9.依頼

 ルイニアの空は完全に暗くなったが、歓楽街には未だ灯りがある。仕事終わりの労働者が銭を片手に酒屋や娼館へ赴くのである。


 そんな歓楽街を見渡せる部屋に政臣と姫愛奈はいた。ルイニア市の傭兵業務を一手に請け負う業者が二人を呼び出したのである。


「お会い出来て光栄です。あの地域は兵士の数が少なく、我々も支援が出来なくて……」


 正面のソファーに座っているのは、高級そうなスーツに身を包んだ中年程度の男だ。街で目にした人々と比べると明らかに血色の良い顔をしていて、豊かな生活を送っている事が分かる。


「わたくしはルイニア市の傭兵業務を仕切っているカルダンと申します。この未曾有の戦争で戦う連合軍兵士を陰ながら手助けしているのです」

「未曾有の戦争……確かにそうですね」


 統制官課程でオメガスペースでの大戦を学んだ政臣と姫愛奈からすると、世界大戦規模の戦争ですら局地戦のように思えてしまう。超巨大なブラックホールのようなものに恒常世界が飲み込まれる映像を見た後では、何処其処の平原で何百人が死んだなどという情報すら霞んで見える。


「我々としては本当に感謝しているのです。知っているでしょうが、こんな僻地では人手も足りず、あのような悲劇が度々起こってしまうもので……」


 何を苦笑いしながら言っていやがる。政臣はカルダンと名乗った男に侮蔑の視線を向けた。村が壊滅し、住民のほとんどが死ぬような事が起こっている。もっと危機感を持つべきではないか。政臣は唐突に脚を組んだ。真面目に聞く気が失せたのだ。政臣は意識の低い人間が嫌いなのだった。


 だが、それはそれとして建前は大事である。政臣は不快感が混じらないよう細心の注意を払いつつ言った。


「お気の毒です。人手だけでなく、物資も足りないでしょうに」

「ええ、ええ、まさに」


 政臣の隣に座っていた姫愛奈は、自分のパートナーが目の前にいる男を一瞬で嫌いになった事を察していた。姫愛奈も、女の勘と言うほどではないが、肌感覚でカルダンの胡散臭さを嗅ぎ取っていた。


 そもそも素性不明の旅人を、仮にも市の役員がわざわざ呼び出す事自体が二人に違和感を覚えさせた。それほどにまでこの世界は逼迫ひっぱくしているのだろうかと本気で心配になってしまう。


「人手不足の分はわたくしが傭兵の方々に依頼する事で補っていますが、それでもまだ足りない有り様で……」

「この街にはどのくらい傭兵が入るのかしら?」

「ほとんどがルイニア出身者です。訓練には本社から連れてきたベテランを使っていますが、お二人のようなプロとは比べ物になりません」

「プロ?」


 姫愛奈が思わず問い質す。


「違うのですか?」

「それは──」


 政臣は姫愛奈の右腕を掴み、黙らせた。


「確かにプロと認められていますが、運と才能に助けられているようなものです」

「なるほど、お若いのにしっかりしている理由が分かりました」

「……」 


 「どうして止めたの」と小声で姫愛奈が政臣に訊ねる。


「正体が完全にバレる訳にはいかない。ここは任せて。…………しかし、我々を呼び出すとは、もしや依頼ですか?」

「え、あ、おお。そう、そうなんです」


 一瞬だけカルダンのビジネススマイルが崩れた。政臣の言葉でペースが乱れたようだ。


「実は、お二人に依頼したい仕事が……」

「報酬次第では聞きましょう」

「もちろんです。共通クレジット払いで五十万。入り用ならば弾薬やエリクサーも用意致します」


 政臣は共通クレジットのレートを調べた。ナノレイヤーに現在のレートが表示される。これもS14とS15の情報収集のおかげだ。


 MEー5142では、〝共通クレジット〟なるものが基軸通貨として使われているという。ちなみに共通クレジットという名称は翻訳機の都合で、本来は全く違う言葉である。オメガ監察庁の高性能翻訳機によって、両者の間に言語的齟齬は極力生じないようになっている。


「五十万ってどのくらい?」

「傭兵への報酬にしても高い。やっぱり怪しいな……」

「いかがですか?」


 カルダンが政臣と姫愛奈を伺うように見る。


「ここまで実入りが良いと少し怪しく思ってしまいますが、本当にこの金額だと言うなら快諾しましょう」


 政臣の返答にカルダンは太陽が差したような笑顔を見せた。


「お約束致します。それで依頼内容なのですが……」


 ◆


 カルダンとの会談を終えた政臣と姫愛奈は宿に帰ってすぐさま上司のセレネに報告した。標準時からして勤務時間ではなかったが、当のセレネは普通に働いていた。


「それで、受けたの?」

「はい。本当に報酬が貰えるなら、願ってもない事ですから」

「現状、あなたたちの正体は見破られていないのね?」

「我々は腕の良いフリーランスの傭兵だと思われているようです。すぐにバレてしまうでしょうが、せめてこの街にいる間は偽りの肩書きを利用させてもらいます」

「そう。あまり派手な動きは避けなさいよ。……ところで、白神統制官?」

「……っ」


 名を呼ばれた姫愛奈は反射的に視線を反らした。


「こっちを見なさい! 青天目統制官はともかく、あなたには組織の一員としての自覚が無い! 普通報告は二人揃ってするものでしょう!」

「一回サボっただけなのに……」


 少女は誰にも聞こえないように言ったつもりであったが、その呟きは増幅されて世界を隔てた先にいる上司へと届いた。


「今、何て?」

「ヤバッ」

「白神統制官! あなたという人は! 統制官課程でも反抗的な態度を見せたと聞いたけど、やっぱり評判通りね!」

「ちがっ、それは──」

「口答えしない!」

(あ、この流れまずい)


 政臣の推察通り、セレネはお小言を姫愛奈にぶつけた。通信が終わり、ホログラムの光が消えると、姫愛奈のふくれっ面が窓の隙間から差し込む月光に照らされた。


「白神さん……」

「あの人嫌い!」


 予想通りの言葉に政臣は思わず苦笑いを浮かべた。


「少しは落ち着いて。別に課長も白神さんを完璧に嫌っている訳じゃないだろうから、ね?」

「……」


 何も言わず、姫愛奈はベッドに腰を下ろす。二体の補助ドールは、黙ってその様子を見ていた。彼女たちにメンタルヘルスの機能は付いていない。ただ、主人の命令に従うだけの人形なのだ。


 パートナーが不機嫌な状態では任務に支障が出る。政臣は面倒臭いと思いつつも姫愛奈を説得し始めた。


「課長は白神さんの事を思って説教したんだ。俺たちがこの任務をやっている理由を思い出して」

「……。功績を挙げて、監察庁に居場所を作る……」

「ちゃんと分かってるじゃないか」


 実は、この任務には隠された目的がある。それは政臣と姫愛奈に功績を立てさせ、オメガ監察庁の上位組織、立法府に二人の存在を認めさせるというものだ。現在、政臣と姫愛奈の転移は事故と認定され、二人に転移規制違反の疑いは一切かけられていない。ただの一般人として扱われている訳だが、重大な問題として、二人が〝十二の世界〟の住人ではないというものがある。これは立法府によって認められた市民権を持っていない事を意味している。十二の世界はこの市民権が非常に重視されていて、重罪を犯したりする事で剥奪されてしまう。公的にとされるのだ。


 こうなると、法の庇護は一切受けられない。一応配慮はされるが、一般的に市民権を剥奪された者は〝それほどの事をした愚かなヤツ〟と見なされるので、最悪の場合普通に殺されてしまう。


 政臣と姫愛奈もこの例に当てはまる可能性が浮上したため、ラーガルが各省庁の長官たちに働きかけ、立法府に合同で嘆願書を上奏したのだ。二人は任務に志願しており、その意欲も旺盛です。どうかチャンスを、と。


 結果は見ての通りである。嘆願は認められ、政臣と姫愛奈は統制官となった。実地任務で確かな成果を残し、立法府への忠誠を示せ、というお達しである。


「俺たちはただ任務をこなせば良いんじゃない。ちゃんとした実績を上げないと。じゃないとどうなるか。分かるよね?」

「脅してるの?」

「事実を言っているだけ。白神さんだけじゃなく、俺も一緒に放逐されるんだ。白神さんがどうかは知らないけど、俺は嫌だな」


 姫愛奈の隣に座り、彼女の腰に手を回す。大げさに振る舞わなければ注目してくれないと政臣は理解していた。


 政臣の大胆な行動に、案の定姫愛奈は反応した。ふくれっ面が消え、驚いたような表情でパートナーを見つめる。透明に近い澄んだ灰色の瞳が、少女を見返す。二人の顔はかなり近い。どこか陰のある美男美女が顔を突き合わせているという、耽美に片足を踏み込んでいるような光景だ。


「ちょ、近い」

「俺たちの任務は長い。こんな序盤で癇癪を起こしたせいで任務を失敗させたくないな」

「青天目くん、その……」

「顔をそらさないで」

「だから顔が……」

「何か付いてる?」

「そういう事じゃなくて──」


 返答の間も無く、姫愛奈はベッドに押し倒される。


「あれ」

「些細な事でイライラするような子には、お仕置きが必要だよね……」

「へあ」


 声が裏返る姫愛奈は補助ドールが見ている手前で、この男は自分を襲おうとしているのか? 視線は時折感じていたが、任務優先で性的なモノにはあまり関心が無いと思っていた。だが、やはり彼も年相応の欲を持っているというのか。


「白神さん?」


 そのフェロモンボイスと冷徹な笑顔は、たちまち姫愛奈の心をかき乱した。


「あ……」


 本当に同い年なのだろうか。貴い血筋のような雰囲気すら感じさせられる。

 

 同様する姫愛奈だが、しかし同時に期待する気持ちがある事も自覚していた。性格はともかく、政臣の容姿は百点満点である。中性的な面立ちの、特に横顔が角度や光の陰影によって一瞬だけ女に見えるのが姫愛奈は好きだった。


 そんな政臣となら寝ても良いと思わなかったと言えば嘘になる。相性などはともかく、単に興味として。だが、こんな唐突にその機会がやって来るとはさすがに予想していなかったのである。


「あ……青天目、くん」

「ん?」

「その……スキにするなら……優しくで……」

「もう些細な事でイライラしない? 上司に説教されても反抗しない?」

「し、しない。しないから、もう少し準備の時間を──」

「なら良かった!」


 フェロモンボイスが嘘のように、どこかバカバカしさすらにじませた快活な声を上げ、政臣は姫愛奈から手を放した。


「──え?」

「伯父さんが言ってた。〝お前は容姿と声に玉響たまゆらの美しさがあるから、軽く囁けば女はすぐに落ちるぞ〟って」

「は」

「伯父さんの言う通りだった! 白神さんすごいとろけた顔して俺を見てたし、完全に落ちて──」


 得意気な政臣の顔面に、姫愛奈の鉄拳がめり込んだ。


「ばふがッ?!」

「その気になってたのに……パートナーをたぶらかして……」

「前が見えねェ、じゃない。白神さん、いや俺は少し白神さんを懲らしめようと」

「そう。アレがあなたの懲らしめ方って事なのね? 女の子の心をかき乱すのが?」

「かき乱すのは白神さん次第で……」

「私次第?! やっぱりあなたはカス男だわ! あんな風に誘っておいて梯子を外すなんて! 最低! ゴミ! 死ねば良い!」

「いや、もう死ねないし」

「口答えしない!」


 何故か説教されていた姫愛奈が説教を始めるという珍妙な事態のまま、C分遣隊は朝まで過ごす事になった。

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