13.婚約者からの呼び出し

 家族団欒と朝食を終えたリリスは、学園へ戻ることを惜しむ両親に別れを告げて寮へと馬車を走らせた。


 学園の門を潜って女子寮に戻り、エレベーターへ侍女と共に乗り込む。朝の時間帯かつ休日であるから他に誰の姿もなく、リリスは人とすれ違うことなく寮の自室へと戻った。


「おかえりなさいませ、お嬢様」


 出迎えた侍女がリリスに一通の手紙を差し出した。そこに記されていた名は婚約者であるチャールズ、今まで手紙なぞ寄越したことはないのに、と内心で首を傾げつつもそれを受け取り、椅子に座って机の上で封を切る。


 ペーパーナイフで封筒の上部を綺麗に切り、中から取り出した手紙を広げてリリスは中身へと目を通して行く。そこに書かれていたのは、突然の呼び出し。


 それも数日後でもなく今日話がしたいと、昨日チャールズの執事が手紙と共に伝言を持って来たのだと侍女は言った。万が一手紙を開かなかった時のためだろう。


「今更何の御用かしら。ふふ、何をしようと最早婚約破棄は決まったも同然ですのに……ご実家から何かお話があったのかしら?」


 男のプライドとして、リリスから婚約を破棄されるのが認められないということだろうか、そう思いながらも了承の旨と校舎傍にある生徒なら誰でも利用出来る個室でと場所と時間の指定をした返信を綴って侍女へと預けた。


 女子寮にチャールズを入れることも、リリスが男子寮に入ることも出来ないので、そういった場所を利用する以外ないのだ。そしてすぐに身支度を整え、学園の事務員に私用室の使用許可を求めるために校舎へ出向く。


「ええ、分かりました。では、十三時から十六時まで。他に予約はないので、ゆっくりどうぞ」

「ありがとう存じます。それでは、また後ほどよろしくお願い致しますね」


 使用者記録名簿に名前と時間を書いたリリスに、事務員の女性は微笑みながら私用室の使用許可を出してくれた。これで十三時になれば私用室の鍵が開くので、チャールズに指定した十三時半からの話し合いに余裕を持って行くことが出来る。


 寮の部屋を出る際に何かしら返答があれば、十二時までは図書館にいて、十二時以降は寮に戻るから伝えてくれとリリスから侍女に言い渡してあるので伝言があっても大丈夫だろう。


 そうして図書館で静かに本を読み過ごしていると、音もなく現れた侍女がリリスの耳元で囁きをする。


「例の件ですが、先方より了承が届きました。お嬢様の指定の時間、指定の場所でよろしいとのことです」

「そう、ご苦労。では、十三時になったら私用室を整えて頂戴」

「かしこまりました」


 しんとした図書館の中で小声で交わした会話はそこで終わる。これで後は十三時二十分頃にでも私用室に向かえば良い。リリスの侍女は有能であるので、十分もあれば整えることは出来るが、あの婚約のために二十分も待ちたくはない、というのが彼女の心境だ。


 それから時間は過ぎ、十三時二十分にリリスは私用室へと入る。中は侍女たちにより整えられ、紅茶とお茶請けの用意も出来ていた。


 ソファへ先に座り、紅茶を飲むリリス。そうして待つこと十分後、丁度十三時半にチャールズは執事を伴って現れる。


「リリス」

「チャールズさま。どうぞ、おかけください」


 扉が開かれる前に立ち上がっていたリリスが言葉少なく着席を求めると、チャールズもそれに頷いて対面に置かれているソファに腰を下ろす。


 二人の侍女と執事はそれぞれの背後に立ち、気配を可能な限り消しているので、話し合いの妨げになることはない。そうしてまずは紅茶で喉を潤したチャールズが、リリスに向かって口を開く。


「急な話となるが、きみとの婚約を解消したい。前々からきみとは性格も価値観も合わないと思っていたんだ。そして、今この心はイヴ嬢にある。彼女への誠意を示すためにも、応じて欲しい」

「随分と勝手な物言いですわ。チャールズさま、あなた今ご自身が何を言っているのかお分かりになって? わたくしへの不義理を直接述べていらっしゃいますのよ」

「勿論分かっている。その上で頼んでいるんだ。きみだってこの婚約は喜ばしいものではないのだろう? お互いのためにも解消すべきだと思う」


 はあ、とリリスは溜息を吐いて、口元を扇で隠した。その表情は敢えて取り繕わずに呆れを全面に押し出したものであり、チャールズもそれに一瞬怯んだようだが自己弁護と言い訳を言い連ねる。


「あなたのお考えは分かりました。ですが、解消は致しません」

「リリス!」


 思わずだろう、大きな声と共に立ち上がったチャールズに、しかしリリスは怯まない。そんなものを恐るほど彼女の肝は小さくないのだ。


「声を荒らげて相手を圧倒的しようなどと、愚策ですわよ。そして話は最後までお聞きなさい。わたくしは、解消は、と申し上げました。——ヘイグ侯爵には、既に婚約破棄の申し入れをしております」

「何……!?」

「全てはあなたの不義理から始まったこと。昨日、我が家から当家へと申し出を致しましたから、チャールズさまにも本日、または明日以降にその旨のご連絡がはいるのではないかしら。ああ、破棄の理由は勿論お分かりでしょう?」

「リリス! きみは自分が何をしたのか分かっているのか!?」


 激昂し、今にもリリスへ掴みかからんとするチャールズの前に侍女が立ちはだかり、執事がそれを止めようとする。それに対して、リリスはすっと立ち上がり、扇を閉じて真正面から向き直った。


「婚約者であるわたくしの前で他の令嬢を口説くという愚かな行為をなさったのはあなたです。そんなことをなさらず、先に解消の申し出をして頂けたのでしたら、わたくしだってこんな強引にことを運んだりしませんわ」

「……!」

「チャールズさま。いえ、ヘイグ侯爵子息。わたくしたちはお互いに歩み寄ることが出来ませんでした。それは、両者の責でしょう。ですが、貴族としての振る舞いを忘れて恋に溺れたのは悪手でしたわ。それでは、わたくしはこれでお暇致します」


 何も言えずに唇を噛んでいるチャールズへ、リリスは美しいカーテシーを披露する。そうして私用室の扉の前へ移動すると、そこから出る直前、満面の笑みを浮かべた。


「ごきげんよう、ヘイグさま」

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