11.暗雲

 その男は、ほとんど成り行きで魔族の協力者をしていた。


 別に悪徳に染まっている訳でも、この世の全てに絶望している訳でもない。兵役検査で弾かれ、同郷の仲間たちが一様に戦場へ行き、死んだり廃人になったりしている間、男は与えられた業務に邁進していた。魔族打倒。その目標に向かって、意味があるのか分からない仕事に。


 単純に、充実感が足りなかったのだ。自分は役に立っていない。自分が社会に貢献しているという感覚が無い。田舎町と言って良いのか分からない中途半端な規模の都市で、時折やって来る傭兵の応対をする。給料が良い訳でも、とりわけ他人に感謝される訳でもない。脳が溶けるような虚無感。男は逃避の道を模索した。


 一般人が持つ現実逃避の手段は限られている。自己の趣味に没頭する、友人知人と遊ぶ、恋人と二人きりの時間を過ごす、あるいは仕事に没頭する。しかし男にはいずれの選択肢も無かった。とりわけ好きな物などなく、友人たちは戦争で失い、恋人もおらず、仕事に対するモチベーションは最低……。薬物に手を出すのはあっという間であった。


 薬物の真なる邪悪さは、使用者を壊す事ではない。罪悪であると自覚していながら毒を自らの体内に入れる、その背徳感である。〝してはいけない事〟をするのが最上の娯楽となる人間は一定数存在する。男もすぐさまその悦楽に取りつかれた。彼がうかつだったのは、薬物の源が魔族だった事に気づかなかった事だろう。


 男は何故かルイニアの裏社会を支配する組織で薬物流通の管理を任され、気がつくとある程度の地位を築いていた。部下──ほとんどチンピラに近い──に指示を出し、売り上げを計算し、一部を横領して上納する。思いの外人間社会に魔族が浸透している事に驚きつつも、男は粛々と裏稼業をこなした。表の仕事よりも刺激的で、何より実入りが良い。彼は自ら泥沼に飛び込んでいった。


 ……そんな生活が、今まさに崩れ去ろうとしている。


 カルダンは笑顔でこちらを見つめる少年少女たちと向き合っていた。


「皆様には本当にお世話になりました。ルイニア市の問題を一挙に解決してくださるとは……」

「社会貢献するって良いわね、青天目くん」

「そうだね」


 何が社会貢献だクソガキどもが。カルダンは罵詈雑言を吐き散らしたい気分だった。あの地下水道は組織に不都合な人間や、手の施しようがない中毒者を放り込む処理場だったというのに。黒焦げになっているグールの群れを見たとき、カルダンの落胆と絶望たるや海の底よりも深いものだった。まさか全滅させてしまうとは思わなかった。コイツらは化物か。


 否、今回はそうならない。出来うる限りの準備はした。人気の無い場所に誘導し、周囲には部下たちが隠れて待機している。合図を出せば一斉に出てきて、全方位から銃撃を加える手はずになっているのだ。グールのやられ方を見るに魔法が使えるようだが、それが何だというのか。手練れの魔術師は軒並み戦場に駆り出されている。まともな人間は傭兵などという不安定な職種に就く訳が無い。お前たちの敗因は、社会の厳しさを知る前に社会に出てきた事だ。自分が社会人失格なのは棚上げし、カルダンは内心で勝ち誇った。


「この車で港まで送ります。どうか良い旅を」

「何から何までありがとうございます。優しい人で良かった」


 少年の言葉にカルダンはほくそ笑んだ。そうだろうそうだろう。俺は優しいんだ。他の破綻者と違って人を拷問したり殺したりはしない。そんな汚い事は別のヤツがやるべきだ。


 カルダンは覚悟を決める。クソガキどもが背を向けた。後は連中の誰かが車のドアに手をかけた瞬間に合図を出せば全てが終わる。


 その時はすぐにやって来た。艶やかな黒髪をなびかせた少女が、バンの後部ドアに手をかける。カルダンは勢い良く右手を天に挙げ、部下に合図を──


「バカどもが」


 建物の上や、積まれていた木箱の陰に隠れていたカルダンの部下たちが飛び出し、一斉にC分遣隊に銃弾の雨を叩き込んだ。しかしそれは、S14とS15が展開した防護シールドによって全て防がれた。


「あ……?」


 政臣が拳銃を向けているのに気づいた時には遅かった。カルダンは右脚に激痛を覚え、その場に倒れこんだ。信じられない事に、足元に血溜まりが出来ている。撃たれたのだ。


「な、そんな……」

「全員撃て!」


 少年の指示に二体の補助ドールが機械的に従う。正確無比な射撃でカルダンの部下が次々と死んでいく中、姫愛奈は政臣のケープに包まれていた。


「ねえ、別に守ってもらわなくても良いんだけど」

「せっかく気を利かせたのに。例え死ななくても、銃弾は痛いぞ」

「そうだけど……」


 口ではそんな事を言っている姫愛奈だが、内心では普通に喜んでいた。まるで王子様に守られるか弱い姫君のようだ。幼い頃はプリンセスに憧れていた姫愛奈には最高のシチュエーションである。


 やがて銃声は消え、後に残ったのは薬莢と死体の山が出来上がった。政臣は腰を抜かして立てないカルダンを見下ろし、その中性的な容貌を生かした隠微な笑みを浮かべる。


「ミスター、少し話があるのですが」

「あ、あ……」

「大丈夫。拷問などはしません。……まあ、その後は普通に殺しますけど」

「ま、待て、やめてくれ」

「S14、近くに無人の建物は?」

「法的には誰の所有物にもなっていない倉庫があります。……実際のところは、この街の犯罪組織が押さえているようです」

「ミスターが所属する組織が普段使ってるって事ろ? それなら都合が良いな……」


 冷たい悪意をにじませ、政臣は笑みを絶やさない。明らかに愉しそうなパートナーを見て、姫愛奈は皮肉っぽく言った。


「やっぱり、鏡見た方が良いわよ」


 ◆


 約二時間後、C分遣隊はカルダンが用意したバンに乗ってルイニアを後にしていた。運転手はS14である。解析機能によって車の機構を理解したS14は、人間には真似できない精緻なハンドルさばきを披露している。


「ねえ、あのオッサン放置しても良かったの? そのうち気づかれるわよ、死体」


 後部座席からルイニアの街並みを眺めつつ、姫愛奈は隣に座る政臣に訊ねた。


「気づいたところで関係無いさ。俺たちは転移術式の回収もしくは破壊、そしてクラスメイトを連れ戻す任務を果たせさえすれば良いんだから」

「そんな余裕ぶって大丈夫?」

「手を抜くつもりは無い。油断せず、しっかり計画を立ててやるさ」

「なら良いけど……」


 姫愛奈は二度しか戦闘経験で理解した事があった。それは、自分が思ったよりも脳筋思考だという事。複雑な作戦よりも、一点突破で全てを片付けた方が早いと考えてしまうのだ。そして確かに今のところはそれで上手く行っている。しかしこれからは本格的に敵地へと乗り込む事になる。正面突破では解決出来ない難事が立ちはだかるに違いない。そう考えると、姫愛奈は重い溜め息をつきたくなってしまう。


 だが、そんな懸念もすぐに霧消する。


(いや、青天目くんが考えてくれるからいっか)


 根本的に楽天家、快楽主義者である姫愛奈は、面倒事に直面するとすぐに逃避する癖がある。彼女が幸運なのは、パートナーの政臣が一定以上の頭脳を持つ秀才タイプだった事だ。カルダンの策略も、政臣が看破したものである。彼は事前に小型ドローンで撮影させていた待ち合わせ場所の写真から、カルダンの部下が待ち伏せする位置すら予想し、見事に当ててしまった。怠け者の姫愛奈が頼ってしまうのも無理は無い。


 そんな政臣に甘えている姫愛奈だが、だからこそ疑問に思っている事もある。疑念の的は、政臣の賢しさだ。姫愛奈は日本にいた頃の政臣が明らかに実力を抑えて振る舞っていたと現在は確信している。何故なら、政臣の成績は確かに上位を維持していたが、決まって三位か四位という微妙な位置を堅持し続けていたからである。姫愛奈自身は調子が良いときなどクラス一位の座を収める時もあったというのに。


 能ある鷹は爪を隠すと言うが、学校の成績くらい隠さなくても良いだろうと姫愛奈は思う。テストで高得点を取り、周囲に自慢して何が悪いのか。生徒はみな平等などというが、成績という概念がある時点で優劣を決めるシステムが組み込まれているのは明らかではないか。良い子ぶって自分より成績が悪いクラスメイトに謙虚な態度を見せるくらいなら、堂々と好成績を誇るべきだろう。


 無論、これは姫愛奈の価値観である。彼女自身もそれをわきまえているので、政臣に問いただすような事はしない。が、それでも若干の違和感は拭えない。


(っていうか、もう少し甘い部分を見せてくれても……)


 行為の時ですら彼は冷静な顔を崩さない。昨日も結局は逆転され、良いようにされてしまった。とはいえ、それはそれでかなりの快楽を味わえるのだが……。


「白神さん? ずっとこっちを見てるけどどうしたの」


 柄にもなく思索に耽ったようだ。姫愛奈は思考を中断し、腰丈の黒髪を指で梳かす。


「何でもない。今度は私が主導権を握ってやろうって思ってただけ」

「……ああ。無理なんじゃない?」

「はあ?!」

「お姉ちゃん、ヒメナとマサオミの話、生々しいね」

「外の警戒をしていなさい」


 車は港に向け、古びた道路をひたすらに走り続けた。


 ◆


 立法府は大戦を生き延びた十二の世界が連合して発足された統治機構である。最高決定権を持つ総統以下各部門(総務・防衛・財務・治安統制・恒常世界開発・オメガスペース航路統制・資源開発・環境統制)の長による最高評議会が、同盟関係にある十二の世界を管理統括し、実質的な支配者となっている。


 立法府に属す省庁は数多あるが、オメガ監察庁だけは例外である。監察庁は総統直属の組織とされ、評議会の意思とは関係無く、独自に行動する権限が与えられている。省庁間のパワーバランスの観点から見ると、各省よりもはるかに権威も権力も上なのだ。


 当然ながら批判も多く、強権的な監察庁に対する不満を持つ者は、立法府の中にも存在する。だが、歴代の長官は理性的に事を進め、組織内の綱紀粛正も辞さない態度で己の職務を果たしてきた。監察庁長官は、立法府に対する忠誠心の高い者しか選ばれないのだ。そんな慣例もあって、監察庁は特権的地位にいながらも五千年近く組織を維持してきた。


 では、現在の長官であるリーア・ラーガルはというと、評価は二分している。各省庁の長官たちや立法府の関係者のようないわばエリート層からは高評価を得ているが、市民や末端構成員からの評価は芳しくない。そもそも秘密警察が軍隊を持ったような性格の組織の長が好かれる訳が無いのだが、歴代の長官に比べると統計がしやすい程度には意見が分かれていた。


「先日、ビアスリアで行われた監察庁の大規模摘発作戦では、銃撃戦によって摘発対象側に複数の死傷者が出ました。この団体はルオン主義者のセクトと目されていて、監察庁は当該団体に対する攻撃は総統の意向でもあり、世界秩序のための必要な措置だったと説明しています」

「あらかじめ話を通してくれれば良かったのに。おかげでビアスリアの行政府から非難轟々だぞ」


 治安統制省長官直々の抗議を、ラーガルは芳醇なワインの香りを楽しみつつ聞いていた。ビアスリア行政府の許可無く電撃的にセクトを襲撃した事が問題視されたのだ。


「閣下もご存知でしょうが、ビアスリアの行政府にはルアン主義者が紛れ込んでいる可能性があります。疑念が晴れない以上、こちらとしては事後報告しか出来ないのですよ」

「それは解るが、せめて首相には知らせておくべきだった。彼は非公式だが、反立法府的な発言を繰り返している。あまり刺激しない方が良い。──聞いているのか?」 


 グラスに半分ほど残ったワインを一気に飲み干し、ラーガルは執務机に置いた。


「……閣下の懸念は十二分に理解しました。今後は気を付けるとしましょう」

「頼むぞ」


 通信が切れる。正面に向き直ると、冷たい美しさを放つ腹心の部下が立っていた。


「もう報告書が上がったのか?」

「先生、職務中に飲酒するとは感心しません」

「大丈夫だって、これがあるから」


 ラーガルは緑色の錠剤が入った容器を軽く振る。


「それは解毒剤です。アルコール分解のための物じゃありません」

「立法府から毎月渡されるんだよ。毒殺を防止したいのは解るけどさ、どうやって私の食事に毒が盛られるって言うんだい? 二重の構造分析と、三重の成分分析、ダメ押しで毒味なんかもしてるのに」

「先生をお守りするための正当な手続きです」


 きっぱりとした口調のセレネに対し、ラーガルは分かりやすい溜め息をついた。


「私を守りたいって気持ちは嬉しいんだけど、せめて食事は美味しいものを食べたいんだよね。私の所に昼食が届く頃にはすっかり冷めてるんだよ」

「レンジでチンし直すとかしてください」

「……そこまでするくらいなら別に検査なんか要らないって」

「はい?」

「何でもないよ」


 時折ラーガルは思う事がある。なぜ自分はこんな大層な地位に居るのだろうかと。十二の世界にまたがる負の側面を司るような組織の長として、日々働いている。本当は監察庁でキャリアを積み、また別の省庁に転職するはずだったのに。少なくとも年下の部下に先生などと呼ばれながら小言を言われるはずでは無かったのだが……。


「ところで、あの二人が送ってきたサンプルの件なのですが……」


 〝あの二人〟というのは、政臣と姫愛奈を指している。二人の転移自体は一般市民にも知れ渡っており、存在も公になっていた。魔法の無いNM世界からの来訪者で、不幸な境遇にもめげず、監察庁のエージェントとして第二の人生を歩み始めたという事が公表されおり、不老不死である事は完全に秘匿されている。


 二人が送ってきたサンプルというのは、ルイニアの地下水道で倒したグールだった。監察庁は政臣と姫愛奈に、現地生物のサンプルを出来る限り送ってくるよう指示していた。これは通常業務の一環であり、案件が発生した恒常世界の環境をある程度調べるためのサンプルとして保存するという目的があった。


「何だったか、アボミネーションの死体だっけ?」

「はい。それに関して、ドクター・クランの所見がこちらです」


 薄いプラスチックペーパーに記された細かい文字列を、ラーガルはすらすら読み進める。しかし、結論に近づいていくにつれ、その顔は険しくなっていった。


「これは本当なのか」

「間違いないそうです」

「うーむ。簡単な任務になると思ったのだが、これではちょっと雲行きが怪しくなってきたな」

「さらに統制官を送りますか?」

「また最高評議会にお伺いを立てなきゃね」


 苦笑しつつ、ラーガルはドクター・クランの書いた検死報告書の最後の一文を再び読んだ。


 ──以上の点から、グールへの変異を促した薬物は、大戦中に使用された物か、完全に同一の製法で製造された物であると推察される。結論:当該恒常世界には大戦時の技術が流出している可能性有り。追加の調査が必要。


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