地元のスーパー
私がここの店に赴任したのは、つい二カ月ほど前のこと。
そして今私は自分の店の売り場で、今までに見たことないものを目にしている。
「これ、何ですか?」
開店前の魚売り場で、私は思わずそれを指さしてしまった。
隣にいた主任は、私の指差したものを見て笑った。
「そうか、あなたは関東エリアから来たから知らないですよね。ホヤですよ」
「ホヤ……」
一応手は動かしつつ、言われた単語から、私は記憶にある情報を探した。
「あの、ちょっと独特の匂いと食感の食べ物ですか?」
「そうそう。刺身と日本酒がおいしいんですよ」
「ここだと、そんなにみんな食べるんですか?」
私はまた、目の前にある自分の腰の高さぐらいまである大きなばけつに山盛りにのったホヤを見た。
かさ増しをしているとはいえ、それなりな量がのっている。
「まぁ、出たてだから顔見せに多く出しているところはあるけれど、それなりに買う人はいるよ」
他の商品の品出しをしながら、主任は言った。
「へぇ~……」
私はそう生返事をして、ホヤを見ながら売り場の準備を続けた。
勤務が終わって、帰りに自分の職場で食事の買い出しをしていた。
野菜売り場から見始めて、魚売り場に入ると、またホヤが目に入った。
つい、ホヤの前でじっと見つめてしまっていた。
「何してんだよ」
すると、後ろから声をかけられた。
驚いて振り返ると、主任がいた。
今日は自分が早番で、主任が遅番の勤務なのだ。
「あ、主任。お疲れ様です」
俺は驚きを抱えつつ、主任に挨拶をした。
「もう仕事は終わったんだから、さっさと帰れよ」
どこかからかうような主任の言い方に、私は腹が立った。
「ご飯を買って帰るんですよ」
私は少しつっけんどんな言い方をした。
仕事が終わった後に何をしようが、こっちの勝手だと思った。
「あぁ、そうだったのか。悪い悪い。仕事が終わったのに、まだ仕事してるのかと思ったんだよ」
「そんなわけないじゃないですか」
「いや、昔はそういう奴がいたんだよ。仕事に真面目すぎる奴がさ」
「私はそうじゃないので、大丈夫ですよ」
疑いの余地がないように、全てにおいてきっぱりと返しておいたが、主任は何が面白いのか笑い出した。
「そこまで言えるなら大丈夫そうだな。いや、引き留めて悪かったな。でも、ホヤの前にいるなんて。これが気になるのか?」
「名前は聞いたことあっても、実際に見たことも食べたこともないですからね」
「仕事終わった後か、休みの時に食ってみるか?」
「え?」
一瞬戸惑って、言葉につまってしまった。
「できるんですか? そんなこと。いつも人がいないって言ってるのに?」
「やろうと思えばできるさ」
主任は、あっけらかんと言った。
この人の、こういういつも余裕があるところは好きだ。
そうして主任に丸め込まれ、とりあえず私はその場から離れて夜のご飯を買って帰宅した。
そうして、そんなことを言っていたら、本当に主任が休みを合わせてきた。
職場であるスーパーの入り口で待ち合わせをし、そこでホヤとそれに合わせる酒などを買い、主任の家にお邪魔させていただいた。
一人住まいで1Kの部屋であったが、キッチンのある場所が広めにとられていて料理がしやすそうだった。
「あんまり広くないから、お前は隣に立って見てるだけでいいぞ」
「あ、はい」
主任が、私が持っていたホヤを手に取り、そのままキッチンへ直行した。
「それ、そこの冷蔵庫に入れて冷やしておいてくれ。あと、コップは部屋の食器棚にあるから、二つ出してそれも冷やしておいてくれ」
主任は言いながら、私に酒やその他料理に使いそうに食材を私の方に差し出したので、慌てて受け取った。
まずは冷蔵庫に入れる必要があるものから手をつけた。
冷蔵庫は、キッチンのすぐ脇に一人暮らしにしては大きいものがあり、そこを開く。
冷蔵庫の真ん中がちょうど空いていたので、そこに買ったものを入れていった。
入れ終わると、今度は言われた通りにコップを取り出して、冷蔵庫に入れる。
買ったものを入れたのに、まだコップが入る余裕があるなんてうらやましい。
やはり大きいことは良いことだ。
「よし、じゃあホヤをさばくぞ。見てろ」
こちらの作業が終わったのを確認したのか、主任が声をかけてきた。
「はい!」
私は、いそいそと主任のそばに行く。
主任は得意げに包丁を出し、ホヤを一つ取り出した。
「よし、まずはこれを洗うぞ」
そう言って、主任は流しの水でホヤを洗い出した。
その洗い方は、泥のついた野菜を洗うような手つきだった。
「ホヤをさばく時に大事なのは、ホヤの入水孔と出水孔を知ることだ」
「入水孔と出水孔?」
初めて聞いた単語に、私は頭をかしげた。
「ホヤの入り口と出口ってことだけど、まず入水孔を切って、中の水を取り出さないといけない。出水孔と切ったり、両方切ったりすると、ホヤの中にある水があふれて、他のものも出てきてしまうからな」
「その違いは何ですか?」
私が聞くと、主任はホヤの突起物のある部分を近づけて見せた。
「このホヤの突起物の先端がプラスの形をしているのが入水孔だ。マイナスになっているのが出水孔。わかるか?」
「……まぁ、なんとなく……?」
「正直、個体によっては見にくいものもあるから、絶対ではないが、だいたいこれを目安にしてる」
じゃあ切ってくぞーと声を出して、主任はホヤをまな板に置き、包丁を入れた。
入水孔を切ると、水が出てきた。
主任は、流しの中に用意していたボウルにその水を入れていく。
黄色っぽい色のついたものがだんだんとたまっていっていた。
「この汁っぽいものは何ですか?」
「ホヤ水って言って、ホヤが体内に取り込んだ海水だったり、ホヤ自体の体液だよ」
「なぜボウルにとっておいているんですか?」
「この後、中を切る時に内蔵とかも取り出すんだが、それを取り出してまた身を洗う時にこの水を使うんだよ。水道水を使うと、ホヤの風味が消えちゃうからな。あとは、刺身の時にも使うから、洗う分とは別に分けておくぞ」
言って、主任はボールをもう一つ取り出して水をそちらにも入れた。
「へぇ~」
その後は、私はまた黙って主任の手つきを見た。
水を出し切ると、次に主任は出水孔を切り落とした。
すると、今度はどろどろとした黒っぽいものが出てきた。
さっきの水とは違い、今度は固形物で、見るからに気持ちが悪い。
「これ、なんですか……?」
私は何となく、体をわずかに離しながら聞いていた。
「これは、内臓とかホヤの中にあったものだな」
「あぁ……」
魚とかえびとかも、思い出してみればさばけばこういう内容物が出てくる。
それと一緒か。
正体がわかっても、やはりそれはあまり快いものではないので、私は何となく見るのがはばかられた。
主任は、その内容物はさっさとまとめて捨てていた。
「中身を出し切ったら、いよいよばらしていくぞー」
言いながら、主任はまず殻に刃先を入れた。
殻を切り開き、中の黄色っぽい色の身を出す。
するっと殻からはがれたのは、見ていて面白かった。
身に刃を入れて切り開くと、中の内臓などを取り出す。
「ここでこの水の出番だぞ」
言って、とっておいたホヤ水を取り出し、それの中にホヤの身を入れて洗う。
洗ったホヤの身は、キッチンペーパーの上に置いて水気をふきとる。
「今日は刺身で食べるぞ。俺はこれが一番好きなんだ。冷蔵庫から、大葉とかいわれがあるから出してくれ」
「はい」
言われて、その通りのものを主任の方へ持っていく。
「薬味だ。これが好きなんだよなぁ」
「なるほど」
そして身を切り分けて、主任はホヤの身を皿に盛りつけた。
「完成だー! 食べるぞー!」
「やったー!」
私は楽しい気分になり、つい主任について大声を出していた。
「食器棚から小皿を持ってきてくれ」
そう言って、主任は食卓の方へ刺身の皿を持っていく。
私は言われた通り、小皿を二つ持っていった。
「あぁ、いけない。忘れるところだった」
そう言って、主任は冷蔵庫を開けて瓶を取り出した。
「地元の日本酒がないと、真のおいしさは味わえないからな」
「ありがとうございます!」
私は思わず大きな声が出ていた。
主任も満足げな笑顔で、日本酒と冷やしたおちょこを持ってきた。
1Kにきちんとしたダイニングテーブルがあるわけもなく、折り畳み式の小さなテーブルに皿をのせる。
しかし小さいテーブルだからこそ、料理が際立つような気もする。
「これがホヤなんですねぇ……」
私は感慨深い気持ちになって、しみじみとつぶやいていた。
「さぁ、見てないで食べよう」
主任は、笑顔でしょうゆを差し出した。
私は小皿にしょうゆを入れ、箸を手に取った。
私は一瞬主任を窺ったが、主任はうなずいて私を見た。
「失礼いたします」
一声かけてから、私はホヤの身を一つとった。
しょうゆにちょんとつけ、それを口へ運ぶ。
口に入れると、独特の臭みが広がった。
少し不快に感じたが、これも風味と思えばまだ食べられた。
「はい、そこでこの日本酒を飲む!」
すると、隣にいた主任に酒を差し出された。
私は勢いでそれを受け取り、口に入れた。
すぐに飲み下すのはやはりもったいないと理性が働き、口の中で転がす。
そうすると、残っていた臭みが日本酒の匂いと混ざり、とてつもない旨味になった。
「うっ……まぁ……」
私は、感嘆の声をもらした。
「だろう?!」
それに、主任は目を輝かせて飛びついた。
「やばいですね! これ!」
私もそれに応える。
「そうだろうそうだろう。薬味も合わせてどんどん食べろぉ」
主任は嬉しそうに言ってくれたので、私は遠慮せず箸を進めた。
薬味と合わせたりしつつ、ひたすら刺身と日本酒を口に運ぶ。
「俺にも一口くれよな」
途中、主任が少しとって食べていたようにも思う。
それがあやふやになるほど、私は夢中で食べていた。
臭いものは苦手ではなかったが、特別好きというほどでもなかった私は、この組み合わせには感動した。
臭いはするのだが、それを上回る旨味でが病みつきになる。
気づいたら、最後の一つをとっていた。
それを口にいれて飲み下すと、少なからず喪失感を感じた。
「終わりましたね……」
私はそう、ため息混じりに言った。
まだ口の中に、ホヤの風味が残っている。
それを味わおうとするほどには、名残惜しい。
少しの沈黙の後に、主任が口を開いた。
「うまいだろ?」
「これがホヤというものなのですね……」
言いながら、日本酒を一口飲んだ。
風味が残る中、酒の風味も味わっておきたかった。
「今度は店に食べに行こうな。やっぱりプロが調理したものは格別だから」
「これがさらに良くなるんですか?!」
「俺は素人に毛が生えた程度だからなぁ。居酒屋程度でも、出してるところに行くと、臭みがほとんどなくて、しかも合う酒を置いてくれてるから最高だぞ」
「それは、絶対に行きたいですね」
私は、主任の言うことを想像しながら、ごくりと唾を飲みこんだ。
主任は、私の顔を見てニヤニヤと笑う。
「東北はいいぞぉ。うまいものがたくさんあるからな。スーパーなんてもってこいの職場だ。売り場見てるだけで色々なものがわかるからな」
まだ残っている日本酒をそそぎながら、主任は言う。
そして、それに口をつけた。
私も口をつけて、主任の言うことに思いを馳せた。
「はい、楽しみです」
慣れない土地での仕事だったが、私はこれからの期待に胸が躍るのを感じていた。
食べ物短編集「いただきます」 RAN @ran0101
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