9.二人でお出かけ
リリスの姿を見てはぽうっと瞳を潤ませて見つめるイヴの意識がはっきりしてから、二人はようやく街へと出ることになった。
女子寮の寮監には事前に外出届を出しているので、寮監から「気をつけて」との挨拶を受けてから寮の外に出る。そこから学園の馬車ロータリーに、それぞれの侍女一人ずつを連れて向かった。
馬車ロータリーには既にイヴが手配した馬車が二台並んでおり、その中の一台に乗り込んで目的地の店近くまで移動するという手筈になっているという。もう一台には侍女たちが乗りこんで行く。
今日のリリスはイヴのエスコートを受けるので、それ以上の流れは敢えて頭に入れていない。
「やはりリリスのそのお美しい姿が、他の方々の目に触れるのは悲しいです」
「まあ。イヴこそとても可愛らしいのだもの、悪い虫が寄って来ないか心配だわ」
「リリスったら。私、虫退治には自信があります。自分の分も、そしてリリスに寄って来る虫も、全て追い払いますからね」
「頼もしいけれど、イヴ。あなたはわたくしだけを見ていれば良いの。他所に目を向けるとわたくしに宣言するだなんて、悪い子ね」
「ひゃうっ」
向かいあわせで座る馬車。街中用のそれは普段彼女たちが乗っているものよりも狭いため、自然と二人の距離も縮まる。それ故にリリスが上体をイヴへと寄せれば、囁き声など充分に聞こえるのだ。
イヴはリリスの全てが好きだと述べたことがあった。そして声もそれに含まれているのだと、リリスの声を聞いていると頭がぽやんとしてしまうのだと、彼女はお茶会の際に羞恥心を滲ませながら口にしたのだ。
そして今も、リリスが囁くために普段よりも少し低くした声に、びく、と肩を震わせる。白い頬にはまた赤みが増して、それを冷ましてやろうと扇で風を送れば「リリス……、あなたの匂いがして胸が痛いです」と言う。
これほど可愛らしい存在は、今まで見たことがないとリリスは思う。そしてよく今まで無事に暮らして来たものだとも。
狭い馬車の中、密着とはいかずとも教室で並ぶ席よりも近い距離で、リリスの囁きをイヴは受け続けるしかない。
「ねえ、イヴ……どうして下を向いてしまうの? わたくしの可愛いイヴ、その瞳を見せて頂戴」
「あら、美味しそうな果物——うふふ、あなたの唇だったのね。今にも果汁が滴りそうな、ふっくらとしたものだったから、つい……ね?」
「イヴ。わたくしにはあなたの声を聞かせてくれないの? さあ、その愛らしい声で呼んでご覧なさい。リリス、と」
「頬が林檎のようね。そんな顔をわたくし以外に見せてはいけないわ。太陽にも、月にも、よ」
「この馬車の中では、世界に二人きりのような気持ちになるわ。イヴ、あなたとわたくしだけの世界」
「まあ、耳まで真っ赤。駄目よ、擦っても、涙目になっても駄目。イヴ、真っ直ぐわたくしを見て……わたくしだけを、全身で感じているのよ」
そうして鼓膜をリリスの睦言に犯され続けたイヴは、まだ外に出てもいないのにくったりと馬車の壁へ身を預けてしまっていた。そんな姿にリリスはまた、「イヴ。はしたないわ。そんな姿を市井の民に見せるつもりかしら。いけない子」と愉しそうな声で言う。
「リリスぅ……」
「ふふ。そろそろ目的地へ着くみたいね」
瞳をとろりと蕩かせて、リリスを甘ったるい声で呼ぶイヴ。しかし無情にも馬車は目的地が近づいたことでその速度を下げており、そうなればイヴも貴族令嬢の仮面を被るしかない。
やがて馬車の中へ衝撃を与えないゆっくりとした駐車がなされると、まずはイヴが侍女の手を借りて降りて行く。次に、そのイヴがリリスへと掌を差し出してきた。
それにそっと素肌の指先を重ねて、イヴのエスコートを受けながら馬車から降りて店舗までの道を歩いて行く。触れた手は、名残り惜しく感じつつもそっと離れた。
イヴが選んだ店は、所謂雑貨店と呼ばれる場所。様々な小物を取り扱う、平民からすれば少し値の張る、貴族からすれば安い価格帯の店だ。
そんな店に、リリスは目尻を下げて小さく微笑む。店の外から覗くだけでも普段触れることのないものばかりで、侍女が開いた扉を潜ればそこは全く知らない世界なのだ。
右を見ても左を見ても、綺麗に陳列されながらもどこか自由に置かれている商品。安っぽく見える、否、実際安いのだが、それでもシンプルで良いデザインのアクセサリー。
中でも彼女の目を引いたのは、ピンクに色づけされた、ガラスの瞳をしたテディベア。薄いピンク色の毛並みで、丁度腕に抱くとぴったりに思える大きさのぬいぐるみだ。
しかし、そっとその可愛らしいテディベアから目を背ける。リリスには似合わないと分かるのだ。だからこそ生家にある彼女の部屋にはぬいぐるみの類いが一切置かれていない。
残念に思いながらも、イヴと揃って店内を歩く。それだけでも、楽しいことに変わりはない。
「リリス、見てください。このネックレス、本物の貝殻で出来ているんですって」
「あら、そうなの? 綺麗ね、とてもよく仕上げられているわ」
「リリスは気になるもの、ありましたか?」
イヴからの問いに、少し言葉が詰まるリリス。けれども普段通りの顔で彼女は店内の更にガラスケースの中へ飾ってある髪留めを指して「あれが気になるわ」と言った。
その言葉は嘘ではない。本当に気になってはいたのだ、青い薔薇と薄ピンク色の薔薇が並んだ髪留めを。
「わたくしとイヴ、あなたのようでしょう? もし、こちら二つ頂けるかしら」
「はっ、はい! ラ、ッピングは、必要でしょうか……?」
貴族を相手にしたことがないのだろう店員が、リリスの問いかけに挙動不審になりながらも返答をして来る。その顔は真っ青だが、少しの無礼程度で打首にするわけがないのだが、訂正はしなかった。
「いいえ。会計は彼女がするわ」
リリスが言うと、侍女が音もなく隣へ現れる。そして少しだけ緊張が解れたらしい店員とのやり取りを代わりに行って、商品の受け取りまでを済ませた。ハンカチの上に乗せられたその二つの髪留めのうち一つを手にして、リリスはイヴの前髪へそっと差してやる。
「……思った通り。よく似合っているわ」
「リリス……! ありがとう存じます、ずっとずっと大切にします」
「嬉しいわ。ねえ、イヴ。ほら、わたくしにも……ね?」
そう言って、リリスは瞼を閉じる。リリスとイヴでは身長差があるため、彼女の高さに合わせて屈むと、少ししてからそっと前髪に触れる手と差し込まれる髪飾りの感覚がして、ゆっくりと瞼を開けた。
体勢を戻して、頬へ指先を添えながらイヴへと眉尻を少し下げた表情でリリスは問いかける。
「どうかしら」
「とてもお似合いです……! お揃いですね、リリス」
「そうよ、お揃い。うれしいわ」
ほんのりと頬を赤らめているイヴからの言葉を受け取って、リリスは幸せそうに微笑んだ。こうして揃いのものを身につけるというのは初めてのことで、また彼女の心臓はいつもより速い鼓動を刻んで行く。
だが、いつまでも店の中にいるわけにはいかない。イヴが先に店を出て欲しいというので、それに従い馬車で待っていると、さほどしないうちに彼女も戻って来た。
お茶を楽しむための店に先んじて手を回すための指示をしていたのだろうか、それならばリリスへ見られたくはないものだろう。馬車に乗り込んで来たイヴの姿もいつも通りだったので、リリスたちは次の店へと出発した。
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