第14話 もう、私はエリアラ様じゃない
「……傷つくのが怖いのです。ジルベルト様に、また今は亡きエリアラを重ねられたら、私は生きている意味を失います。あの時、息絶えていたら良かったと思わせたいですか?貴族?そんな身分いらない!私はイルです。甘いものを作るしか能がないただのイルです。あの絶望をまた味わうなんて。死んだ人は思い出と共に美しくなるだけ。もう嫌です。身分もドレスも社交界も要らない!まかない料理見習いがいい!ジルベルト様は何にも解ってらっしゃらない!あの時、死んでいれば良かった!」
私は着の身着のまま、昔の使用人時代の荷物を持って街へ行きました。蒼薔薇の秘密の庭を抜け、駆けます。行く宛もないのに。うっすら空も白み、夜明けです。いい匂いに立ち止まると横の広場で炊き出しをやっていました。
「手伝います」
「お嬢さん、貴族だろ?平民の飯なんか作っても何の特にもならんよ」
ぼろを着たおじさんが笑いました。
「振り出しに戻したいんです。あの方を知らずにいたら、どんな人生が待っていたか」
「よく解らんが酔狂なお姫様だねぇ。じゃ、お姫様にはお姫様らしく甘いもん作りを頼むよ」
作ったのは、小麦粉と玉子と砂糖を種にして混ぜて揚げたドーナツ。
「揚げたてだから気をつけて」
わらわらと人が集まってきました。今は亡いおばあちゃんが、私が『お腹空いた』とごねると、作ってくれたおやつ。
「うっま!しかも腹持ちするな、これは!働く前にはうってつけだあ」
「あんた、やるなあ」
「ありがとう」
そう言って私が微笑むと、雲が切れて光がさしました。被ったストールが風に飛ばされていきます。急に周りがざわつき始めました。
「エ、エリアラ様?生きて、おられた?」
私はむきになって、否定しました。あの方の愛した方。私はその影だったこと、それだけでも辛いのに皆も私をエリアラ様の影と言う。
「ち、違います!皆さん落ち着いて。私はエリアラ様のような高貴な方ではありません。私はジルベルト様の屋敷で働いている、厨房での見習いです。まかない作りです。皆さんに『少しでも元気になって欲しい』とのジルベルト様のお心をスイーツにしました。私のレシピ帳を写したいと言う方は良ければ写して下さい」
料理のコツ、肉を短時間でやわらかくする方法。このハーブは魚と相性が良いし、このサヘルの実はラヤルの種と磨り潰せ合わせれば高価なダイナの実と同じ味が出る。食べられる野草はこれ、似て危険な野草はこれ、ひいては医学にまで転じ、流行りの風邪に効くもの、怪我にはこれを揉んで湿布すればいい──。
私は街で流行っている髪染めをして、金色の髪を黒色に染めました。もう、目立つことはありません。
この髪でエリアラ様の再来などと呼ばれることもなくなりました。面倒なのは2月に1度染めないと、また金色の髪に戻ってしまうと言うことです。だから私は1ヶ月半たったら街で髪を染めます。
いつの間にか毎日炊き出しを行ううちに、村の人たちから『炊き出しの場には女神がいる』と言われるようになっていきました。炊き出しの皆は男女問わず雑魚寝ですが、やさしいおじいさんがまるでボディーガードのように守ってくれます。
かつての戦乱の世、ジルベルト様が怪我をされたらと、ジルベルト様の夥しい本の蔵書がある図書室で薬草や外科的処置、リハビリを学びました。全てノートに書き移して今は志高い少年、少女にそれを教えています。勿論、学びたい人は誰でも歓迎しました。私自身、もっと学びたい。東の国では『医食同源』と言う言葉があるといいます。
いい香りの香水、美しいドレスもいりません。どれくらい時間がたったでしょう。ある日、ジルベルト様から、
『学校を作る』
と言うお触れが出ました。それには続きがありました。
「これは何て書いてあるんだい。俺たちは字が読めねぇんだ」
ここには字が読める人たちが多くはありませんでした。
『学費は学校が休みの時、料理を我が妻に習って欲しい』
私は薄い紙をくしゃくしゃと丸め、
「学費のことは心配しなくてよいとのことでした」
そう言うと、喜びの声が。
『子供を学校に行かせてやれる』
と。私が子供の頃とは時代が変わったのです。私はあの頃、一瞬一瞬を生きるのに精一杯だった。
いつも親切にしてくれたおじいさんが被り物を取り、顔についた泥を取りました。
「帰りましょう。奥様。ジルベルト様はあれから何度もお忍びでいらっしゃり、着るものを変えて、身体を泥で汚して、砂で髪を汚してまで奥様をご覧になるためにいらっしゃっています。そして、この前仰っておりました。『私は美しい鳥を傷つけ、籠にいれ、鳥は悲しみに耐えきれず逃げていってしまった。愛しかたを間違っていた。ただ、大切にするだけでよかったのに』この前の城からの差し入れの林檎ジャムはジルベルト様に自ら作られたものです。ジルベルト様のしたことは確かに一番してはいけないことです。私が妻の横で知らない女性の名前を言ったりしたら、家に入れて貰えません」
そう言い、レモン料理長になったおじいさんは、コホンッと咳払いをしました。
「ですが、ジルベルト様は奥方様に会いたがって。やつれて、心ここに有らずで……。お願いします奥様。戻ってきてください」
──────────《続》
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