第44話 休戦の夜

 柚が意識を取り戻した時、彼女は暗闇の中に設置されているたき火を目にした。


 彼女はいつの間にか椅子に座らされていた。周囲には明かりが点いていないビル群が立ち並んでおり、たき火だけが暗闇の中での唯一の明かりとなっていた。柚はしばらく火を見つめて放心していたが、左腕に違和感を覚えてとっさにそちらを見た。


 彼女の左腕はもはやそこに存在しなかった。付け根には赤くにじんだ包帯が巻かれており、柚は包帯をじろじろと見つめ、そして自身に何が起こったのかを思い出した。


 峰との戦闘中に腕を欠損し、拷問まがいのことをされた挙句気を失ったことまでは覚えている。だが、その後自分や仲間に何が起こったかまでは把握していない。誰が自分を助けたのか、峰はどうなったのか、仲間はどこにいるのか。そんな彼女の疑問に答える人間が、突然暗闇の中から現れた。


「柚さん、目を覚ましたんですね」


 それは大樹だった。大樹は柚の隣の椅子に腰を下ろし、すかさず柚は口を開いた。


「大樹っち、私は……?」


「柚さんは新宿の郊外で倒れているところを発見されたんです。戦闘でやられたのか左腕が無く、できる限りの処置を施してからキャンプに連れてきました。命に別状はないようですが、あまり体を動かさないほうがいいかと思います」


「キャンプ……」


「たき火を置いて、その周りにテントや椅子を置いただけの簡潔なものですけどね」


 つまり、戦闘は終わったのか。柚はそう思い、再び腕の生え際にある包帯に目を落とした。


「その……左腕については本当に残念です。ですが生きててよかったです」


「……心配いらないよ。肉体としての腕は失くしちゃったけど、私の魂はまだ両方の腕を使えるから。それより、大樹っちたちはどうしたの? もしも私が気絶してた間に何が起こったのか知ってるなら、全部教えてほしいんだけれど」


「今のところわかっていることは、七星班での死者数が二十七人、それ以外の班で六十六人出たということです。おそらく一般人の死者数は三桁に上るでしょう。七星班の士師もほとんど戦闘不能になり、まともに戦える者は俺とアタリ、そして煉瓦くらいしかいません。それと敵の能力者ですが、秋葉原、新宿、そして本部に現れた三人を殺害することには成功しましたが、柚さんとアタリが相手にしていた峰という男は逃亡した模様です」


 それを聞いて柚は歯を食いしばり、眉間にしわを寄せた。


「ごめん」しばらくして柚は口を開いた。「峰を逃がしたのは私の責任だ。もう少し上手く戦ってたら殺せたかもしれないのに、私が弱いせいで負けちゃった。本当にごめん」


「そんなこと言わないでください。むしろ柚さんはよく戦ったほうですよ。片腕を失ってまで戦ったのに敗北だなんて言わないでください」


「でも、柚組や市民に被害を出した上に逃げたんだよ」


「峰と直接決着をつけるまで、俺たちは負けていません。そして俺たちは必ず勝ちます。七星さんの犠牲の下、俺は絶対に峰を止めてみせます」


「七星君、死んじゃったの?」柚は息を呑んだ。


「七星さんの能力を俺に渡して亡くなりました。その様子を目の前で見ていた煉瓦に確認済みです」


「そっか……」柚は溜め息を吐いた。「煉瓦君に申し訳ないな。私が組長の座に就く前からあの二人の仲は知っていたし、きっと私を恨んでいるだろうな」


「恨んでませんよ」


 ふと闇から煉瓦が現れ、彼は言った。


「煉瓦君、今までどこに?」


「戦闘に巻き込まれた場所の周辺を調査していました。何人か逃げ遅れた一般人がいたので、仲間と一緒に避難させてきました」


 煉瓦は簡潔に報告を終えると柚と向き直り、落ち着いて言った。


「僕が柚さんを恨んだことなんて一度もありません。ヤクザの世界に足を踏み入れた時点で、定年まで生きていられるなんて思ってないですし。それに、最終的に大樹さんのために死ぬことを選んだのは兄ちゃんですから、それにどうこう言うつもりはありませんよ。僕たちができることは死をなげくことではなく、死者の意志を継いで前へ進むことです」


「それ、七星君の最期の言葉?」


 煉瓦は静かに頷いた。確かに彼なら言いそうだ、柚は思い、同時に先の自分の態度を恥じた。二人は仲間が死んだにもかかわらず、その死を受け入れて戦い続けようとしている。それなのに敗北したと勝手に決めつけるとは、私はなんてみっともないのだろう。そうだ、仲間は死んだけど、私たちはまだ生きている。残された私たちが戦わなければ、仲間の死も無駄になってしまう。


「柚さん?」


 しばらく考え込んでいたのだろう、大樹は不安そうに柚の顔を覗き込んでいた。


「二人とも、ありがとう」柚はぽつりと言った。「二人のおかげで目が覚めたよ。そうだよね、士師である仲間の意志を継がなかったら、私たちの存在意義も無くなっちゃうもんね。私たち士師は悪を裁くために存在する。たとえ仲間が死のうが悪が逃げようが、私たちは進まなきゃいけない。──私、もう一度戦うよ」


 柚が闘志を取り戻したことに二人は安堵し、そして笑みを見せた。


「俺、まだ能力を手にしたばかりで使いこなせるか心配ですけど、それでも柚さんのためなら力を貸しますよ」大樹は言った。


「ありがとう。そう言ってくれると心強いよ」


 柚と大樹は見つめ合い、互いに照れ笑いをした。そんな二人を見て煉瓦は背を向け、そして言った。


「僕、ちょっと周りを散歩してきますね」


 そして煉瓦はたき火から離れて暗闇の中へと入っていき、残されたのは柚たちだけとなった。二人はしばらく口を閉ざして沈黙していたが、突然柚は大樹の肩に頭を預け始めた。


「今夜くらいは……隣にいてもいいよね……」


 大樹は視線を前にやり、何も言わずに彼女を受け入れた。


 たった一日で柚組は崩壊寸前の危機におちいった。もはやいつ死ぬかもわからないようなこの状況では、こうして想い人の隣で過ごせる時間というものは貴重であり、そして唯一の慰めであった。ひょっとすれば峰との戦闘で片方が、もしくは両方が命を落としてしまうかもしれない。そんな恐怖心を抱いているからこそ、二人は最後になるかもしれないこの時間を心ゆくまで噛みしめることにした。


 二人は静寂に包まれながら寄り添い、闇夜に消えていく火の粉を見守っていた。

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