第50話 アタリ

 指示された車に乗り込むと同時に、アタリはポケットから棒付き飴を取り出して口にくわえた。彼は口の中で乱暴に飴を転がし、そして低い声で運転席の男性に言った。


「で? 俺はこれからどうすればいいの?」


 その声からはどこか怒りが感じられた。それを不審に思って男性は言った。


「なんだよ、イライラしてんのか?」


「イライラしてるよ。こっちは結婚式の途中だったんだぞ。せっかく上等な酒も用意されてたのに途中離脱なんかさせやがって」


「結婚式? お前の?」


「違ぇよ馬鹿。俺の親友のだよ。そいつ最近になって婿入りすることになってさ、俺含めて親しいやつだけを集めて式を挙げることになってたんだよ。だというのに急用の仕事とか言って呼び出しやがってよ」


「そう怒るなって。お前の親友だったら酒くらい残してくれるだろ。それで、早速仕事なんだが……」


 男性はスマホを取り出して画面を確認し、そして言った。


「これからお前には一人の能力者と戦ってほしい。間違っても殺すなよ、ただ戦うだけだからな」


「どういうこと?」


「柚組の傘下さんかの建設会社で働いてる『有川シオン』ってガキがいるんだが、そいつが能力者だということが先日判明してな。ひょっとしたら士師として使えるかもしれないから、そいつの実力を確かめてほしいんだよ」


「ああ、そういうこと。採用試験ってことか。懐かしいな、俺も確か七星先輩と戦わされてたっけ。いいぜ、受けてやるよ」


───


 峰との戦闘から月日が経ち、新宿はようやく回復の兆しが見え始めていた。都心では様々な業者が行き交い、崩壊した建造物や道路は今では元の姿を取り戻していた。


 そんな新宿の片隅で、有川シオンは喧嘩にいそしんでいた。事の発端は居酒屋で飲酒していたところを仕事の同僚に見られたことであった。彼らはシオンが未成年だということを知っており、そんな彼が飲酒していたのを見て一斉に彼をとがめ始めたのだ。せっかく気分を良くしていたにもかかわらず、たいして仲が良くない同僚にそれを妨害され、シオンは憤慨ふんがいして彼らと殴り合いを始めることにした。


 喧嘩は近くの路地裏で行われ、シオンは開始一分程度で同僚四人を再起不能にした。しかし酒が回っていたこともあって彼の興奮は収まらず、彼は気が済むまで同僚を殴り続けようとした。


 その時、突然背後から何者かの足音が聞こえ始め、シオンはとっさに振り返った。そこにいたのは棒付き飴をくわえているスーツの男性、アタリであった。自身の見知らぬ人間が笑みを浮かべながらこちらに近づいてくるのを見て、シオンは固唾を呑みながら身構えた。


「お前が噂のシオンってやつか?」


「誰だよ、オッサン」


「二十一はまだオッサンじゃねぇだろ。……まぁいいや。俺は柚組の煉瓦班に所属している日光アタリっていうんだ」


「柚組? てめぇヤクザか? ヤクザが俺に何の用だよ」


「そう大層な用なんか無い。俺はただお前に興味があって、お前とお友達になりたいだけだ。お前、足下にいるその四人を一人でボコっちまったんだろ? 実は俺たちヤクザはお前みたいな強い人間を求めていてさ。ぜひとも仲間に迎え入れたいんだが、お前がどんな人間で、どれくらい喧嘩に慣れているのかを事前に知っておきたいんだ。そこで提案なんだが……お前、ちょっと俺とタイマンしねぇか?」


「タイマン?」


「そう、タイマン。見たところお前、さっきの喧嘩じゃ満足できてねぇだろ? 来いよ、俺がお前を満足させてやるからよ」


 そう言ってアタリはシオンに手招きし、両拳を突き出して臨戦態勢に入った。馬鹿じゃねぇのか、とシオンは呟いたが、彼は内心その誘いに乗り気であった。彼の言う通りシオンはやり場のない怒りと力が余っており、ちょうどそれをぶつけられる相手を探していた。こいつなら俺よりでかいし、ボコし甲斐がいがありそうだ。シオンは思い、ゆっくりとアタリに近づいていった。


 一瞬で直線方向に高速移動できる、それが有川シオンの能力であった。たとえ助走をつけていなくとも前触れなく突進し、そして相手の顔面に拳を叩きつける。シオンは長年この戦い方で喧嘩相手を凌駕りょうがし続けており、彼は今回も例にもれず能力を発動させてアタリの胸元まで一直線に飛び、顔面に拳を突き出した。今までこの攻撃を防げた者は一人としておらず、この状況に持っていければ彼の勝利は確定であった。


 少なくとも、これまでのところはそうであった。


 拳への違和感を覚えて、シオンは思わず顔を上げた。なんと彼の拳はアタリの手のひらで受け止められており、アタリはまるでわかっていたかのように澄まし顔のままでいたのだ。攻撃を防がれて動揺しているシオンとは裏腹に、アタリは興味深げにシオンの顔を凝視していた。


「直線移動の能力か。そんな不意打ちに強い能力を持ってるんじゃ、そりゃ男四人なんか簡単にぶっ飛ばすこともできるわな」


「お前、どうやって……」


 シオンの言葉をさえぎって、アタリは反対側の手を彼の顔に放った。打撃が飛んでくることに備えてシオンは目を閉ざしたが、アタリの拳はシオンの目と鼻の先で止められた。


「……何しやがる」


「言っただろ、俺がお前を満足させるって。こんな簡単に喧嘩を終わらせちゃつまらねぇだろ。もう一度チャンスを与えてやる、かかって来いよ」


 そう言うとアタリはシオンを突き飛ばしてその場で足踏みをし、再び彼に手招きをした。


 シオンはただ困惑していた。何故先ほどの攻撃を防げたのか、何故自分の名前を知っているのか、そして何故自分の気持ちを理解しているのか。アタリに対して聞きたいことは山ほどあったが、シオンは誘われるがまま彼に向かって攻撃を再開した。


 この時、シオンは妙な感覚にとらわれた。アタリと拳を交わしている間、彼は何故だか喜びを感じていたのだ。彼とは全く認識がないにもかかわらず不思議と親近感を覚え、そしてある希望を抱くようになった。──こいつなら、きっと俺のやり場のない力をぶつけることができる。


 シオンとアタリの攻防戦はしばらくの間続いたが、その勝敗はアタリがシオンの顔面に拳を入れたことで決定した。シオンは鼻から血を流しながら尻もちをつき、そんな彼に向かってアタリは手を差し出した。


「やるじゃねぇか」アタリは言った。「この俺についてこれるなんて中々できることじゃねぇぞ。気に入ったぜシオン、俺たちと一緒に働かねぇか」


「……俺にヤクザの仲間入りをしろと?」


「仲間入りと言ってもアルバイトだけどな。給料はいいぜ。少なくともお前の仕事よりは稼げる。興味があるんならぜひともこの手を握ってほしいんだがな」


 こいつとなら、きっと俺は満足できる。シオンはそう思って立ち上がり、アタリの手を強く握った。


 新宿の路地裏で、新たな伝説が誕生しようとしていた。




(二〇二三年十一月二日~二〇二四年五月十六日)

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ケトルブラック @kg27yuki

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