第17話 忘れもの

 志賀さんは一瞬、眉間に小さくしわを作ったものの、素直に「分かりました」と応じ、ついで僕ら同じ班の面々に「行きましょ」と促してきた。


 その後、河原先生の誘導で、クラスの教室に全員戻され、次の指示があるまで待機するようにと言われた。

 僕なんかは、まあハプニングには多少動揺したものの、待機を言われるのは予想通りだったので、はいはいと従うつもりでいた。ほとんどのクラスメートがそうだったと思う。けれども、志賀さんは違った。

「時間を区切っていただけませんか」

 立ち去ろうとする河原先生に、やや強い調子でそうお願いしたのだ。委員長としての務めが念頭にあるのかもしれない。

「時間、とは?」

 足を止めて向き直った先生が、確かめる風におうむ返しをする。

「待機と言われましたが、いつまでもずっと待たされることになるかもしれないというのは不安でなりません。たとえば、何時までに次の指示があるのかということと、その時刻までに指示がなかったら下校してよいということにできないかと思ったんです」

「……気持ちは分かる。ただ、私の一存で即答できることでもない。だから」

 数瞬、思案の間を取る先生。

「ひとまず、三十分待ってくれるか。それまでにまた来る。私ではなく、他の人かもしれないが、とにかく先生が来る。万が一、誰も来なかったら、すまないが、クラスの代表が職員室まで来てくれ。それでいいか?」

「分かりました」

 応じてから、クラス全体を振り返って、「みんなは? 聞きたいことがあったら今の内に聞いた方がよさそうよ」と促す委員長。河原先生は早く戻りたそうにしてるんだけど、これでは行くに行けないだろうな。

 それでも、そこはさすが大人だ。「悪いけれど、急いでいるの。質問があっても一つだけにして」と釘を刺してきた。こうなるとその一問を聞けるのは早い者勝ちってことになる。いち早く手を挙げたのは、梶山だった。

「じゃ、男子を代表して。今日の試験は仕切り直しになると思うんですが、その場合、まったく新しい問題が出されるのか、内容を引き継いだものになるのか、今の時点で分かることを教えてもらえますか?」

 早口で言った。まあ、この質問ならクラス全員が知りたいことだろうから、文句は出まい。

「正式決定ではないが、試験実施則では同じ内容で続きを行うことと定められている。模擬事件を用意するのはそれなりに手間が掛かるからな」

「え、じゃあ、このあとみんなで相談してもいい、とか……?」

 なるほど、この疑問は尤もだ。まだ事件の全貌は見えていないにしても、クラス全員で話し合うのを認めたら、何のために班分けしたんだということになりかねない。

「質問は一つだけと言ったぞ。まあいい。探偵が第一に目標とすべきは事件の速やかな解決である、これが大原則。試験という観点からも公平な勝負が保てる限り、問題はない。ただし、足の引っ張り合いだけはするな。話し合うのなら前向きに、だ。以上」

 サービスはここまでとばかり、先生は答えるとすぐに出て行った。普段は走らないように言われている廊下を、駆けていく足音が響き渡る。

「どうする?」

 先生とのやり取りからの流れで、梶山が言った。模擬殺人についてこれまでに得られている情報から、推理を全員で始めるかどうか。

 試験中断というハプニング故か、みんな口々に話すようなことはない。意見を求めるかのように、志賀さんに注目している。

 委員長はこめかみの辺りに右手人差し指をあてがい、少し考えてから言った。

「各班、得ている情報に多少の差があるはずよね。だったら、いきなり全員で推理を繰り広げようにも、認識のずれがあって混乱するかもしれない。だったら、分かっていることを書き出して、全員で情報を共有してからがいいと思うわ」

「書き出すって、結構手間だよな。基本的な情報なんてあのデジタル空間の中で記録されると思ったから、細部まで覚えてないし」

 僕は二人のそんなやり取りを聞いている内に、ICレコーダーを借りっぱなしだということを思い出した。どうしよう。今、返却しに行くタイミングじゃないのは分かるし、具体的にいつまでに返さなければならないという話はなかった。だから焦ることはない。ただ、レコーダーをポケットから取り出して、録音状態になっているのを見たときはびっくりした。スイッチを入れた憶え、全然ない。試験の説明を受けているとき、もしくはテスト中に、無意識の内にポケットに手をやって、ICレコーダーを触っていたらしい。すぐさま切った。まさかないとは思うが、録音内容にカンニングにつながるようなことが万が一にも入っていたら、疑われるかもしれない。……でもテスト中、あの教室内でそんな声や音がするなんて、あり得ないか。まあ、念のため、あとで一人になれたら返却前にこっそり聴いてみようかな。不味ければ消去しとこうっと。

 てなことを一人で考えていると、音無さんの「深海君、聞こえてる?」という声が耳に届いた。

「あ、いや、ぼーっとしてた。何? ワトソンとしての記録のことなら――」

「あら? 考え事をしていた風に見えましたけど」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る