虐げられし公主の幸福な婚姻 人質花嫁は二人の王に寵愛される【第一部+番外編】

青月花


 涼やかな初夏の風が吹き、園林ていえんに咲き乱れる草花を揺らしている。


「見てください、翠蓮すいれん。今年初めて咲いた薔薇です」


 隣を歩いていたこうさんが園林の片隅を指さした。

 私は笑みを浮かべ、見事に咲いた赤い薔薇へと近づいていく。

 すると、ひときわ冷たい突風が吹き、牡丹や雛芥子ひなげしの花弁を舞いあがらせた。


 色とりどりの美しい光景に目を細めつつ、私は上衣うわぎをかき合わせて縮こまる。

 肌寒さに小さく震えていると、体が急に温かくなった。まるで肩から背中を真綿で包み込まれているかのように。

 後方に首をひねったとことで、煌さんと目が合った。

 私の肩に自分の上衣をかけていた煌さんは、はにかんだ笑みを浮かべる。


「朝はまだ冷えます。風邪を引いたら大変なので」


 体を抱き寄せながら耳もとでささやかれ、私の心臓は大きく跳ねあがった。


「煌さん!? 私は大丈夫ですっ。これでは、あなたが寒いでしょう?」

「いえ、北部で育った私は寒さに慣れていますから。南部生まれのあなたに、この風はこたえるはず。どうか風がやむまではこのままで。私もこうしていると全く寒くありません」


 そう言われてしまえば、彼の腕を振りほどくことなどできない。

 私は鼓動を高鳴らせながら、風がやむのを待った。


 大切に扱ってくれる気持ちはうれしいけれど、少し過保護すぎるのではないだろうか。私は人質として元敵国に嫁入りしたはずなのに。

 彼は私を深窓の令嬢、あるいは溺愛している寵妃のように優しく気遣ってくれる。


 ――私がいちおう大国の公主だから?


 戸惑いを覚えていると、ようやく風がやんだ。

 抱きしめてくる力が緩んだ隙をつき、私は彼の腕から抜け出して距離を取る。


「薔薇は無事のようですよ。よかっ――きゃっ」


 薔薇へと手を伸ばす私だったが、勢い余ってとげで指を切ってしまった。

 小さく悲鳴をあげた私に、煌さんが血相を変えて近寄る。


「翠蓮!」


 深い傷ではなかったものの、私の親指には血の露が浮かんでいた。


 ――あっ、まずいわ。


 嫌な予感がして煌さんを見た直後、彼の目の色が変わった。薔薇のような赤から血のように濃い深紅へ。顔つきも優しげなものから険しい表情へ。


「また怪我をしたのか。鈍臭い女だな」


 口調や性格まで豹変してしまう。


 やっぱり、こうなってしまったか。

 彼は血を見ると人格が変わってしまうのだ。


 優しく気遣ってくれていた温厚な男性の方が煌さん。

 今、目の前にいる険しい顔つきの男性が天煌てんこう様。


 指の出血を見た天煌様は面倒くさそうに舌打ちし、「貸せ」と言って私の手を取る。


「て、天煌様!? 何をっ――」


 彼の思わぬ行動に、私はドキッとしながら吃驚きっきょうの声をあげた。

 私の親指を唇まで持っていき、優しく舐めたのだ。治療を施すかのように。

 慌てふためく私を見て、天煌様は少し楽しそうに微笑んで告げる。


「本当に目が離せないな、お前は」


 珍しい彼の微笑に私はまた大きく鼓動を高鳴らせ、深紅の双眸そうぼうから慌てて目をそらした。

 天煌様は冷酷で厳しいところもあるけれど思いやりがあって、稀に見せる笑顔と優しい一面についときめいてしまう。

 私には煌さんがいるのに。


 どちらの彼にもドキドキしすぎて心臓が持たない。


 煌さんと天煌様、二人が気になり始めたのはいつのことだっただろう。

 元は同じ男性だとはいえ、どちらかを選ばなければいけないのだろうか。


 私は気持ちの整理をつけるため、ここに至るまでの経緯を振り返った。

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