盲信者との戦い
その日の帰りも夜になっても、なにも起こらなかったものの。
学校に行こうとした途端に、私は嫌な予感がして、スカートのポケットに突っ込んでいたお箸を投げつけた。それはアスファルトにサクッサクッと刺さる。
「誰!?」
幻獣の気配ではなかった。香木の匂い……聖女フォルトゥナの近くに蔓延しているその匂いを纏わせた人が、朝っぱらから歩いてきたのが問題だったのだ。
「……聖女フォルトゥナに仇なす異端者が現れたと聞いたが……まだ年若い乙女ではないか。なんと憐れな。なんと憐れな」
その匂いを漂わせていたのは、白い神官装束に近い服を着た人だった。でも神官っぽく思えないのは、信者が自主的に着ているからに他ならないからだろう。
盲信者。それも重度の奴が、朝っぱらから私を捕縛に現れたのだ。
そもそも、私はこの人に憐れまれる意味がわからない。『フォルトゥナ』の世界だったらいざ知らず、この世界には仏教も神道もあるのだから、女神フォルトゥナだけを信仰するフォルトゥナ教絶対正義の考えには染まっていない。
「……日本には内心の自由があると思います。人に憐れまれなくっても、私は自由です」
「なんと! 憐れな……なんと憐れな」
駄目だ、会話が成立しない。でもこの人に捕まって、粛正騎士に捕まったら一貫のおしまいだ。ああ、こんなときにタイミングよく茜とか日盛とか潤也先輩とかに会えたらいいのなあ! 茜や日盛は部活あるし、潤也先輩は神出鬼没だからあてにならないし、無理だ。
暁先輩はそもそも大学なのだから、朝っぱらからこの辺歩いてないと思う! 調理道具以外どうにも使えない私でどうやって逃げ切ればいいのかわからないけど、ひとりで対処しろってことね! ひどい!
そもそもこの人、私たちが前世の力を使えるみたいに、なにか仕掛けてくるんだろうか。聖女フォルトゥナの盲信者となったら……彼女から奇跡の力を分けられている可能性もあるけれど。
ただ、もしそうだったらそれはすごく困る。
前世のウエスタも、行儀見習いなだけで信仰心も特に篤くはなく、盲信者たちの使う奇跡のお裾分けの能力には手も足も出なかった。この人が使ってきた場合、私では対処ができない。
せめてここに日盛がいたら。本当だったらその手の対処に一番向いているのは暁先輩だけれど、暁先輩がこんなところ歩いている訳がなかった。
私はスカートの中のお箸に手をかけながら、なんとか距離を稼いで逃げようとする中。猛信者は口を開いた。
「【女神フォルトゥナ 偉大なる女神 憐れな信者に煉獄を──……】」
「……っ!?」
途端に頭にビリビリと響き、足が地面に縫い付けられる。
やられた。やっぱりこの盲信者……聖女フォルトゥナから奇跡のお裾分けをされているし、しかも煉獄って……。
彼女が悔い改めたと判断するまで、いつまでもいつまでもその中に閉じ込められて精神的拷問をされ続けるものだけれど……さすがにそこまでの力はないらしいものの、足止めには充分だ。
「ああ、憐れな娘。このままフォルトゥナ教会に行こう。そこで悔い改めるのだ。今の考えのなにもかもが間違っていたと。その考えをどうか聖女フォルトゥナに流してもらい」
「……や……だ」
必死に口を動かし、なんとか拒否の言葉を搾り出す。それに盲信者は足を止めた。
「今なんと?」
「あの女の……言うことなんか……聞かない……聞いてなるもんか……あの女は……」
あの女は敵だ。あの女はいけ好かない。前世のバッドエンドばかりで虫食いだらけの記憶でも、そればかりははっきりとしていた。
私だって、あの女のなにがそこまで気に食わないのか思い出せないけれど、きっと彼女の言動で我慢ならないことがあったからこそ、自分の恋をかなぐり捨ててまで、戦わないとと思ったはずなんだ。
その気持ちすら異端だからと切り捨てられては我慢ならない。
私の必死の抵抗に、盲信者は顔を歪めた。
「せっかくこの聖女フォルトゥナのおわす時代に生まれておいて! なんたる恥知らずな! なんたる無知か! やはりその考えは捨てさせるに限る!」
「信仰は人の心の平穏のためにあり、それを強要するようになったら、もはや信仰とは言わん。それはプロパガンダと言うんだ」
そうばっさりと盲信者の言葉を切り捨てた声に、私ははっとした。
気怠げに歩いてきた暁先輩は、じっと盲信者を見た。それに盲信者は目を吊り上げた。
「おのれ……聖女フォルトゥナを辱める異端者が! 彼女の願いを勝手に小説で面白おかしく書いて!」
「ほう……俺の書いた『フォルトゥナ神話』を読んでくれたのか。いい読者だなあ」
「あんなものは神話とは呼ばん! 聖女フォルトゥナの辱めだ!」
そうだったの? あの本、本当に「女神フォルトゥナ万歳」しか記されてなかったのに、盲信者が怒り出すような内容が書いてあるとは思えなかった。
暁先輩は盲信者を鼻で笑いつつ、「東雲」と声をかけてくる。
「はっ、はい」
「とりあえず奇跡を剥奪するから待て。【煉獄はここにはあらず。罪人はここにはおらず。されど咎人は途切れぬことなく、辺りは一面白骨の山──……】」
暁先輩は私に呪文を唱えると、途端に私を抑えつけていた力が抜け、その瞬間私の体は反射的に跳ねた。途端に呼吸がしやすくなり、呂律も回るようになってきた。
「ありがとうございます」
「そうか。さて、この盲信者をどうしてくれようか」
そうなんだよな。幻獣は殺せば消えておしまいだったけれど。盲信者は人間であり、死んでも遺体は普通に残る。この世界にも普通に司法があるのだから、殺すわけにもいかない。
「逃げるか、お帰り願うかは……」
「無理だな。盲信者は聖女フォルトゥナの言葉は絶対正義だ。あれに反する行動を取ったと判断したら、いつまでも追いかけてくる。でも普段は品行方正な行動しか取らないから、こんな人目に当たる場所で襲撃なんてかけてこないが。君、目を付けられるようなことしただろ?」
半眼で睨まれ、私は縮み上がった。
……はい、自業自得で現在進行形で迷惑かけています。
「……ごめんなさい。前に聖女フォルトゥナが前世の人と同一人物かどうか確認したくて……フォルトゥナ教会見張ってました」
「なるほど。あとで君は説教だ。先にあれをどうにかしよう」
「どうするつもりで?」
「信仰を捨てさせる」
「はい?」
なにおそろしいこと言ってるんだ、この人は。
でもよくよく考えると、暁先輩の行動は一貫しているんだ。前世のときは聖女についての知的好奇心を満たすことが第一行動理念だったんだから、味方のときも敵のときもそこは一貫していた。
そして現世。私たちの知っている歴史と変わってしまったこの世界の謎を解き明かそうとすることを第一前提としている。
とてもじゃないが、神官とは思えない行動理念だ。
「……なにするんですか?」
「人間、苦痛にはいつまでも耐えられないらしい。信念は苦痛と快楽の前ではどれだけ強固な信念を持っていても、それを捨てさせることが容易だ」
だからこの人乙女ゲームの攻略対象の自覚持って!? この世界乙女ゲームないけど!
悲鳴を上げて増援を呼ばなかっただけ、私はマシな判断をしたらしい。
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