19.立法府
立法府を創設した十二の世界はその全てが統一国家を築いている。それは民主制共和制であったり、王政であったり、はたまた軍事独裁を敷いていたり、体制は種々雑多で共通性は無い。ただ一つ共通しているのは、自らが創った立法府に忠誠を誓い、オメガスペースの安定と永続を志向している事である。
そして立法府は、そんな十二の世界を圧倒的な強権で管理・統括する組織だ。それぞれの世界の自治は現地政権に一任しているがひとたび反立法府的な活動の徴候が見られれば、すぐに粛清の魔の手がやって来る。それは一般人だけではなく、例え政権の中枢にいる者だろうが容赦は無い。この徹底した平等主義によって立法府の体制を五千年間維持しているのだ。
オメガ監察庁は、そんな立法府の長であり、十二の世界に住む人々の頂点に立つ〝総統〟直下の組織である。基本的には監察庁長官の意思で動いているが、総統の命があれば、長官も一丸となって彼の意思に従わなければならない。
エリート層からは畏敬の念を抱かれ、ルアン主義者からは〝悪しき立法府体制の権化〟と憎悪を向けられる総統だが、普段は立法府本部の奥深くで執務をしている。総統は象徴というだけでなく、組織の実行者なのだ。
監察庁長官のラーガルは、統制課課長のセレネを伴って総統との面会を希望した。監察庁長官の持つ特権の一つに、総統への面会というものがある。一応、立法府と関連組織に属していれば誰でも総統と話が出来るという事になっているが、当然と言うべきかほとんどの人間は面会をしたがらない。その点で見れば、ラーガルは特異な人物と言えよう。何せ歴代の監察庁長官も滅多に総統への面会を希望しなかったのだから……。
緊張の面持ちでいるセレネに対し、ラーガルは平気な顔であった。彼に対する誹謗の一つにこんなものがある。
「我らが監察庁長官は何を考えているか分からない。表情の変え方と言ったら、まるで仮面を交換するようだ」
全くの事実である。彼は政臣と姫愛奈と初めて会った時はいかにも真面目くさった顔で対応し、セレネに職務中の飲酒を咎められた時はあからさまにだらけた表情でそれに応えた。周囲が自分をどう思っているかなど本質的に気にしていないのだ。ゆえに無形の単細胞生物が自らの形を変えるように、ラーガルは表情をコロコロ変えるのである。
二人は少し距離を取って立っていた。木製の箱形テーブルに両手を置き、同じ素材の柵に囲まれている。上から源が見当たらない光で照らされており、まるで裁判を受ける被告人のようだ。
普段は部下の前でも堂々としているセレネも、今回ばかりは緊張していた。総統が衆目の的になるのは、十二の世界全てが参加する巨大な式典の時くらいなので、その御姿を見る事は滅多に無い。立法府の最高権力者であり、発する言葉全てに法的根拠を持つ至尊の存在である。どんなに偉大な王だろうが、どれだけカリスマ性に溢れた軍事指導者だろうが、総統の前では二線級の賓客になる。ましてや直に対面するなど、この上ない名誉なのだ。
セレネはちらりとラーガルの方を見た。長官は何色もうかがえぬ表情のまま立っている。彼は緊張しないのだろうか。総統と直に話すなど、これ以上無い名誉だというのに。セレネはエリートコースを一切通らず叩き上げで現在の地位を手に入れたラーガルを尊敬し敬愛していたが、時おり彼が分からなくなる事があった。
足音がして、セレネは弾かれたように正面を向いた。蝋人形のような少年がいつの間にか二人の前にいる。黒いベストに着いた立法府の金バッジが、頭上からの光に照らされ輝いた。
セレネは金バッジを訝しげに見つめた。それは立法府の職員である事を示す物なのだ。この従卒のような少年が、立法府の職員? にわかには信じられない事だった。
「総統が来られます」
白髪に薄い水色の瞳をした少年が、見た目のイメージと異ならない冷たい声を発する。その数秒後、部屋の全照明が唐突に灯った。
セレネは自分のいる場所を知って動揺に身体を揺らした。そこは立法府の中枢たる大議事堂だったのだ。実は、各省の長で構成されている最高評議会は見せかけでしかない。実際に十二の世界に対する指針が実際に話し合われるのはこの大議事堂の場で、〝理事〟と呼ばれる者たちによって行われるのだ。
半円形の大議事堂は三段構造になっていて、ラーガルとセレネがいる場所を第一層とし、その正面に五人が座れる席が左右に配置され、その後ろの段また同じ席があり、三段目に総統の座る椅子があった。
一層と二層の席に座っているのは、立法府を裏から操る権力者たちである。立法府に属する省庁の長もいれば、資産家、高名な芸術家、現地政権の幹部など、無名有名含め二十人がいる。彼ら彼女らによる討議の結果が最高評議会に下り、形だけの議論の後に承認されるのだ。
そして三段目に座っているのが、立法府の最高指導者にして最高権力者、総統だった。痩せた身体に尖った鼻、髪は無く、白い眉は積もった雪のよう。半分ほど閉じたように見える目は、それでも鋭い眼光を放っている。
「理事の皆様と総統におかれましては、ご機嫌麗しゅう……」
「やめないか、ラーガル。おべっかは無しだと言ったはずだぞ」
ラーガルに割り込んだのは、オメガスペース航路統制省長官ウィドマッグ・フロールマンであった。紺色のスーツに赤いネクタイを着けた、どこにでもいそうな中年男性のように見える。
「いやいや、これは失礼しました。久しぶりの会合ですから」
セレネはラーガルの口振りに驚愕せざるを得ない。権力者たちだけでなく、部屋自体からも重厚な圧力を感じるというのに、この人は一体……。
「その美人は? 君の部下か?」
次に口を開いたのは十二の世界をまたがる巨大エネルギー企業〝ギリアム・インダストリー〟のトップ、エステリオ・ギリアム・ハーティングだ。セレネよりも歳上だが、二十人の中では若い方に見える。スーツの着こなしも完璧で、上流階級然とした風貌である。
ラーガルの目配せに、セレネは緊張を押し隠しつつ自己紹介した。
「セレネ・ウィンドアーグです。オメガ監察庁にて統制課課長の任を拝命しています」
「貴女が今の課長さん? わたくしの職域にも時々関わってくるから、一度お目にかかりたいと思っていたのよ」
十二の世界が連合して組織している防衛軍において三人いる元帥の一人、ラフェスタ・カザブランカが言った。歴代でも数少ない女性元帥の十人目で、物静かな雰囲気からは想像出来ない苛烈さでルアン主義者の弾圧を行ってきた、筋金入りの立法府原理主義者である。
「わたくしたちだけでは手が足りないものだから、あなたたちには感謝しているわ。動物どもの不誠実さときたら、全く鬱陶しくてしょうがない」
「それは……そうですね……」
セレネは歯切れ悪く同意した。ルアン主義者や陰謀論者の対応に苦慮してわめき散らす自分を思い出したのである。もしかして部下たちには自分がこんな風に見えていたのか……?
「雑談はやめにしよう。今日は君たちの可愛い部下についての話だろう?」
緩慢に腹を揺らして椅子に座り直したのは、防衛軍情報部長官のルドゥヤ・ペアンである。防衛軍からは彼とラフェスタが理事の座に収まっている。
「外地から来たというあの二人か」
〝外地〟というのは十二の世界以外の恒常世界を指す俗称である。あまり推奨されていない呼び方だが、区別がしやすいという事で立法府においては末端も幹部も使っている用語だった。
「そうです。青天目政臣と、白神姫愛奈の両名についての報告です」
ラーガルとセレネが立っている場所と理事たちの間は広い部屋の横切る柵によって区切られており、かなり開きがある。巨大なウィンドウがそのスペースに投影され、政臣と姫愛奈の写真と、二人の情報が羅列されていく。
「……ん? どっちも女子ではないのか」
「片方は男ですよ」
「随分と中性的な……いや、そんな趣味は無いぞ」
影の権力者たちにすら見間違われる政臣である。
「皆さんには既に情報が行き渡っていると思いますが、この二人は不老不死者です。一切の食事と睡眠を必要とせず活動でき、どんなに深い傷も再生し、死んでも生き返ります」
「我々が把握しているの中で、目が届いている不死者たちか」
「それだ。なぜ外地に放り込んだのだ。逃げられたらどうする」
「それに精神汚染だ。不死者はその概念的矛盾のせいで、常に心を蝕まれるからな」
二人の理事がラーガルに質すが、当の本人はどこ吹く風といった様子だ。
「ご安心を。補助ドールに監視させていますし、仮に逃げ出そうとすれば、体内に仕込んだ
それに、外地へ行かせたのは二人の意思でもあるのですよ。立法府は義務を果たさない者を許しません。それを知った二人は自らの義務に気づいたのです。自分たちを転移させた元凶にケリをつけるという義務に」
「素晴らしい。立派だわ。立法府の末席を占めるにふさわしい心がけです」
ラフェスタが拍手してこの場にいない二人の若者を褒め称える。本当だろうか。セレネはラーガルの言に疑問を持った。あの二人はそんな人間だったろうか。どちらかというと観光気分で歩き回るようなタイプではないか。
そんなセレネの心中を知ってか知らずか、ラーガルは
「カザブランカ元帥のおっしゃる通りです。我がオメガ監察庁の不手際によって故郷との断絶を強いられたにも関わらず、我らの理念に共鳴してくれるとはまさしく──」
「もういい。何か許可して欲しい事があるのだろう。君が何か頼み事をする時は、決まって長口上を始める」
ウィドマッグがラーガルの言葉を遮る。ラーガルはオールバックにした薄い灰色の髪を軽く撫で付けた。
「かれらが潜入している恒常世界MEー5142に対するブラック・ネイバーの派遣を認めていただきたい」
理事たちの顔に非好意的な反応が浮かんだのをセレネは見て取った。
各部門からの報告を合わせ、討議に討議を重ねた末、オメガ監察庁は現在政臣と姫愛奈たちC分遣隊がいるMEー5142は、外部からの手が加えられた恒常世界だと判断した。きっかけはC分遣隊が送ってきた現地アボミネーションの死体だった。
政臣たちの報告から〝グール〟と仮称されたそのアボミネーションは、人間がある種の薬品によって変異したものだと結論付けられた。そこはまだ良かったのだが、問題は検出された薬品にあった。
検出された薬品は、魔力を持つ生物の血液を精製して作成された物だった。ここで注目されたのはその元となった血液。精製された状態では少ないサンプルしか採取出来なかったが、血液中には生体ナノマシンが含まれている事が判ったのである。
「このナノマシンは、大戦時に用いられた血液製剤や再生促進スプレーなどに使われていた物と完全に一致しています」
「それは本当か?」
「ドクター・クランによる確認済みです」
ドクター・クランは大戦中から現在に至るまでの有りとあらゆる技術を保存する役割も担っている。それは気の遠くなるほどに膨大な資料と史料の山を管理する事を意味し、人間の領域から自ら外れたドクター・クランにしか出来ない事業だと言われていた。
「更に言っておくと、MEー5142の現行文明にはナノマシン製造技術はありません。過去文明の技術をリバースエンジニアリングしたという可能性はまだあります。ですが、その場合もやはり他の世界と接触を持っていたという証拠になります。我々が把握していない、監視対象認定にするべき恒常世界です」
理事たちは顔を見合わせた。ラーガルの言っている事に理があるからである。大戦の反省からオメガスペースの永続・安定を目指して幾星霜、些細なミスも許さない姿勢でやって来た支配と監視。その手から漏れている世界があるなら、すぐに拾い上げるべきなのだ。
「……納得はしよう。しかしブラック・ネイバーを派遣するほどか? ドロイド兵で足りるだろう」
「それがですね、両統制官から貸し出したドロイド兵全てを使い果たしてしまったと報告が……」
「何だと?!」
「強力な敵対者と交戦したそうです。そしてその敵対者もサンプルで回収された薬品よりも高水準の物を使って変異したと言っております」
「その敵対者のサンプルは?」
「残念ながら」
「ううむ……」
理事たちはそこで判断に迷った。ドクター・クランの分析なら信頼出来る。故にMEー5142という歯牙にもかけていなかった恒常世界に、ルアン主義者の影がある。だが、迂闊に戦闘部隊を派遣する訳には……。
「総統。如何致しましょうか」
ルドゥヤが太い腹をよじって階上の最高権力者に伺いを立てた。結局、この人物の裁可が無ければ何も出来ないのだ。
「……」
総統は理事たちを、次いでラーガルとセレネを眺めた後、ゆっくりと頷いた。「許可」の意である。
「よろしい。ブラック・ネイバーの派遣を許可する。ただし、使用範囲はあくまで政臣・姫愛奈両統制官の任務に対する援護のみに限定する」
ラーガルは頭を下げた。セレネもそれに倣う。大議事堂から出て、一世一代の試験に合格した後のような顔をしているセレネの肩をラーガルが軽く叩いた。
「これでまた忙しくなる。二人をよろしく頼むよ」
これから起こる出来事のほとんどは、きっと我々にとって悪い事の方が多いだろう。なのにこの人はなぜこんなにも楽しそうなのか。セレネは上司の気持ちが一向に理解出来そうになかった。
(第一章 了)
【休止】Omega Space Eternal! ~異世界転移に失敗したら世界の管理者にスカウトされた~ 不知火 慎 @shirnui007
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。【休止】Omega Space Eternal! ~異世界転移に失敗したら世界の管理者にスカウトされた~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます