第15話 欲しかったもの
─────────────
「レモンさん、いえ、料理長。頭を上げてください」
「奥様が了承しないかぎり、テコでも動きません!城の皆も心配しております。おねがい致します」
「……解りました……帰りましょう。あの、イデアは……?ずっとあのこの事が頭から離れなくて」
「すっかり大きくなって、まあ、奥方様が見たらびっくりします。ジルベルト様になついてしまって。話し相手になっていますよ」
私は、用意された馬車には乗らず、馬車には先に行かせました。
「あのひとはエリアラ様がいる。街の人には私だけを必要としてくれると思ったのに、貴族騒ぎ。奥様騒ぎ。あのひとの我儘で、城に戻るのね」
「どうして、ジルベルト様を、それほどまでに……」
「あのひとの心の中の『唯一の女性』を私に渡す気などないくせに……『ジル』と呼ばれたかったのはエリアラさまなのに……。エリアラ様亡き今、私に固執するのは私がエリアラ様に似た金の髪、紫の瞳を重ねて傍に置きたいからなのに。私ではないのに。『ジルと呼んではくれないのか』と言われ魔法が解けました」
私は革靴で、道端の石を蹴りました。
「閨の後で私の髪を撫でながらエリアラ様を呼ぶ瞳と、同じだったのですよ……」
私は炊き出しの女神。そう言いながら荷物を見ます。ボロになりつつある大事に着てきたコックの制服。蒼薔薇の刺繍なんて、誰も気づかないほど色褪せて。髪を縛る蒼地に白の薔薇のリボンも誰にも気づかれないようにしていました。
どうして今も持っているのでしょう。全てを捨てた、筈なのに。髪はブルネット。瞳の色を変えるのは怖かった。紫色の自慢の、瞳が。『かつて』のあのひとが愛したアメジストのような瞳。
暫く私が感慨にふけっていると、レモン料理長が、
「それにしても、奥様は料理の腕が上がりましたな」
「料理長に言われれば、自信になります」
私がここにいられなくなったのは、『学校騒ぎ』もありますが、誰より美味しい炊き出しを作ると、首都から面白半分に、庶民の食べ物を馬鹿にしに来た貴族に、目の前での調理し、不正がないか見届けさせ、黙らせて帰らせたことです。訊かれたことは、
「──そなたの父は宮廷料理人か?」
「──街の食堂の店主にございます」
レディの所作で、私は挨拶しました。貴族は笑い、
「そなた程の度胸と美しさ、料理の腕、貴族の物腰。噂に聴く、ジルベルト様の鳥籠から逃げた美しい鳥、イザベラ様とお見受けするが」
中央の貴族に嘘をつくのは厄介です。私は舌打ちをしたくなりました。レディの正しい受け答えをし、嫌味な彼等には退散して頂きました。
近くの人たちが一気にざわつき平伏します。『領主様の奥方様とは知らずに馴れ馴れしい態度を取り申し訳ありません』『イザベラ様のお洋服は、別洗い致します』
皆がそう言い離れていきます。──こんなもの、身分なんて、いらない。まだ、ボロを着た私は『落ちぶれた貴族の娘』でした。それならよかった。けれど、『領主の奥方』となれば違います。皆平伏して、まともに話はできません。私はこんな扱いなんて受けたくなかった。やっと居場所を見つけたと思っていました。
ジルベルト様を好きだったとき、あんなに欲しかったものが、今いらないものになりました。足に絡み付くのは蒼薔薇の蔦。あなたの視線。悲しい寂しいと訴えかける。黒い瞳。かつての私は女々しいようでその瞳を無視するほど、非情には出来ていませんでした。今は違います。あの人に抱かれ愛妾になり、何の因果か正室と貴族の身分を手に入れました。私はこんなもの、いらない。
──────────《続》
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます