第1章 獅子王と帝国の人質花嫁

第1話 虐げられし公主


 えん国への嫁入りを申し渡されたのは、梅の花が芽吹き始めた冬の終わり。

 早朝から雪がちらつき、壁に空いた穴から入り込む隙間風がひときわ冷たい日だった。

 毎朝食事を持ってやって来る宮女の態度も冷ややかに感じられたのだっけ。



「本日のお食事です」


 お世話係の宮女が、卓子つくえの上にドンと朝食を雑に置く。

 冷えきった麦飯と炒豆芽――もやしの炒め物だ。 


「えっ、これだけですか?」


 おなかをすかせていた私は目を丸くして尋ねた。おかずがいつもより一品少ない。冷や飯の量もお椀半分に減っている。とても十六歳の育ち盛りの娘が一日を乗りきれる量ではない。

 食事は朝食しか用意してもらえないというのに。


「本日よりこの量になります。皇后様のお申しつけです」

「皇后様が? なぜですか? 私、皇后様のお気にさわることでもしたのでしょうか?」


 全く心当たりはない。私は宮中の行事や宴に参席することを許されず、皇后様とは一年以上顔を合わせてもいないのに。

 戸惑いを覚えているとへやの扉が開き、侮蔑に満ちた声が響いた。


「それはね、お前がタダ飯食らいの役立たずだからよ」


 色鮮やかな襦裙じゆくんをまとった若い女性が私の方へと近づいてくる。

 今上帝の第二公主で、皇后様の一人娘。私より二つ年上の姉だ。


「……魅音みおんお姉様」


 私は気が滅入りそうになりながら、姉の名前を口にした。

 彼女がここに来たということは、またが始まるのだろう。

 身構えていた私に、姉は意地悪な笑みを浮かべて放言する。


「公主でありながら、国のために何もしていないお荷物だものね。宮女の方がよほど役に立つわ。だから、あんたには宮女より少ない食事でいい。そういうことよ」


 ――ああ、やっぱり。


 心の中でこぼし、口から出かかっていた溜息をどうにか呑み込んだ。

 姉はたまに現れては私を虐げ、日頃の憂さを晴らしていく。


「あんたの母親も役に立たなかったわよね。宮女だった時はまだいいわ。でも、お父様に色目を使ってあんたを産んで、目障りで仕方がなかった。いなくなってせいせいしたわ」


 我慢しようと思っていたのに、その話だけは聞き流すことができなかった。

 言い返してはだめだ。きっとひどい目にあう。

 それでも、私は口を開いた。


「出自の低い母親から生まれた公主は他にもいます。どうして私たちだけそこまで目の敵にするのでしょう?」


 自分はどう言われてもいい。でも、亡くなった母の悪口だけは耐えられない。


「私たちがお父様の寵愛を一時でもあなた方から奪ったからですか?」


 姉がカッとなって腕を振りあげた。

下賤げせんの分際で生意気な!」


 直後、パチンと頬を張る音が響き渡る。


「いい? お父様があんたをかわいがっていたのは、異能の力があったからよ! その証拠に力を失ってから、あんたに一切会わなくなったじゃない! あんたはね、お父様に失望されて捨てられたのよ!」


 私は叩かれた頬を押さえ、全身から血の気を引かせた。

 頬に受けた暴力よりも言葉の方がずっと痛くて胸に突き刺さる。それは忘れたい現実だったから。


「そんな子に何も与える必要はないわ。回収してしまいなさい!」


 姉が宮女に命じてきびすを返した直後、私の胸もとがブルッとうごめいた。


「この――っ」


 そう言って懐から飛び出そうとしたを、私はとっさに抱き止める。


 ――だめ!


「あんたみたいなお荷物、ここに置いてやるだけでも感謝なさい!」


 姉は忌々いまいましそうに言い放つと、食事を回収した宮女と一緒に房から出ていった。


「放すのじゃ、翠蓮! あの性悪女、絶対に許さぬ!」


 緑色の小さな龍が私のふところからひょっこり顔を出し、鼻息荒く主張する。

 丸みを帯びた角と牙に、もふっとしたたてがみ、そして細長い胴体から伸びた小さな手とつぶらな瞳が愛らしい。

 私が幼い頃に描いて具現化させた生物、小龍しようりゆうだ。


 彼こそ私が備えていた異能の結晶。

 私はりよう帝国をおこした神仙しんせん画仙がせん末裔まつえいで、描いた絵を具現化できる特殊能力を持っていた。

 画仙の力を受け継ぐ皇族が現れたのは、約百年ぶりだったという。


 ……今はもう失ってしまった力だけど。


「今日こそこれまでの恨み、晴らしてくれる!」

「だめよ、小龍、落ちついて! あなたまで消されちゃう」


 私は懐から抜け出した小龍をどうにか掴み止めた。

 私が描いて実体化させた生物は小龍以外みんな消されてもういない。皇后様を驚かせたからって。

 小龍も弱点である水をかけられただけで簡単に消えてしまう。


「私にはもうあなたしかいないの。お願いだから我慢して」

 

 私は必死に小龍をなだめた。彼は私に残された最後の友達だ。

 皇后様の歓心を買おうと、腹違いの兄姉や宮女たちまでいじめてくる中、唯一味方をしてくれる存在であり相棒でもあった。

 これまではどうにか隠し通せたけど、彼がいなくなったら本当に独りぼっちになってしまう。


「食事は大丈夫よ。後宮の奥でふきとうを見つけたの。花の手入れをするついでに採ってきましょう」


 努めて明るく微笑みかけると、小龍はようやく興奮を静めて大人しくなった。

 彼はきかん坊のように見えて、いつも私の意思を大事にしてくれる。

 私はさっそく自作の籠を準備し、小龍と一緒に後宮の園林ていえんへと繰り出した。



 梅のつぼみがふくらみ、桃色に色づいている。

 繁縷はこべなずなは白い小花を咲かせ、春の到来が間近であることを感じさせた。

 六人の神仙がそれぞれ六つの国を興したことから名づけられた六仙ろくせん大陸。

 嶺帝国は大陸最大の版図を誇っている。大陸の中部から南寄りの領土を持つ嶺帝国は、比較的春が早い。


「見て、小龍。水仙や山茶花さざんかまで咲いているわ。大事に育てた甲斐があったわね」


 私は園林に咲いていた花々を指さし、小龍と一緒に笑みを浮かべた。

 草花の手入れ、それは私の唯一の趣味だ。

 母と異能を失ってから絵を描くことは一切やめた。つらい思いをするだけだから。

 母を亡くし、失意に暮れていた私を慰めてくれたのが小龍と後宮に咲く草花だった。

 後宮の片隅には、食べられる野草もいくらか生えている。ろくに食べ物も与えてもらえない私にとっては、野草を収穫することが生きる手段でもあった。


 私は花に水をやりつつ、せりや蕗のとうなどの野草を摘んで籠に入れる。

 夢中になって作業をしていると、一緒に野草を探してくれていた小龍が声をかけてきた。


「翠蓮、風が冷たくなってきたぞ。そろそろ終わりにしてもよいのではないか?」


 空を見あげると、東で輝いていたはずの太陽がいつの間にか西へ移動していた。

 時間や空腹を忘れるほど作業に没頭してしまったようだ。


「そうね。戻りましょうか」


 小龍に微笑みかけ、住まいである小屋に戻っていた時だった。


「翠蓮! 翠蓮! どこにいるのよ、まったく!」


 小屋の方角から聞こえた声に、私はビクッと体を震わせる。

 魅音お姉様の声だ。

 今朝私を虐げたばかりだというのに、飽き足らなかったのだろうか。

 あまり待たせると、また機嫌を損ねてひどい目にあう。


「お姉様!」


 私は急いで姉の方へと駆けつけ、彼女の隣側を見て瞠目する。

 珠玉をちりばめた鳳冠ほうかんと豪奢な襦裙じゅくんを身にまとった貴婦人が、小屋の前に立っていた。


「皇后様まで……!?」


 いったいどうしたというのだろう。皇后様は私の顔を見ることさえいとい、ここにやって来ることはほとんどないのに。


 ……何だかすごく嫌な予感がする。

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