元神官の実力
暁先輩は盲信者と対峙しながら、淡々と呪文を唱える。
この人、現世においても本気で知的好奇心最優先で、世界の危機とか規律とか誰かの命とかどうでもいいなと、既に盲信者のほうが気の毒な気分になってくる。
私がそうひとりで呆れ果てている中、盲信者もまた「ちっ!」と声を荒げて、なにやら分厚い本をどこからともなく取り出すと、それを広げてきた……おそらくはフォルトゥナ教の聖書だろう。ウエスタも行儀見習い時代は似たようなものを持たされ、礼拝のときに読んでいたような気がする。
「【女神フォルトゥナ 偉大な女神 汝の敵は我の敵 我の敵こそ汝の敵 今こそ共に──……】」
「【煉獄はこの世にあらず 天国はあの世にあらず 愚かな民に裁きの道を──……】」
盲信者が稲光を起こし、それを私たちに向けて打とうとしてくる……って、こんなもの人間が当たったら速攻で死にますけど……!?
なに考えてるんだ、本当に頭フォルトゥナだなあ!?
私が頭を押さえ込む中、暁先輩の詠唱が終わった。途端に稲光は消え失せたけれど、代わりに辺り一面夜になる。
「……え?」
「言っただろう。信仰を捨てさせると。俺はフォルトゥナ神話の一場面を再現したに過ぎない」
「フォルトゥナ神話って……暁先輩の書いたシェアワールドですよね? それ、あの人の言い方が本当ならば、フォルトゥナ教の教えから結構ずれているらしいんですが」
「あれは教義の上で教える話を省いているに過ぎない。実際に植民地を蹂躙した歴史を侵略国に教えた結果求心力が下がったからわざと教えないというのはあり得る」
「なるほど……」
そんなことは前々世の千里のときに勉強していたような気がする。世の中歴史でも真実だからと言って教えない歴史だってあるって話だ。
要は暁先輩は、「これが聖女フォルトゥナの考え」と、熱心な信者に冷水ぶっかけるつもりなんだ。
だんだん、盲信者の様子がおかしくなってきた。
「嘘だ! 我らが女神フォルトゥナが……我らが聖女フォルトゥナが、そんなおぞましいことをする訳がない!!」
「そもそも。正しいからと言って、司法のあるこの国で平気で懲罰騎士を編成している宗教が正義な訳はないと思うが」
暁先輩はただ淡々としている。どこまで言ってもこの人は、感情では動いてくれない。自分の知的好奇心の赴くままにだったら、非人道的なことだって平気でやるのだから。
私がぞっとしている間に、夜が明けた。
気付けば朝の登下校路であり、そこに盲信者が膝を突いて明後日の方向を見ていた。
暁先輩は淡々と尋ねる。
「教義を捨てるか?」
「信じられない……信じられない…………ああ、聖女フォルトゥナ……どうして」
その人は虚空を見つめて、ずっとぶつぶつ独り言を呟いていて、それに私はぞっとした。
「あの……暁先輩、この人どうして……」
「信仰心が盲信にまで陥った結果、真実を教えてもそれをそのまま受け止めることができないんだろうさ。だから自分の作り出した虚構の聖女像に縋り付いているんだろう、あの女はそんなに上等なものではないというのに」
「そんな……だとしたらこの人はこのまま……?」
「放置しておけば、いずれ警察に通報されて、連行されるだろうさ。さすがに警察に保護された信者にどうこうは、表立っては健全な宗教組織のフォルトゥナ教もとやかくはしないだろうさ。フォルトゥナ教信者が警察内に紛れてないのを祈るしかない」
「……っ」
学校の先生に閉じ込められて、危うく懲罰騎士に引き渡されるところだった私は、どこに隠れ潜んでいるかわからないその人たちにぞっとするしかできなかった。
それから、私は学校までは暁先輩に送ってもらうこととなった。本当はひとりで行きたかったし、また嫌がらせに遭う口実を増やしたくなかったけれど、暁先輩はなぜかいきいきしながら言う。
「俺たちの中で一番無力なはずの君を重点的に聖女フォルトゥナが狙うなんて、なにかあるに決まっているじゃないか。それを無視してゼミに篭もってはいられないさ」
「あなたほんっとうに神官だったんですかね!? どこまで言っても自分本位が過ぎるんですけど!?」
思わず悲鳴を上げるものの、暁先輩はニヤニヤするばかりだった。
「君に対してずっと嫌がらせを繰り返されているんだってねえ? そして君は前世の記憶を思い出すのに、一番時間がかかった……」
「……そういえば、私が戻ったのはつい最近なんですけど。暁先輩は?」
「幼少期には既に、前世の記憶があったからね。そしてそれを表立って口にしたら、まず間違いなく聖女フォルトゥナに目を付けられることはわかっていたから、極力隠していたのさ」
「それは……」
そりゃそうか。前世でだってメルクリウスは聖女フォルトゥナが刑にかけるのをやめて手元に置くくらいに優秀だったんだから、そんな彼が転生して前世の記憶を持っているなんて知ったら、どんな手段を使っても手元に置こうとするし、いい機会だからと洗脳かけて二度と逆らわないようにするなんてこと、する可能性があるんだ。
そりゃ隠し通すに決まっている。でも……なら。
「ならなおのこと、フォルトゥナ神話を書いたのはどういう理屈なんですか? 前世の仲間捜しのためとは、前にも伺いましたけど。普通に考えたら、聖女フォルトゥナを敵に回す行動ですよね?」
「それはもちろん。聖女フォルトゥナがこの世界でなお前世倒した相手を執拗に狙うのかを知りたいからさ。だって今の君を見ていたら」
「はい」
そういえば、暁先輩はなにかを言いかけていたな。そう思ったら、彼は高い身長を屈めて私の髪を梳くと、耳元に唇を押し当ててきた。最初はドキリとしたものの、彼が告げた言葉を聞き、これがサスペンス展開だと思い知る。
──君、まるで煉獄の中に捉えられて、何度も何度も執拗に精神的拷問を受け続けているみたいじゃないか
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