14.婚約破棄の後
リリスがカークランド侯爵家でチャールズとの婚約破棄を両親に求めてから四日後のこと。
カークランド侯爵家及びヘイグ侯爵家の両家で合意があり、正式にリリス側からチャールズとの婚約を破棄するという形で決着がついた。
婚約破棄自体は即座に社交界へ広まったものの、その理由までは両家共に公にはしていない。だが、学園でのチャールズの姿を見ていた子息子女たちから実家へと情報が齎されているのだろう、悪い意味で彼は社交界から注目を浴びている。
それについて、チャールズから憎々しげな視線を送られているリリスではあるが、彼女は至って普通に日々を過ごし、チャールズとの関わり方も敢えて変えることはしなかった。
元々年に一度しか会わない関係であった上、呼び名がチャールズからヘイグへ変わっただけであるのだが、それは明確に婚約がなくなったと示すものでもある。
「イヴ。今日の授業が終わりましたら、わたくしとお茶会を致しましょう。美味しいお菓子が手に入ったのよ」
「はい、リリス。嬉しいです、お部屋にお邪魔しますね」
そしてもう一つ。リリスとイヴが少しずつその親密さを表に出すようになって来たことだ。
これについてはチャールズから迷惑を被っていた二人がそれを通して仲を深めたのだろうという憶測が学園に流れているようで、リリスとイヴに対してはそのまま良い仲になるかもしれない、とまで言われている。
それを知らぬリリスではなく、ゆっくりと外堀を埋めて行っているのだから、そういった話が広まるのは喜ばしいものであると内心で微笑んだ。
「イヴ嬢——」
「ごきげんよう、ヘイグさま。イヴは少々具合が悪いようですから、ご要件は手短にお願い致します」
「リリス……!」
「嫌ですわ、わたくしたちは既に他人でございます。で、あれば、どうぞカークランドとお呼びくださいませ」
「リリス……、傍にいてください。離れないで欲しいのです」
「イヴ、大丈夫よ。わたくしはここにいますからね」
月のものの影響で精神的に不安定になっているイヴを守るべくチャールズの前に立ち塞がるリリスと、そんな彼女を憎らしげに見る彼。そしてリリスの背にそっと手を伸ばすイヴの姿を見れば、誰が誰に懸想しているのかは容易に推察出来るだろう。
潤んだ瞳でリリスを見上げながらも腹部へ手を当てているイヴ。そんな彼女の手の甲に己の手を重ねながら微笑むリリスの美しさに、そして二人の関係に教室内ではほう、と溜息があちらこちらから溢れている。
数日もすればリリスとイヴの仲はより深まって行くだろうという憶測が流れるだろう。これは、そのためにリリスが打った布石なのだ。
「さあ、イヴ。席を変わりましょうか。少しでも暖かな場所の方が良いわ」
そう言って窓側の席に座っていたリリスは、優しくイヴを支えながら席を変える。こうすれば、イヴ、リリス、チャールズの並びとなるので、イヴのことを彼の視線から守ってやることが出来るのだ。
婚約破棄を言い渡された理由も、それが己の言動にあることも、チャールズは散々ヘイグ侯爵から聞かされたのだろうに、それを改めることはしていない。
ここまで愚かだとは、と呆れの溜息をリリスは内心で吐く。それと共にこの男を婿としていたらどうなっていたか、とあったかもしれない己の将来に彼女の形の良い唇は横へ引き締められた。
そうしてその日の授業も終わった放課後、リリスはイヴと共に教室を出て女子寮へと帰るために並んで歩いて行く。いつもと変わらない会話をして、時折指先を触れ合わせながら寮のエレベーターに乗り込む。
六階で降りると一度それぞれの部屋の前で別れて着替えをし、リリスの部屋へやって来たイヴと共に二人はお茶会をするのだ。
「事前にお聞きしていましたが、リリスがヘイグさまと婚約解消ではなく破棄を本当になさるとは思いませんでした」
リリスの侍女が用意した蜂蜜入りのホットミルクをゆっくりと呑みながらイヴが言う。その姿がまた可愛らしいとリリスの頬も緩むばかりだ。
「最初は穏便に解消をしようと思いましたけれど、ヘイグさまの態度がよろしくありませんでしたからね。これで婚約解消を選べば、わたくしも嘗められてしまうわ」
「それはいけません! ……リリス、私いけないことだって分かっています。でも、あなたの婚約が——」
更に言葉を続けようとしたイヴの唇に、優しくリリスの人差し指が触れる。美しい微笑みと共に頭が少しだけ左右に揺れるさまを見たイヴは何が言いたいのかを察したのか、それ以上は口を噤んだ。
今リリスとイヴの関係を発展させるのは簡単なことだ。だが、それにはまだ障害が一つ残っている。それは、イヴに恋する彼のこと。
リリスとの婚約が破棄された今、チャールズは躍起になってイヴへアプローチを仕掛けるだろう。それを妨害するつもりは彼女にはない。
もしチャールズがイヴからアプローチに対する返答を得る前にリリスと婚約を結べば、それに対して逆恨みをしそうな雰囲気があると感じるのだ。故にリリスがこれからすべきなのは、チャールズを焚きつけてイヴに告白をさせ、振らせること。
それで激昂する可能性もあるが、伯爵家の護りがイヴに傷一つつけないだろう。大体そんなことをすれば彼の既に低い評価は地にのめり込むのだ、やろうとさえ思えないはずである。
「ねえ、イヴ。もしヘイグさまからお呼び出しがかかったら、わたくしにもこっそりと教えて頂戴。あなたの身の安全のために、ね?」
「……はい、必ず。その時は私もきちんと対処しますが、リリスにもお伝えしますね」
リリスが何を言いたいのか、イヴも察したのだろう。確りと目線を合わせて頷く彼女を褒めるように頬へ手を伸ばし、つ、と輪郭をなぞる。
そしてその柔らかな唇に親指で触れる直前、すっと腕を引く。それに物足りないという顔をするイヴが堪らなく愛らしく、リリスは彼女の左手を優しく掬い上げ、その指先に口付けを落とした。
「イヴ。あなたはわたくしが頂くわ。誰にも渡したりしない、それをよくよく覚えていて」
「勿論です、リリス。私の全てはあなたのもの、今も未来も……全てです」
うっとりと瞳を蕩かせ、頬を桃色に染めるイヴ。そんな彼女のぽってりとした唇を味わいたくて堪らないが、それにはまだ早いのだ。
だからこそ、リリスは微笑む。その時を待ち望む、蛇のように。
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