『名探偵と七匹の嘘つき猫』

ソコニ

第1話



第1話:探偵事務所の奇妙な依頼


雨の音が事務所の窓を叩いていた。私立探偵の山田太郎は、机の上の請求書の山をため息まじりに見つめていた。バブル期には「名探偵」と呼ばれた彼も、今では家賃すら滞りがちだ。


そんな憂鬱な午後、ドアをノックする音が響いた。


「探偵さん、私の猫が毎晩どこかへ行くんです」


中年の女性・倉田美咲は、どこか品のある佇まいで、手に持った写真を差し出してきた。写真には、白地に茶と黒の斑点がある三毛猫が写っていた。「ミケ」と名付けられた猫は、瞳が異常なほど澄んでいた。


「夜な夜な姿を消すんです。朝になると必ずベッドで寝ているのに」


山田は内心で苦笑した。猫の尾行とは、20年のキャリアでも初めての依頼だ。普通なら即座に断るところだが、机の上の請求書が目に入る。


「承知しました」


その言葉を告げた瞬間、倉田の顔が明るく輝いた。しかし同時に、山田は彼女の瞳の奥に、何か別の感情が潜んでいることに気付いた。不安?それとも焦り?


誰もが些細な依頼だと思っただろう。だが、これが史上最大の事件の糸口になるとは、その時は誰も想像していなかった。




第2話:消えゆく足跡


夜11時、山田は倉田家の前で張り込んでいた。缶コーヒーを飲みながら、自分の人生を考える。かつては難事件を次々と解決し、新聞を賑わせた。今や猫の尾行か。そんな自嘘めいた思いに浸っていると、窓から白い影が飛び出した。


ミケだ。


尾行を始めると、猫は不可思議な行動を見せ始めた。まっすぐ進んでは突然方向を変え、時には来た道を引き返す。プロの尾行を撒くような動きだった。山田は思わず身構えた。単なる猫の気まぐれにしては、動きが計算されすぎている。


30分後、ミケは古い倉庫街へと入っていった。そこで山田は、凍りつくような光景を目にする。


月明かりの下、十数匹の猫たちが集まっていた。全ての猫が、まるで人間のように直立して座っている。そして驚くべきことに、全ての猫が同じ方向を見つめていた。


建物の表札が、月光に照らされて浮かび上がる。


「深山探偵事務所」


山田の喉が乾いた。深山――かつての師であり、最大のライバル。半年前から姿を消した男の名前が、ここで再び浮上するとは。




第3話:競合他社の謎


深山探偵事務所。その名を目にした瞬間、山田の記憶が蘇った。


15年前、山田はこの事務所で助手として働いていた。深山は天才的な洞察力の持ち主で、山田は彼から多くを学んだ。しかし、ある事件をきっかけに二人は決別。山田は独立し、深山とは競合関係となった。


そして半年前、深山は突如として姿を消した。


警察の捜査も手掛かりなし。興味深いことに、事務所の家賃は毎月きちんと支払われている。誰かが深山に成り代わって支払っているのか?それとも...。


山田は建物に忍び込むことを決意した。暗号キーは、15年前と同じだった。深山は、いつか山田が来ることを予測していたのか。


中は驚くほど整然としていた。埃一つない。誰かが日々掃除をしているような清潔さ。そして、机の上には7枚の写真が並んでいた。


すべて、事件現場の写真。しかも、山田が関わって解決できなかった事件ばかり。その事実が、山田の自尊心を深く刺した。




第4話:7つの未解決事件


机の上の写真を見て、山田は息を呑んだ。


1枚目。半年前の青山宝石店強盗事件。防犯カメラも警報装置も完璧に破壊されていた。

2枚目。4ヶ月前の美術品窃盗事件。指紋も足跡も皆無。

3枚目から7枚目まで。すべて、完璧すぎる犯罪の現場写真。


共通点は、証拠が何一つ残されていないこと。まるで、幽霊が犯行を行ったかのようだった。


しかし、山田の鋭い眼は見逃さなかった。それぞれの写真の隅に、かすかに残された足跡。猫の足跡。偶然にしては出現場所が規則的すぎる。


そして、それぞれの写真の裏には、深山の流麗な筆跡で日付が記されていた。最後の写真の日付は、深山が失踪する前日。


山田は深山の机の引き出しを開けた。そこには一冊のノートが。開くと、こう書かれていた。


「完璧な犯罪を見つけた。だが、それは人智を超えた存在によって行われている」




第5話:深山探偵の失踪


翌日、山田は深山について徹底的に調査を始めた。


表向きの情報は既に警察が調べ尽くしている。そこで山田は、深山の行動パターンを分析し始めた。深山には変わった趣味があった。毎朝、野良猫に餌をやることだ。


近所の住人の証言。

「深山さんは毎朝4時に、猫に餌をやっていました。最後に見たのは、失踪する2日前。いつもと様子が違って、猫たちと何か話をしているように見えました」


山田は、深山の自宅も調査した。本棚には動物行動学の本が並び、特に猫の知能に関する研究書が目立つ。さらに、実験ノートも発見された。


その内容は常軌を逸していた。

「猫の知能を人間レベルまで高める実験」


最後のページには、こう記されていた。

「実験は成功。しかし、予想外の事実を発見した。彼らは既に...」

そこで文章は途切れていた。




第6話:猫たちの密会


その夜も、山田は猫たちの後をつけた。今度は、猫たちは廃工場に向かった。


工場内で、猫たちは完璧な円陣を組んで座った。月明かりが、工場の天窓から差し込む。


そして、信じがたい光景が始まった。猫たちが、人間の言葉で話し始めたのだ。


「今夜の標的は美術館だ」

「警備システムの死角は確認したな」

「計画通り、完璧に」


山田は思わず声を上げそうになった。深山の実験は本当に成功していたのか?しかし、猫たちの会話は、もっと衝撃的な事実を明かすことになる。


「深山には感謝している。我々の存在を受け入れ、理解してくれた最初の人間だった」

「だが、彼は真実に近づきすぎた」

「真実を知った人間は、消さなければならない」


その時、山田の背後で物音が。振り向くと、そこには見知った顔があった。




第7話:最後の嘘


深山の元助手・佐藤だった。彼は銃を構えていた。


「さすが山田さん。ここまで辿り着くとは」


すべての謎が繋がった。佐藤は、猫たちの存在を利用して完全犯罪を実行していた。深山はそれを突き止めかけた。そして、消された。


「人類は、彼らの存在を知る準備ができていない」佐藤は静かに言った。「深山さんは、その事実に気付いてしまった」


しかし、その時。


「違う」


声は、暗がりから。そこに現れたのは––深山だった。生きていたのだ。


「佐藤君、君は間違っている。猫たちは最初から人間の言葉を話していたわけではない。私が特殊な音声装置を使って、彼らの鳴き声を人間の言葉に変換していただけだ」


「嘘だ!」


「君は、自分の妄想に囚われていた。完璧な犯罪への執着が、君を追い詰めていた」


実は深山は、佐藤の犯罪を証明するため、自分の死を偽装していたのだ。そして、猫たちを使って佐藤を追い詰める計画を立てていた。


警察が到着。佐藤は逮捕された。




エピローグ


後日、深山は山田に真相を語った。


「私の失踪も、猫たちの人語も、すべて芝居だった。これが最後の嘘です」


実は、猫たちに特殊な能力は一切なかった。深山は、猫を異常に怖がる佐藤の心理を利用し、彼を追い詰める計画を立てていたのだ。


「しかし、なぜそこまで」と山田が尋ねると、深山は静かに答えた。


「人は、自分の信じたいものを見る。佐藤君は完璧な犯罪を求めるあまり、普通の猫に特別な力を見出してしまった。彼の妄想を利用して、真実へと導いたんです」


山田は依頼人の倉田に報告した。

「あなたの猫は、正義のために一役買ってくれました」


倉田は穏やかに微笑んだ。

「ええ、きっとそうですね。でも探偵さん、私からも告白があります」


彼女は深山の妹だった。兄の計画を手伝うため、山田に依頼したのだ。


その夜も、街のどこかで、猫たちは静かに歩いていた。彼らは本当に何か特別な存在なのか、それとも単なる猫なのか––それは誰にも分からない。


ただ、都会の夜に浮かぶ月を見上げる猫たちの瞳が、どこか人間的な輝きを放っているように見えるのは、きっと私たちの想像力が生み出す、最後の嘘なのかもしれない。

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