3-5

「よし」


 吹っ切れてしまえば、もはやジャフィーを惑わすものは何もなかった。ルグレアの願いを叶える。それがジャフィーがここにいることで、ルグレアの子を孕むことだというなら、ジャフィーはただそれを完遂するだけだった。

 だとしたら──するべきことはなにか? 答えは一つだ。



「……実験器具? ですか?」

「うん。薬の開発してたときに使ってたやつ、一通り持ってきて欲しいんだよね」


 ジャフィーの外出先として認められているのは王宮内までで、城下の館にある実験室に行くことはできない。であるなら、後宮を実験室にするしかない。ミトは「構いませんが」と言いながら眉を寄せた。


「なんでですか、今更。私は薬の製造・流通にも関わらせていただいていますが、今のところ不良などの報告はありませんよ。……あ、感謝の手紙はたくさん届いていますので、後ほど届けさせますね」

「それはいらないけど」


 一般流通するようになったのはジャフィーの力ではなく、ルグレアが許可したからである。そして、今調べたいのは薬の方ではないのだ。


「……まあ、味とかさ、改良点あると思うし。妊娠可能性も、上げられるなら上げたほうがいいでしょ。暇だし、色々試してみようと思って」

「なるほど」


 ミトはあっさりと納得し、「そういうことでしたらすぐ手配します」と請け負ってくれた。よかった。



 そういうわけで、後宮の一室に、実験器具が一通り揃った。


「……さて」


 ミトは下がらせていて、部屋にはジャフィーが一人きりだ。ジャフィーは用意した容器の中に、魔術で保存を掛けた状態の、白濁した粘性の液体を取り出した。


「一応ね、一応。種がない……とまではいかなくても、こっちに原因があるなら、こっちをどうにかする薬を作らなきゃいけないし……」


 言うまでもない、自分の胎内から採取したルグレアの精液である。これを調べる、という真の目的をミトに知らせなかったのは、万が一本当に種のほうに問題があった場合、とても外部には漏らせない重大な問題になるからだった。ルグレアとジャフィーが先王とそれに連なるものを鏖にした結果、王家の血を引くものは実質ルグレアだけなのだ。


「さて、とりあえず『見る』とこからやるか……?」


 問題がなければないでいいわけだし、と思いながら、ジャフィーは己の目に魔力を集中させた。解析の魔術だ。そしてその『目』が対象を捉えた瞬間──ジャフィーは、己が『見』たものが信じられずに、とっさにそれから視線を離した。


 今──何が見えた?


 深呼吸をして、怖気づく己を叱咤して、──現実を直視しろ、と言い聞かせる。現実を直視しろ。

 目に見えるものがすべてなのだ。たとえそれが、どれほど信じられないものであっても。



「…………わーお。マジかあ………」



 笑い飛ばそうとして失敗して、己の声が、カラカラに乾いてひび割れる。

 種がない、なんていう過程が、最悪から程遠かったことが今わかった。自分がなにもわかっていなかった、ということも。

 なにもわかっていなかったのだ。



 避妊の魔術。



 ……そういうものがあることは、勿論、知っていた。

 戦争にも貴族にも、娼婦や娼館はつきものだからだ。精液の中に含まれる『種』、卵と結合して子どもになるはずのものが、魔術によってコーティングされている。流石にルグレア本人に魔術がかかっていれば気付くから、おそらくは、魔術薬を定期的に内服しているのだろう。

 そんな魔術が、ルグレアの精液に施されている──これでは、どれだけやったって孕むわけがない。ジャフィーが今の今まで気づかなかったのは、そもそもルグレアの精液には高濃度の魔力が含まれていたから、魔術由来の微量な魔力が感じ取れなかったから──そしてその気付けなかった理由は、掘り下げればやはり、この後宮にかかっている魔術のせい、ということになるのだろう。


 愛されている、と、納得するぐらいには、日々大切にされている──と、思っていた。

 けれども、見たものが正しいならば、少なくともルグレアは、ジャフィーとの子どもなど望んでいない、ということになる。それに、そう、ジャフィーが不味い薬を嫌な顔で飲みくだすさまを、ルグレアはどんな思いで見ていたのだろう。


 ──絶対に、孕むことがないとわかっていて?


 ジャフィーの髪が、魔力を帯びて一気に舞い上がる。空気が震える。

 今までどうして、解析しようとも思わなかったのだろう。ここはずっとおかしかった。それを『後宮だから』と言われて、どうして納得してしまったのだろう?



「……そうか、『撹乱』には、そういう効果もあったってことか……!?」



 意識誘導と認識阻害。

 後宮から妃たちが逃げ出さないように──というには、それは、強すぎる魔術だった。、その魔術は組まれていた。現状を強烈に受け入れさせる魔術だ。『気づかせない』魔術、と言ってもいい。

 それは強力な──同時に、タネが割れてしまえばつまらなくなる奇術と同じ、一度気づいてしまえば一気に弱体化するタイプの魔術だった。今この瞬間も強い強制力が働いている──とわかりさえすれば、逆らうことも可能だからだ。


「……どういうことだ、……違ったってことか? あんたの望みは、愛でも──子どもですらなかった……?」


 ミトの言葉が思い起こされた。『わざわざ後宮を使っている理由』。ミトはおそらく『ルグレアは(恋愛的な意味で)ジャフィーを手放すつもりはない』と言いたかったのだろうけれど──いま此処で、絶対に違うことが証明された。ならば、ルグレアの目的は何だ? 答えにたどり着くまでは一瞬で、だから、口に出すのに一拍置いてしまったのは、受け入れるために時間が必要だったからだった。


「……ああ、そうか。そういうことか……」


 恋愛なんて甘ったるいものじゃない、ごく単純な、物理的な理由。


「ここは、」


 は、と、歪に唇が曲がった。笑うより外にどうしようもなかった。



「──『檻』、だ」



 思わず肚に手を当てた理由が、自分でもよくわからなかった。頭の奥がずきずきとして、ぞっとするような寂しさを覚えた理由も。

 空っぽの肚。決して満たされることのなかった虚。



 子どもが『できなくてもいい』と、確かにルグレアは言っていた。



 けれども、『避妊していた』となると話が違う。ルグレアは子どもが『欲しくなかった』。ルグレアは、意図的に、ジャフィーが孕まないように計画していた。ジャフィーとの子どもなんていらなかったのだ。



 ──愛してる、から、『お前となら子どもを作ってもいい』?



 嘘だったのだ。──どこからどこまでが?

 嘘だったのなら。



 ジャフィーが後宮にいる理由は、たった一つしかありえなかった。いつか盗み聞きした会話が、耳の奥に蘇る。『後宮に、あの男を縛り付けることにした』。


 そちらこそが、──そちらだけが真実だったのなら、ジャフィーは、一体どうすればいい?







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