第2話 人質の花嫁


「あの、何かご用でしょうか?」


 いつまでも見すえられているのは居心地が悪くて、私は恐る恐る尋ねた。


「あなたに伝えたいことがあってね」


 皇后様は珍しく私に微笑を浮かべて告げる。


「先ほどあなたをえん王の妃にすることが決まったわ」


 私ははじかれたように大きく目を見開いた。


「私が焔王の妃……?」


 焔は国境を巡って嶺と小競り合いを続けていた北方の軍事国家だ。嶺は南のさいとも争っていたためだいぶ押されていたらしく、最近不利な形で停戦協定が結ばれたと聞いている。公主の誰かを差し出すことになるかもしれないという宮女たちの噂話を耳にしたばかりだった。


「和平の証として焔王に公主を嫁がせることになったの。あなたがいいと思ってね。焔王は鬼神のように強く、まつりごとにおいても切れ者で隙のない王だと言われているわ。あなたにはもったいないくらいの傑物よ。ありがたくお受けなさい」


 皇后様がにこやかに命じたところで、姉が口を挟む。


「あら、お母様。ちゃんと教えてあげた方がいいんじゃない? 焔王は親や兄弟を惨殺し、王位を簒奪した冷酷非道な蛮王ばんおうだって。猛獣のように獰猛な性格と外見をしていて、獅子王ししおうと呼ばれているのだとか。野蛮なうえに好色で、すでに妃を何名も迎えているそうよ」


 女性をはべらせている獅子のような獣人を想像し、私はめまいを覚えた。

 かすかに震える私を見て、姉はニヤリと笑って言い放つ。


「役立たずな公主であるお前に挽回する機会を与えてやったのよ。卑しい下女の母親から生まれたお前が王の妃になれるの。感謝なさい」

「魅音の言う通りよ。この縁談を光栄に思って準備を進めなさい。それじゃあね」


 皇后様は満足そうに微笑むと、姉と一緒にすっきりした顔をして去っていった。


 ……何ということだろう。


 宮女たちも、焔王は血と殺戮を好む野獣のような男だと話していた。


 よりによって私が、あの悪名高い焔王の妃に選ばれるなんて……。


「王の妃? 今の話はどういうことじゃ?」


 戸惑いを覚えていると、後方の茂みから小龍の声が響いた。

 密かに私の後を追い、途中から皇后様たちの話を聞いていたようだ。


 できれば小龍にはついてきてほしいから、ごまかすわけにもいかない。


「焔の王様に嫁ぐことが決まったの。問題がある人みたいなのだけど、一緒に来てくれる?」

「……問題? 焔の王とはどんな輩なのじゃ?」


 私は小龍の質問に正直に答えた。

 焔王にまつわる噂や、この縁談が皇后母娘おやこにとってはていのいい厄介払いで、人質として嫁入りするようなものであることも。


「逃げよう、翠蓮! あのような国の奴らのためにぬしが犠牲になることはない!」


 あらかた事情を話すと、小龍が怒りに震えながら主張した。

 いくら小龍の助けがあっても、高い塀に囲まれた後宮から抜け出すことは不可能だ。当然、皇后様の命令を拒むことはできないし、逃亡して捕まれば私のように後ろ盾のない公主は殺されてもおかしくない。


「心配してくれてありがとう。でも、逃げても危険なことに変わりはないわ。どうせなら国の役に立って死にたいの。それに、他国へ渡った方がここで虐げられて生きるより、ましな生活が送れるかもしれないでしょう?」


 私は小龍に微笑みかけ、努めて前向きな気持ちで言った。焔王の人柄についても、あくまで噂話だ。帝国の人々が敵国の王を悪し様に言っていただけで、噂よりまともな人かもしれない。


 私の言葉を聞いて落ちつきを取り戻した小龍は、小さな腕を組みながら考え込んで頷いた。


「そうじゃな。嶺よりひどい国はない。どこに行っても、あの母娘がいる場所よりはましじゃっ。たとえ焔の王が野蛮な輩であろうと、主のことは守護龍たるわれが守ってやるからな!」


 胸を叩いて豪語する小龍に、私は笑みを深めて告げる。


「ありがとう。頼りにしているわね」


 焔王に会うのは怖いけど、小龍がいてくれたらきっと大丈夫だ。

 小さくてかわいらしい守護龍の存在が本当に心強い。


 嫁入りの準備はつつがなく進められ、私たちはその十日後、焔国へと旅立った。



   ◇ ◇ ◇



 焔は六神仙の一人・武仙がおこした大陸北方の軍事国家だ。

 長年騎馬民族によって統治されてきた影響で、何よりも武力を重視し、血と炎の色である赤を尊ぶとされている。


 王宮から後宮に至る壁や屋根は全て赤く染色されていて、国の気風や価値観の違いを思い知らされるばかりだった。


 私は焔国の女性武官に案内されて紅牆こうしようの路を進み、その先にある後宮の門をくぐり抜ける。


 すると、門の近くで待ち構えていたお団子頭の少女が元気よく声をかけてきた。


「ようこそおいでくださいました、姚妃ようひ様! 今日からお世話をさせていただく暎暎えいえいす。どうぞよろしくお願いしますね~!」


 私はびっくりして暎暎と名乗った少女に目をらした。

 少女と言っていいかわからないが、垂れ目がちで童顔のため年は十五歳くらいに見える。小柄な体に旗袍チーパオ風の長衣とズボンをまとった快活そうな女性だった。


 焔は宮女の気質や作法まで帝国とは違うようだ。

 嶺では皇族や妃嬪に気安く声をかける宮女などいない。

 私なんて陰湿な嫌がらせを受けるか無視されるばかりだったため、彼女の反応にはかなり驚かされた。


 ――『姚妃様』って私のことよね?


 聞き慣れない呼び名でもあったため、念のため周囲に該当しそうな女性がいないか確かめてみる。

 門の近くには宮女と門衛を勤める宦官以外は誰もいない。

 やはり私のことのようだ。


「あの、焔の後宮では『姚妃』と呼ばれなければならないのでしょうか?」


 どうにも落ちつかなくていてみる。


「はい。焔で妃嬪ひひんと呼べるのは四人の妃だけで、姓に妃をつけて呼ぶのが習わしなんです。確か、帝国の妃嬪は四夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻の計百四十一名もいるんでしたよね? 呼び方ももう少し複雑なんだとか」

「ええ、詳しいのですね」

「両親が皇城にも出入りしている商人なんですよ~。私も帝国については結構学んでいたから姚妃様の侍女に選ばれたんです。こっちの後宮は今、御代みよが替わったばかりで人手が足りなくて、しばらくは私一人でお世話をさせていただきますが、ご容赦ください」

「それは全然構いませんが」


 侍女なんてつけてもらえたのは子どもの頃以来だ。

 母と異能を失ってから自分のことは全部自分でこなしてきたので、侍女がいなくても特に不都合はない。


「長旅でお疲れかと思いましたので、寝床は整えておきました。もうお休みになりますか?」

「まだ大丈夫です。それよりこの後の予定は? 焔王陛下と対面したりしないのでしょうか?」

「特には聞いてませんね。自由にしてくださっていいと思いますよ~」

「……え? 婚礼の儀とかは?」


 曲がりなりにも帝国の公主と国王の婚姻だ。


 ――初夜だってあるのよね……?


「ないと思います。今日はずっと寝てても大丈夫ですよ~」


 暎暎は溌剌はつらつとした笑顔で返した。


「そんな適当でいいのですか!?」


 私はつい声を裏返し、確認してしまう。

 目を白黒させる私に、暎暎は声を潜めて答えた。


「実は、陛下は戦や政務に忙殺されているのか、後宮で見かけることはほとんどないんですよ」

「……そう、なのですか? お忙しいお方なのですね」

「はい。だから、趣味でも見つけて自由に過ごすといいですよ~」


 ――趣味?


 冗談だろうか。人質として嫁入りした私が、そんな気ままな生活を送っていいはずがない。

 新しくやってきた妃の緊張をほぐそうと気遣って言ってくれただけだろう。


 あまり期待しないことにして、私は暎暎の案内に従い、住まいとなる殿舎に向かっていった。

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