10.思いがけないプレゼント

 雑貨店を出たリリスとイヴは馬車に乗ってイヴが選んだカフェへと向かう。その店はタルトが美味しいとのことらしく、それが楽しみだと言う彼女にリリスも頷きと微笑みを返した。


 二人の異なる髪には先程の雑貨店で購入した髪飾りが彩りを添えており、それが窓へ映る度にリリスの胸は喜びに満ちる。ただの髪飾り。だが、リリスとイヴの揃いだ。


 馬車の中では何となく、二人揃って手を伸ばし合って、きゅ、と指先だけ繋ぐ。綺麗に整えられた指を絡めて、時々擽ってやればイヴは頬を赤らめてリリスを見るのだから、全く堪らないと彼女は思う。


 これだけ愛らしい少女は他にはいまい。今すぐ抱き締めて、胸に顔を埋めさせてやりたい。そうなれば一体どんな反応をしてくれるのか、そう考えるだけで口角は上がってしまう。


 リリスにとって、イヴはただの友人ではない。抱く想いは友としてのそれではないことを、二人は分かっている。


 そしてそれを真っ直ぐ伝えてくれるイヴに、リリスは遠回しの返答しか出来ていなかった。彼女には婚約者がいる。イヴに夢中になっている上に、空気も読めない鈍感な男が。


 チャールズは、悪い人ではない。ただ、リリスとはどうしても性格が合わないのだ。彼が求めるのはチャールズに頼って生きる女で、リリスはその正反対の位置にいる。


 ただ、彼が懸想するイヴも誰かに頼らねば生きていけない女ではないので、チャールズは結局見た目が可愛らしい者が好きだということなのかもしれない。


 そんなことを考えていると、馬車がゆっくりと停車した。そうして二人で降りて、店内へと侍女が開いた扉を潜り先にイヴが、続いてリリスが入る。


 店側にはやはり先に知らせを出していたようで、店員は慌てることなく二人の令嬢の訪問を歓迎し、特別に設えたのだろう衝立のある席へと案内してくれた。


 この気遣いのお陰でリリスもイヴも周りからの視線を気にすることなく楽しくお喋りをしながら休憩出来る上に、侍女たちの席も用意されていたので、彼女たちを立たせて置く必要はない。


 リリスは林檎のタルトを、イヴはいちじくのタルトを一ピースずつと紅茶を注文し、それが届くまでそっとテーブルの上で指先を重ね合いながら談笑する。


「——それで、チャールズのことなのだけれどね」


 リリスがそう切り出すと、イヴは言葉ではなく頷きを返す。一言一句逃さず聞く、という姿勢を示しているのだろうか。その真剣な眼差しも可愛らしいと、リリスの思考は少々ずれを見せた。


 こほん、と一つ咳払いをしてから、改めて口を開こうとしたリリスだが、侍女の様子から店員が注文した品を運んで来ていることが分かり、そっと手を離して後で、と目線で伝える。


 イヴが頷きを返してから店員からトレーを受け取った侍女たちが配膳をし、二人はそれぞれのタルトへ舌鼓を打つ。


 しゃく、と少しだけ生の果実の食感が残った林檎が歯に心地良い。味もとても良く、甘さは控えめで果物の甘味を存分に活かしたものだ。これは美味しい、と微笑んだリリスは、淑女としては有るまじき行為に出る。


 イヴの手からそっとフォークを取って、リリスの分のタルトを一口切り分け、そのまま彼女の口元へと運んだのだ。


 その鮮やかともいえる一連の流れにイヴは呆然とするしかなく、差し出されたフォークに乗るタルトとリリスを見比べた後、「たべて」と囁く声に背を押されたかのようにぱく、とこちらも行儀悪く咥えた。


 そのフォークをそっと唇の間から引き抜いて、イヴの手に持たせ直してからリリスは微笑む。


「美味しい?」

「……っ、ひゃあい」


 ごくん、と飲み込んでから、イヴが蕩けたような声で言う。その姿に少しだけ笑って、リリスはそっとその唇を開いて見せた。今度は、イヴの番だと言うように。


 それに喉を大きく鳴らしたイヴは、緊張からかリリスのフォークではなく彼女のものでいちじくのタルトを掬い、手を震わせながらリリスの口元へと運ぶ。


 それを敢えて指摘せずにゆっくりとフォークを咥え、口腔へとタルトを迎え入れた。林檎とは異なる柔らかな食感と甘さに頬を緩め、よく噛んでから飲み込んだ彼女は、意地悪く目を細めて見せる。


「フォークを介して、口付けしてしまったわね」

「——!? あっ、あえ、あ……ッ!」


 言葉にならない声ばかり微かな声量で上げるイヴを尻目に、リリスはまた次の一口を切り分けて口へと運ぶ。その姿は人を弄ぶ悪女もかくやというもの。


 しかし彼女の瞳にはイヴだけが映り、夏空を思わせる青色にはただ愛おしさを乗せていた。そんなリリスの姿に深呼吸を繰り返すことで何とか落ち着いたらしいイヴも、少しぎこちないながらもゆっくりタルトを食べ始めた。


 そこでリリスが「イヴが口に入れてくれたタルト、美味しかったわ」と言えば、イヴはまたぎし、と体の動きを止めて顔を真っ赤に染める。


「リ、リリス……、もう、意地悪な人」

「あら、知らなかったの?」

「知っていましたけれど! はあ、本当に……そんなところまで素敵です」


 うっとりとしているのは、タルトの味にか、それともリリスにか。イヴの視線の先はリリスに向いているので、彼女のとろんとした眼差しはリリスに捧げられたものだ。


「ふふ。さあイヴ、残りも食べてしまいなさい。それとも、口に運ばれるのがお望みかしら」

「……! う、う……、ひとりで、たべます……」


 それは苦渋の決断をしているかのような声だった。それにリリスもつい笑ってしまいながら、もぐもぐと口を動かすイヴの様子を楽しげに眺める。


 イヴはいつだって可愛らしく、庇護欲を擽る存在だ。だが、自立心は確りとあって一人で立てる強さを持っている。それがまた魅力的で堪らないとリリスは思う。


 すっかり空になったケーキ皿と入れ替わりに運ばれて来た紅茶で口の中をさっぱりさせると、イヴの頬の赤みもようやっと引いたらしい。


 二人でするお出かけは、この店までだ。それ以上は日が暮れて来てしまうので、警護に支障が出てしまう。だから、リリスはギリギリまで店に留まっていたかった。

 しかし時間は過ぎて行くもの。それが楽しければ楽しいほど、体感は短い。すっかり空になってしまった紅茶が、この時間の終わりを告げる。


 それに寂しさを感じながらも、リリスとイヴは店を後にした。会計は全て侍女がするので、彼女たちはひと足先に馬車に乗り込んだ。


 ゆっくりと走り出した馬車の窓にかかるレースのカーテンから覗く明かりは、二人で学園を出発した時よりも暗い。もう帰らなければならない時間だと知らされているようで、リリスはきゅ、と唇を一文字に締める。


 そんなリリスの手を、イヴは優しく握った。いつもの指先だけが触れる戯れではない、安心させるような微笑みと共に重ねられた掌の温もりが彼女の優しさを伝えて来る。


 イヴは、何も言わない。そうしているうちに学園へと到着した馬車から降りて、二人並びながら女子寮へと向かう。その頃になると、リリスも普段通りの調子に戻っていて、時折イヴをからかいながらエレベーターで六階へ上がった。


「イヴ、今日は楽しかったわ」

「リリス、もう一つ……私からの贈り物を、受け取ってくれますか?」

「ええ、勿論よ。でも、一体……?」


 不思議そうに首を傾げたリリスに、イヴは手元へ召喚魔術で彼女への贈り物を呼び出す。それに、リリスは大きく目を見開いた。


 薄いピンク色の毛並みに、ピンク色のガラスの瞳をしたテディベア。——イヴのようなその子は、雑貨店で購入どころか触れることさえも諦めたぬいぐるみだったのだ。


「イヴ……」

「リリス。どうかあなたの隣で眠れるその日まで、この子を私の代わりに置いてください。きっと、そこに辿り着きますから」


 イヴの手から受け取ったぬいぐるみを、リリスは幼い少女のように抱き締める。そして、微笑みを浮かべながら唇を開く。


「ありがとう、イヴ。きっと大切にするわ。そして……共にシーツを乱す日も、近いわよ」

「え……!?」

「今日はありがとう。また明日、ね」


 イヴの手を握り、そして指先に口付ける。薄らと口紅が移ってしまったが、リリスはそれにさえ微笑んで見せる。


 そして、呆然としているイヴを置いて、自室へと姿を消したのだった。

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