第2話 青年アタリ 1
クソが、
その日、アタリは頭に来ていた。きっかけは昼に行われた競馬の重賞レースであった。ネットでの予想で散々注目を浴びていた馬が大きく出遅れて惨敗し、彼の生活費である六万円が一瞬で消えてしまったのだ。走らないなら馬刺しにでもなってろよ、彼は思った。
今、アタリは自身が住み込んでいるアパートを後にして、近場の繁華街へと足を運んでいた。日が沈んでいたからというのもあり、居酒屋やカラオケ、バーなどの店では人が集まっていることで賑わいを見せていた。友人同士で飲んでいる大学生、雑談しながら帰路についている高校生、路上で馬鹿笑いしている社会人。その全員が楽しそうな顔をしており、彼はそれが気に入らなかった。自身が不愉快でありながら他人は幸せそうなのが、彼の
競馬で生活費を失ったことによってアタリは無一文であった。金を持っていない者は心にも余裕がないというが、今のアタリはまさにそれである。目に入るもの全てが気に食わず、誰かに対してこの怒りをぶつけてしまいたいという感情が彼を襲い、彼はただひたすら繁華街を歩き続けていた。
この時間帯にもなるとある程度酒の入った人間も現れるようになり、当然喧嘩も増えてくる。アタリのいる繁華街は特にそれが
自身の求めていた声が耳に入り、アタリは思わず立ち止まって声のしたほうを見た。声は近くの路地裏から聞こえ、時折何かを
そこにいたのは取っ組み合いをしている五人の男性であった。彼らの
普通の人間であれば喧嘩に巻き込まれないように離れるか、もしくは警察を呼んで事態を収束させようとするだろうが、アタリは違った。当の本人は生活費に困っており、目の前には金銭を持っている男性たちがいる。そして彼らは流血沙汰の殴り合いをしており、自身に敵対する者を
「おい、お前ら」アタリは大声で言った。「一回落ち着けよ。他人を殴るなんてどうかしてるぜ。頭冷やして話し合おうじゃねぇか」
しかしながら男性たちは彼に目もくれず、未だに衝突し合っていた。アタリは彼らのうち角刈りの男性に近づいていき、そしてなだめるように肩に手を置いた。
「聞こえなかったか? 一回落ち着けっつってんだよ。もういい加減にして──」
そこでアタリの言葉は途切れた。彼の頬は角刈りの拳によって殴られ、同時に罵声が飛んできた。
「邪魔すんなボケ!
この時、アタリは免罪符を獲得した。相手に危害を与えられたため、自己防衛として相手に反撃してもよいという権利を、彼は手に入れたのだ。
アタリは
残った三人はアタリの突然の乱入に困惑し、取っ組み合いを止めて彼のことをまじまじと見ていたが、次の獲物は自分たちであることを悟ると互いに攻撃することをやめ、代わりに共通の敵となったアタリのほうへと襲いかかった。
アタリは地面に転がっていた瓶を手に取ると三人のほうに向かってそれを振りかざした。瓶はある一人のこめかみを直撃し、男性は一瞬で気を失って地面に倒れた。続けてアタリはもう一人の男性を殴打した。瓶は男性の頭に当たると砕け散り、アタリは瓶を捨てると男性の顔を殴ってとどめを刺した。
残るは一人、というところでアタリは最後の男性のほうを見た。男性はいつの間にかアタリの後ろに回っており、彼が振り向いたと同時に男性は勢いよく彼の体にぶつかってきた。アタリはすぐさま反撃として拳を繰り出そうとしたが、ふと脇腹に鋭い痛みが走ったのを感じて彼は思わずそちらを見た。
そしてアタリは目を見張った。なんと男性は彼の体にナイフを突き出しており、その刃先が肉体に埋まっていたのである。自分が刺されたということに気づくなりアタリは痛みで顔を歪めたが、男性はそんなこともお構いなしにナイフを突き進めた。傷口からは燃えるように熱い血が勢いよく流れ、それが彼のシャツと男性の手を赤く染め上げていた。
アタリは少しの間歯を食いしばって
それから突然、世界が止まった。アタリの脇腹から失われた血液は空中で止まり、かすかに遠くから聞こえてきた人々の話し声が止み、そして男性はアタリに体をくっつけたまま動かなくなった。まるで映像が途中で止まったかのように、世界は動きを失ってしまったのだ。
それから間もなくのことであった。空中で止まっていた血液が突然動き始め、それが衣類を通してアタリの傷口に戻っていき、そしてナイフが傷口からするりと抜け出た。それと同時にアタリの脇腹に開いていた穴が埋まり、男性はナイフを腰に構えたままアタリから下がっていったのだ。
その光景はさながら逆再生のようであった。ナイフを持った男性は一連の出来事に気づいておらず、ただアタリのみが逆再生の観測者となっていた。
そして次の瞬間、再び時は動き始めた。男性はナイフを握りしめながら刃先をアタリに向け、そのまま彼めがけて突撃した。本来ならばアタリはこのまま男性に脇腹を刺されることになっている。だが、それは起こらなかった。
アタリは男性に背を向けていたにもかかわらず回避行動をとった。ナイフは脇腹の横を通り過ぎ、アタリは男性の手首を掴むとそれを思い切りねじった。男性はうめき声を上げ、握っていたはずのナイフを手から放してしまった。しかし男性はそれだけでは止まらなかった。彼はもう片方の手で拳を作り、それを思い切りアタリの顔面に放った。しかし、アタリはまるで拳が飛んでくることを知っていたかのように片手で受け止めた。
アタリは男性を
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