歩き用の服装でいらっしゃいました。ああ、美しくも可愛らしい……。


 そして、何とリリスさま——いえ、リリスに敬称は要らないと名だけを呼ぶ許しを頂いたのです。こんなに幸せなことがあって良いのでしょうか。


 そうした感動に浸るのもそこそこに、馬車に乗り込んで学園から王都の街へと向かいました。


 しかしその道中、私はくったりと身を馬車の壁に預けることになりました。あんな……あんな、睦言を、二人きりの場所で囁かれるなんて、思いもしませんでした!


「リリスぅ……」


 なんて、そんな甘ったれた声を出してしまったのは不覚です。でも、仕方がないと思います。あの時のリリスはこの世の何よりも淫らで美しかったのだから。


 はあ……気を取り直して、まずは雑貨店から。あら……ふふ、リリスの視線を見逃すなんて致しません。薄いピンク色の毛をしたテディベアをご覧になってました、


 でも手に取らないのは——リリスに周囲が抱くイメージとは異なるからでしょうか?勿体ない、きっとあのテディベアを抱くリリスはこの世の何よりも可愛らしいはずです。


 そんなことを思いつつ、リリスと店内の品物を眺めて行きます。そして、彼女は青と薄ピンクの薔薇が並んだ髪飾りを二つ購入しました。


 そのうちの一つを、私の髪に着けてくれて。


 ああ、家宝です。絶対家宝にします。リリスとお揃いの髪飾り、嬉しくて嬉しくて堪りません。

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