8.お部屋で待ち合わせ
リリスがイヴと共に出かけると約束をしてから一週間が経過した。その間で彼女はネイサン伯爵家の協力を取りつけて、更にリリスの生家であるカークランド侯爵家にも伯爵家経由でことの次第について説明をし、無事に許可を取ったのだ。
本来なら、二週間ほど時間を要するだろうことを、イヴはたった一週間で成し遂げた。それだけ共に街を歩きたかったのだと思うと、リリスは喜びを感じずにはいられない。
イヴからの愛情はいつも真っ直ぐだ。リリスにだけ向けられる、愛らしい少女からの恋慕。そしてリリスもまた、イヴを愛している。婚約などなければ良いのにと思う気持ちは、日を追うごとに増えてばかりだ。そんなことを思いながら、鞄に教科書を仕舞う。
週の終わりのこの日は、授業が午前中だけとなっている。そのため、寮で着替えてからそのまま出かけようと提案したのはイヴからだった。制服では目立つこと、そして休日となれば人混みが増すことを理由に挙げられたので、リリスからは同意を返すに留めたのだ。
街のことについては、イヴの方がよく理解している。そして土地鑑もあるというので、彼女に任せるのが良いとリリスも理解している。
「リリスさ——」
「イヴ嬢。この後は空いているかな、ちょっと相談ごとがあるのだが……構わないだろうか?」
イヴの晴れやかな顔と言葉を遮って、チャールズが彼女へと声をかける。途端、イヴの顔からはすとんと表情が抜け落ちた。しかしそれも瞬きの間、すぐにいつも通りの微笑みを浮かべて、彼へ向かい返答を述べる。
「申し訳ございません。本日は先約がありますので」
「そうか、残念だ。では、明日はどうだろう?」
断られてもめげない姿に、リリスもすっかり呆れてしまう。彼がイヴに好意を寄せているという態度をあからさまに出すようになって、周囲からのイヴに対する視線は強まるばかりだ。
ただ、同じA組の者はリリスと同じく呆れ顔で、イヴへ同情しているような様子も見せている。そのような振る舞いをしていてはヘイグ家の格を落とすのだという自覚すらないらしい。
「イヴ、行きましょう」
「はい。それでは、失礼致します」
「イヴ嬢……」
イヴが返事をする前に、リリスが遮る。椅子から立ち上がって言えば、彼女もまた笑顔で席を立ってチャールズへ挨拶をし、リリスと並んで教室を出る。
最早あれは婚約する価値なしと、リリスの中で結論づけられた。他の女にうつつを抜かし、更にそれを隠そうともせず、婚約者であるリリスを蔑ろにし、己の想い人であるはずのイヴの立場も悪くする。そんな男、領地にとってもカークランド侯爵家にとっても願い下げだ。
これはイヴを愛しているからではない。それを抜きにして、損得だけで相手を見ての判断である。だから、リリスは心に決めた。婚約解消ではなく、破棄をするのだと。
けれども、今は、この後はイヴと共に楽しい時間を過ごすのだから、一度そのことは頭の中の引き出しにしまい込んで微笑む。隣を歩くイヴもまた、機嫌が良さそうだ。
彼女からすれば一週間の努力が実る日となるのだから、確かに嬉しいだろう。リリスからしても恋をしている少女と出かけることが出来る、楽しい一時だ。
少しだけ水を差されはしたが、そんなものは幾らでも挽回出来る。あれこれと授業のことや昼食についての話をしながら歩けば、寮まですぐそこだ。
女子寮に入り、エレベーターで六階へと向かう。リリスの部屋である603へ集合として、二人は一度別れた。
「お嬢様」
侍女が外に出かけるために用意していたワンピースを持って来る。普段のドレスとは異なる柔らかなAラインのそれは、踝までを隠すシンプルながら上品であり、質としても上等なもの。
制服と下着を侍女たちに脱がされ、体を拭かれ、新しい下着とワンピースを纏う。それからメイクを一度落として、普段の青とグレーがメインのアイシャドウを青みピンクへと変更する。
まずは保湿から入り、それが肌へ馴染んでから日焼け止めだけを白い肌に乗せる。そうしたらフェイスパウダーを乗せてベースは完成。
アイシャドウブラシが優しく瞼の上を彩って行き、その中央にしっとりとしたラメが乗る。アイラインはほんのりピンクの混ざったグレーで目尻を少し垂れさせてから、睫毛は元々長いため、そして落ち着いたリリスのイメージに沿って敢えて何も塗らず上げないでおく。
頬には薄らとだけチークを入れて、唇は明るくも薄いピンクの口紅を塗ってからグロスでよりふっくら艶やかに仕上げる。
ハーフアップにしていた髪が解かれ、左の耳下から緩い三つ編みへと変えられると、髪飾りとして青薔薇が三つ編みの間に幾つか刺される。前髪にも青薔薇と蔦のピンが差されるが、全体を見ると全くくどくはない。
髪を飾った分ネックレスとイヤリングはせずに青薔薇のブレスレットだけをして、靴はヒールの低いショートブーツ。仕上げに使用者の周囲温度を適温に保持する厚手のニットカーディガンを羽織ればデートの用意は万端だ。
それから少しして、部屋の扉がノックされ、侍女が開いた扉の向こうには同じようにワンピースとカーディガンを纏ったイヴの姿があった。出かける時はお揃いにしようと約束していた格好である。
そのことに口角を少しだけ上げながら、「イヴ」と呼びかけると、彼女はぽーっとした表情からはっと意識を取り戻して、リリスの元へとやって来た。
「リリスさま……とても美しく、可愛らしいです」
「ありがとう。イヴもとても可愛いわ、花畑いっぱいのコスモスのよう」
普段より少し濃いめのコーラルピンクのアイシャドウに、オレンジのチークを薄く塗ってある頬、小さくぷっくりとした唇にはアイシャドウとは少し違った色味のピンクが乗っている。
「この部屋から出してしまいたくないわ」
「そんなの、リリスさまの方が……ああ、皆あなたに見蕩れてしまいます。私のために着飾ってくださったのに」
「そうかしら。でも、わたくしが見つめるのはあなただけよ、イヴ」
「リリスさま……」
うっとりと両手を組むイヴの顕になっている耳朶を優しく撫でる。ぴく、と揺れる肩に目を細めて、これ以上こんな反応をされてはほんとうに部屋から出せなくなってしまうとリリスは名残惜しくも手を引いた。
「行きましょう、イヴ。エスコートをしてくれるのでしょう?」
「あ……っ、はい、勿論です。きっとリリスさまも気に入ってくださる店を見つけましたから」
「あら、そんなことを言って良いのかしら。とても楽しみにしていたのに、より及第点のラインが高くなるわよ」
「困りました、自分の首を自分で締めてしまったんですね」
「ふふ。冗談よ、イヴ。あなたと一緒なら、どこでも楽しいわ」
「それは私もです、リリスさま」
「リリス。ねえ、イヴ。ずっと思っていたのだけれど、あなた、わたくしのことを名前だけで呼んでくれないじゃない。駄目よ、今日からは、リリスと呼ぶように」
「ひゃっ、……リ、リリス……、……うう、しあわせすぎます」
イヴの耳元で囁くと、彼女はびくんと先程よりも大きく体を跳ねさせる。そうしてから首まで真っ赤に染めてリリスの名前を呼ぶものだから、その赤みが引くまで、二人は、特にイヴは部屋を出ることが出来ずにいたのだった。
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