10.依頼と埋め合わせ

 ルイニアの地下水道は昼夜を問わず暗闇が支配する。等間隔に光魔法を応用した永続灯が設置されているが、それでも漆黒を打ち払うには足りない。C分遣隊はそんな場所にいた。


「ねえ、これ何の臭い?」

「ここは地下水道と言っても、廃棄された区画らしい。手入れなんかされてないから、水が腐ってるのかもしれない」

「最悪。サイボーグなら嗅覚とかもカット出来るんでしょ?」

「俺たちには出来ないけどね。マスクを着けよう。少しはマシになる」


 二人は亜空間ポケットからガスマスクを取り出した。このポケットは量子特異点である亜空間に物質を縮小した状態で保存し、取り出す時に元のサイズへ戻す仕組みになっている。


 黒いガスマスクを装着し、政臣と姫愛奈は地下水道を進む。二人は中に入った時点で服の偽装を解いていた。


 網膜のナノレイヤーが光量を調整し、一寸先も闇な地下水道でもくっきり物が見えるようにしてくれる。ハイテクノロジーの恩恵を一身に受けつつ二人はターゲットを探し始めた。


 ルイニア市の傭兵業務担当者カルダンの依頼は、地下水道に潜む〝グール〟を倒してほしいというものだった。


「グールって何? 怪物?」

「アニメやゲームじゃゾンビみたいに扱われてるけど、この世界ではどうなんだろ」

「私たちの言葉ってオメガスペースの……何だっけ、識閾しきいき下の言語概念に対する作用でラーガル長官やウィンドアーグ課長と話せるのよね?」

「記憶学習で覚えたそのままを言ったね。俺たちの記憶や無意識から適当な言葉を当てはめてるってヤツ」

「その法則ルールに則れば、やっぱり青天目くんが言う通りグールもゾンビみたいな見た目なんじゃない?」

「どうだろ……。恒常世界では都合良く自動翻訳出来ないからこの機械を使ってるんだけど」


 政臣は首に着けた翻訳機に軽く触れる。この翻訳機は姫愛奈が先ほど言ったオメガスペースの翻訳機能を再現したもので、装着者と対面した現地人の識閾下にアクセスして限りなく正確に言葉を訳す。つまりは〝グール〟という単語も政臣のイメージから取って翻訳されているはずなのだが……。


 奥の方から、怖気立つようなうなり声が響いてきた。地下水道の壁や天井に反響して、声の震えが増強されている。姫愛奈は口元で悲鳴を口にして政臣の腕に抱きついた。


「白神さん……今更弱気アピールしても」

「はあ?! あんな声したら誰だって驚くでしょ」


 姫愛奈がぐいと顔を近づける。政臣はパートナーの美貌よりも、胸が押し付けられている方が気になった。白神さんは自分の胸を押し当てている事を自覚しているのだろうか。しているんだろうな。姫愛奈の若干緩んだ口元を見つつ政臣は思った。


 何かがいる事は分かったので、二人は武装を解禁した。幅四メートルの水路を挟む高さ五メートルの壁についている通路を歩き、声の主を探す。


「──!」


 先頭を歩いていた政臣の視界に二つの赤い閃光が煌めいた。


「ヤバッ!」


 政臣は咄嗟に自身の武器、拳銃〝レギュレイター〟を腰だめで撃った。四発の銃弾の内一発が、正体不明のナニカに命中する。


「なになに?!」

「敵だ!」


 それは四つん這いで移動する怪物であった。ボロボロの衣服にズボンを着ている事で、怪物が元は人間だったのだと確認出来る。腕だったはずの物は前足となり、肥大化して鋭い爪を生やしている。背中から刺のようなものが数本服を突き破り、網膜の無い眼球は赤い水晶玉のようだ。


 赤茶色の肌をした怪物と対面し、姫愛奈が叫んだ。


「グールってこれ?! 想像と違う!」

「S14、撃て!」


 通路から水路に飛び出し、無表情のS14がショットガン〝オプレッサー〟を構える。爆発のような音と共に地下水道が一瞬だけ明るくなる。政臣と姫愛奈のナノレイヤーによる光量調整も間に合わず、二人は思わず目を腕で覆った。


 散弾はグールに命中し、怪物は断末魔を上げて水の中に横たえた。濁った水に赤黒い液体が混じる。


 間を置いて、先ほどとは比べ物にならないほどの狂った連声れんじょうがC分遣隊の耳をつんざいた。地下水道に潜む群れを一挙に刺激したようだ。


「これまずいんじゃないの?」

「元々都合良く行くと思ってなかったし! こうなったらこちらから攻める!」

「任せてー!」


 S15がいつもの笑顔で〝コンクエスター〟の銃口を掲げる。


「お姉ちゃんのとなりー!」


 勢い良く水路に足を踏み入れ、S15は姉と呼ぶ補助ドールの隣に立つ。早速やって来たグールの一体は、突如として放たれた軽機関銃の弾幕に身体をさらす羽目になった。


「生体反応がまだあります」


 S14が地下水道のホログラムマップを空中に投影する。グールを示す赤点が十体以上もあった。


「多すぎるでしょ。あのオッサン、本気でやれると思ってたの?」

「実際やれるだろ。俺たちは不死身だし、戦闘向けの調整がされた補助ドールがいる。白神さん戦うの好きだろ」

「いや、ここでは……」


 濁った水面を一瞥し、姫愛奈は唇を歪める。彼女にとっては命令に対する服従より、自身の潔癖性の方が優先のようだ。


「ほら、行くよ!」


 水路に足を踏み入れた政臣は、姫愛奈の手を引く。生ぬるい水がスカートに跳ね、姫愛奈は苛立たしげに声を上げた。


「もう! 後で埋め合わせしてよね!」

「約束するから、早く」

「う~」


 歯ぎしりしながらフラワーシーフを蛇腹状に変形させ、姫愛奈は飛びかかってきたグールを切り刻んだ。


「なんだやるじゃん」

「イヤイヤやってんの!」


 地下水道は迷路のように入り組んでいたが、虫型のドローンで走査スキャンしているために分遣隊が迷う事は無い。グールの位置も一目瞭然なので、角に隠れ奇襲の機会をうかがっていた個体にも対応出来た。


 銃声と叫び声と斬撃の鮮烈な交響楽曲が地下水道を支配した。C分遣隊は比類なき容赦のなさを発揮して怪物たちを蹴散らしていく。グールには大人サイズもいれば明らかに子供サイズの個体もいた。人間から変異したアボミネーションなのは間違い無いが、何故このような状態になったのか。


「ちょっと! 二足歩行のヤツもいるじゃない!」


 今にも転びそうな勢いでグールの一体が走ってきた。絶叫しながら姫愛奈に突撃したその怪物は、フラワーシーフの一撃で真っ二つに切り裂かれた。


「キモい! 何でこんなにいるの?!」

「この世界、文明レベルに比べて脅威が多いな!」


 レギュレイターで的確にグールの頭を撃ち抜いていく政臣。こういう手合いは頭部が弱点と考えた故の行動だったが、グールは首の皮で繋がった頭をぶら下げながらなおも政臣に迫ってきた。


「バラバラにしないとダメか?!」


 気がつくと、倒したと思ったはずのグールが起き上がっていた。というより身体を引きずっているだけのモノもいるが、これではキリが無い。いずれは手詰まりに陥り、追い詰められてしまうだろう。


(簡単な仕事ではないと思っていたが、やはり騙されたのか?)


 グールを背に逃げつつ、政臣はカルダンの薄ら笑いを思い返した。報酬を前払いしてきた事で、多少は誠意があると判断したのが早計だったか。それとも街の地下水道なのに、こんな怪物たちが放置されているという異常な状況から気づくべきだったか。いずれにせよあの胡散臭い男がこちらを遠回しに排除しようとした事は明白だと政臣は確信していた。


 では何故カルダンはそんな事をするのか。こちらは成り行きとはいえ賊の襲撃を受けた村人を救った、いわば恩人である。同胞を助けた者たちにする仕打ちではない。村人を助けるのがダメだったのなら……。


(いや……そうか!)


 背後に飛びかかってきたグールの頭蓋にレギュレイターの弾丸を食らわせながら政臣は悟った。そうだ、村人を救った事が不都合だったのだ。現状の少ない情報を統合して導き出される答えはそれしかない。政臣は村を襲った賊のリーダーの言葉を思い出した。彼は魔族に連なる〝アートル卿〟なる吸血鬼に仕えていると言っていた。距離的な観点からして、ルイニアの脅威なのは間違いない。なのに、街ではそんな話題を一言も聞いていない。単に聞き逃した可能性もあるが、あのカルダンすら話題に持ち出さなかった。この近辺で人間を襲うとしたら、森にいる魔物アボミネーションか吸血鬼の配下しかいないのに。


 何故か。はじめから繋がっていて、不都合なこちらを消そうとしたのでは──。


「きゃあ!」


 甲高い悲鳴と共に政臣の隣にいた姫愛奈が消えた。グールに足を引っ張られ、水面に顔を突っ込んだのだ。


「うわ、最悪」

「こっちのセリフでしょ! どうして私がこんな目に……」


 C分遣隊はいつの間にか十字路にいた。前後左右からグールがやって来る。分遣隊は危惧していた包囲状態に陥ってしまった。


「白神さん、立って! 囲まれてる!」

「下着が……気持ち悪い!」

「終わったら全部着替えれば良いだろ!」


 余裕が無いながらも政臣は打開策を考えていた。持ってきていたマガジンはあと一つ。グレネードはあるが、見るからに老朽化の進んだ地下水道で使ったらどうなるか。もし崩れれば、死ねない身体で生き埋めになる。それこそ地獄以上の苦しみだ。


 何かないか。脳細胞を総動員して政臣は考える。幾つかのアイデアを却下した後、彼に天啓が舞い降りた。


 大抵のゲームではこういったクリーチャーは火属性の攻撃が有効だった記憶がある。──この世界のグールが死者かどうかは別として──策の一つとしては良いのでは?


 根拠がゲームの知識とはいかにも元学生風情の論理だが、切羽詰まった政臣はこれ以外のアイデアを捻出出来なかった。


「S14! 炎魔法でコイツらを焼き払え!」


 補助ドールに疑問というものは無い。オプレッサーにシェルを装填していたS14は、政臣の命令に躊躇無く従った。亜空間ポケットにオプレッサーを収納し、右手のひらを相対するグールたちに向ける。人形の手のひらに魔方陣が発生し、そこからまばゆい炎が噴射された。


 結果として、効果は絶大だった。炎に巻かれたグールは一様にもがき苦しみ、次々と水面に身体をなげ打っていく。


「やった?!」

「ミーナちゃんも!」

「はーい!」


 S15もS14にならい、魔法による火炎放射でグールを蹴散らした。罪人の魂を焼き尽くす地獄の業火ではないが、グールたちの叫びはそれこそ無限の責め苦を受ける咎人を政臣と姫愛奈に想起させる。水に身をなげ打ち、熱い鉄板に肉を押し付けた時のような音を立てて火は消えていく。


 やがて地下水道にはいつもの静寂が戻ってきた。吐き気を催す焦げた臭いと共に。


「最初っからこうすれば良かったじゃない! 何で言ってくれなかったの?!」

「思い付いたのはついさっきだったから……」

「もう! 簡単に終わるはずだったのに! 絶対に埋め合わせしてよね」

「やるっての。しつこい子は嫌いだな」

「はあ~? 女の子に嫌いとか簡単に言っちゃダメよ。傷ついちゃうんだから」

「ハンッ。一体どの口が言ってるんだか……」

「統制官、早急に地下水道から脱出する事を提案します」


 政臣と姫愛奈の口論がヒートアップしそうなタイミングで、S14が割って入った。無表情を貫くS14だが、高次心理学に基づいた心理判定アルゴリズムによって人間の会話を分析する能力を持っている。これにより〝空気を読む〟といった複雑な挙動が出来るのだ。この場合も政臣と姫愛奈の語調パターンから二人の会話が口論に繋がる可能性を計算し、〝割って入る〟という処理をしたのである。


 そんな高度な処理が補助ドールの中央演算処理装置で行われているとは知らず、政臣と姫愛奈は矛を納めた。


「……そうね。止めた」

「済まないS14。帰ってカルダンに報告するか」


 ◆


「ご無事で帰還するとは……。その、ケガなどは?」

「無い。強いて言うなら、パートナーの服が汚れた事ぐらいだな」


 カルダンの表情から、やはり自分たちをあの地下水道で葬るつもりだったのだと政臣は看破した。怪物だらけの場所に放り込めば、勝手に死ぬと考えたのかもしれない。浅はかと言うには酷だろう。目の前の少年少女が実は無数の世界を管理している組織から来たエージェントなどと想像出来るはずもない。政臣はカルダンにほんの少しだけ同情してしまう。


「我々はもうすぐこの街を出る。その前にちょっとした小遣い稼ぎが出来て良かったよ。住民たちも喜ぶだろうな。長らく放置されていた地下水道の問題を解決出来て」

「そ、そうですな……。それはもう」


 目の焦点が定まらないまま、カルダンは首肯する。あまりにもあからさま過ぎるので、政臣と姫愛奈は笑いをこらえなければならなかった。


「青天目くんの言う通りだったわね。あのオッサン、私たちを殺す目的であそこに送り込んだんだ」

「上手く行かなかったようだな」

「でも放置して良いの? 私たちに敵対する何かがいるって確定したわよ」

「それはそうだけど、なるべく任務の方を優先しよう。こちらから現地人に危害を加える訳にはいかない」

「敵よ? それでも?」

「無抵抗を貫こうって言ってるんじゃない。向こうから撃ってくれれば、こちらがやり返す理由になるじゃないか。自分たちから攻撃するより、〝これは正当防衛だ〟って気分で戦う方が気持ち良いでしょ?」


 そう言って政臣は笑みを浮かべる。笑みと言うには歪んでいる形だが。


「……その顔、一度鏡で見ると良いわ。すごい悪い顔」

「えっ、そう?」


 一瞬で素に戻り、鏡が無いか辺りを見渡し始めるパートナーをよそに、姫愛奈は手を叩いた。


「はい。じゃあ地下水道で言ってた埋め合わせの時間です」

「今?!」

「いつやるのよ。どうせ明日はこの街を出発するんでしょ。そうなったら青天目くん絶対あれこれ誤魔化して約束反故ほごにするもの」

「信用されてないな」

「そういう訳で、青天目くんには着替えてもらいます」

「は?」

「これに着替えてね」


 ホログラムモニターに表示された衣装を見て、政臣は思わず身を引いた。


「早く早く」

「白神さん、俺は男なんだ。元の世界では確かに女と見間違えられたがな──」

「それは監察庁でも同じでしょ? ほら、グダグダぬかさずさっさと着て」

「扱いがテキトーになっている!」


 着替えといっても、ただホログラムで見た目を変更するだけである。だが、それでも政臣はこの羞恥に耐えられる気がしなかった。


 姫愛奈が求めた埋め合わせ。それはメイドコスチュームだった。


「……っ。何でオフショルダーなんだ……」

「あははははッ!! すごい! すごいわ青天目くん! こんなにメイドさんが似合う男は見た事無い!」


 姫愛奈の言葉は何も間違っていなかった。政臣の中性的要素は顔だけではない。身体つきも肌もである。政臣が軍装的デザインのテックウェアに黒いケープを羽織っているのは、実は全体的なフォルムを視覚的に誤魔化す意図もあった。もっとも、そんなはほとんどの人には通じず、男装の麗人がごとき輝きを放つ事になってしまっていた。


「こんな辱しめを受けたのは初めてだ……」

「そうなの? じゃあこれからもっと恥ずかしい目に遭うわね」

「何?」

「二週間前に一回して以来ずっとでしょ? ね?」

「……は?! この格好でか?!」

「いつも澄ました顔の青天目くんが余裕無い今こそ、私が優位に立てる気がするのよね~」

「S15、部屋を出ましょう」

「何で? お姉ちゃん」

「人間は種の存続という目的以外に、快楽を得るためだけに性行為を行います。しかし人間は性行為に羞恥心を覚える矛盾した感性を持っています。だから──」

「やめろ! 保健体育の教育ビデオみたいな解説やめろ!」

「空気が読める子は好きよ。じゃ、青天目くんベッドに来て。昨日私をからかった報いを受けさせてあげる」


 姫愛奈は昨夜の出来事をまだ根に持っていたのだ。百人中百人が思わず振り返るような笑顔と共に姫愛奈はベッドをペシペシ叩く。その小生意気な態度に政臣は切れてしまう。


「……そうかい。なら、こちらもさせてもらおうかな」

「サービス良いわね。じゃあお願いね」


 数時間後、許可を得て部屋に戻った二体の補助ドールが見たのは、制服に着替えた政臣と、頬を赤らめパートナーにしなだれかかる姫愛奈であった。政臣の精力はその細身とは裏腹に、実にマッチョだったのである。

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