第16話 異変

「推真を宿し、謎好に抗するには、そういった資質もまた重要とされているのですから」

「だとよいのですが。――そういえば、今年もまた仕掛けをされるんですね?」

「やりますよ」

 問われた学園長は再び顔を上げ、にやりとした。

「私の楽しみの一つでもあるからね」

「生徒の成績評価とは直接には無関係だからといって、あまり極端なのはやめておいてくださいよ。その後、余計な警戒心を抱かせて本領を発揮できなくなる子がいないとも限りません」

 柊は身振り手振り――心臓を押さえる様や後ろを振り返る様――を交え、殊更強く注意した。対する長門はどこまで本気で受け止めたのか、軽く笑い声を立てる始末。

「あはは。お化け屋敷じゃないのだから、驚かせるのはほどほどにしておきます」

 快活に笑い飛ばしつつも約束した。


             *           *


 異変が起きたのは、阿畑刑事の二つ目の事件に関する説明が、佳境に入ったところだった。各人のアリバイについてざっと語られ、殺人現場となった部屋の鍵の動きと重ね合わせると、誰にも犯行は不可能――という状況が完成しつつあった。

「――生徒の皆さん、すみません。アクシデントが発生した模様です」

 話しているのは阿畑刑事なのだが、先ほどまでとは声のピッチがちょっと違う。どこかしら機械的な喋りだったのが、今は人が声を当てているんじゃないかと感じられる。根拠はないけど。

「テストは一旦休止とします。質問があるかと思いますが、現状では受け付けられません。これは皆さんにとって真にアクシデントであり、テストが中断したことは私――学園長の長門の名において保証します。アクシデントに見せ掛けてテスト続行中である、というようなことは決してないので、安心してください。それでは指示を伝えますが、最後まで聞いて、始め!のかけ声を合図に行動を開始してください」

 やはり、生身の人がじかに声を当てていたようだ。それにしても学園長が出て来るなんて、アクシデントというのはかなりの大ごとなのかもしれない。

「このあと、皆さんは速やかにログアウトしてもらいます。ログアウトが済んだら、ヘッドセットを外し、各班で生徒同士、全員無事に揃っているかどうかを確認願います。確認を終えたら、その結果にかかわらず、教室にいる河原かわはら先生の誘導に従ってください」

 河原先生の名前が出て、え?っとなったのは僕だけじゃあるまい。このテストを仕切っていたのは、河原先生じゃなく、猪口先生だった。他にもう一人、テストの進行状況を僕ら生徒と同じ立場でモニターする太田黒おおたぐろ先生も試験開始前からいた。この二人じゃなく、河原先生がわざわざ足を運んで指示を出してくれるようだけれど、何の理由があってそんな手間を掛けるんだろう? 早くヘッドセットを取って、この目で確認したい衝動に駆られる。けれども思いとどまり、指示を待った。

「以上です。それでは、始め!」

 合図の声が聞こえると同時にログアウト、それからヘッドセットを両手で掴んで外す。僕はすぐに教室内をぐるりと見渡した。

 大半の女子と男子の中でもお洒落に気を遣うタイプの奴が、髪を気にする仕種をしている。それ以外は僕と同じように、室内をきょろきょろと見回していた。

 上手の中央に立つ河原先生の姿を、やや遅れて認識する。先生は前髪をかき上げてから、「はい、みんな前の扉から迅速に外へ移動して。慌てず、前の席から順番に!」と声を張った。その両手には、何故か手袋が填めてあった。軍手の類ではなく、ラテックス製の透明っぽいやつだ。

 試験官である猪口先生の姿はない。教壇のすぐ横に立っていたはずだが、教室のどこにもいなかった。一方、太田黒先生は僕ら生徒からは少し離れた、最後列の廊下際の席に座っていた。小柄な女性教師で、専門は心理学。だからと言うのも変かもしれないが、気配を消すのがうまいことで、僕ら生徒の間では知られている。

 そんな太田黒先生が、確かにそこにいる。

 元からその場所にいたのは間違いないんだけれども……何かおかしい。まだヘッドセットを外していないばかりか、身じろぎ一つせずに座った姿勢をキープしている。まるで、映画でも観ていて寝落ちしたかのような……いや、それにしては背筋が伸びているし、顎も下がっていない。両手は肘掛けをしっかり掴んでいる風に見えた。

 僕と同じ疑問を持った生徒は当然いて、後ろの方の生徒何名かが、太田黒先生に声を掛けながら、近付こうとする。

 と、途端に河原先生が「余計なことはするな!」と声を大きくする。体育の先生なんだけど、いつもは穏やかな性格で、怒鳴ることなんて滅多にない。そんな人が鋭く叫んだものだから、大半の生徒がびくっとなった。僕もだ。

 その大半には含まれない一人、委員長の志賀さんが「でも、太田黒先生の様子が」と抗弁混じりに言う。その台詞が終わらぬ内に、河原先生は「太田黒先生のことはいいから、早く出なさい」と言葉を被せてきた。さらに両手でパンパンと音を鳴らし、急かし気味に促してくる。

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