第3話 アップルパイ

「……お前の作るデザートは私の楽しみだ。お前にこの庭で泣く権利をやろう。泣き止んだら屋敷に戻れ」

「あ、ありがとうございます!」

 立ち上がり頭を下げると、コックの白いキャップが落ちました。金色の髪がハラリと顕になります。

「申し訳ありません!コックとして恥ずべきことです」

 どんな叱責を受けるか。私は芝生に落ちたキャップを急いで拾い上げ、頭を下げながら両手でキャップを握りしめました。頭を上げない私に一呼吸置き、ジルベルト様は柔らかな声で言いました。

「……いや、美しい髪だ。中々その髪や、紫色の瞳を持つものはいない」

 ジルベルト様は、何故かつらそうに私を見つめました。

「で、では、失礼致します」

 そう言い帽子を被り、足早に立ち去ろうとした時、ジルベルト様は仰りました。

「『生き延びろ。希望を捨てるな……そうすればいづれ道は自ずと開ける……』あの娘か。良く生きていた。生き抜いたな」

 道は、開けたか?ジルベルト様は目を細めました。ザアっと音を立てて風が吹きました。蒼薔薇が揺れます。振り返った私と視線を交わし、切なそうに私を見つめた後、それが罪であるかのように、ジルベルト様は、私から目を逸らし、蒼い薔薇を見詰めました。ジルベルト様は、私の胸も苦しくなるような、そんな瞳をしていました。

 私は解ってしまいました。あれは『恋』をしている目だと。私との小さな再会に思いを馳せる、小さな憧憬の瞳などではありません。

 黒将軍と言わしめるジルベルト様に、思い詰めた顔をさせる方はどんなかたなんだろう。少しの間でも悩んだ私は愚かです。『ジルベルト様の唯一』……金の長い美しい髪、紫色の宝石のような瞳。戦いの女神と異名をとる……聖女エリアラ様です。

 私と同じ髪の色で、同じ瞳の色…人が違うと、こうも違うのです。私はあの蒼薔薇になりたい。ジルベルト様のあのオニキスのような瞳で見つめられたい。

 今、堕ちるように抱いてしまった想いを叶えたいとは思いません。幼い頃からジルベルト様が私の道標でした。決して動くことのない旅人の命綱のような、北極星のように。迷ったときにはジルベルト様の言葉を励みに生きてきました。淡い初恋。拙い初恋。本当に『ままごと』のような想いを暖めてきました。それを伝えたいようと思うほど大それた心臓ではありません。けれど、胸に埋めるくらいは許される筈です。私は思いきって言いました。

「今度、お茶会をしませんか?ここで。アップルパイとジルベルト様の好きな紅茶を用意して待っています」

────────────────

「……今日のメニューは?」

「ストレートティーとアップルパイです」

最初は『子供相手にままごとだな』ジルベルト様は苦笑し言われました。けれど、段々とジルベルト様はまるく微笑んでくれるようになりました。

 私は毎日一人分の紅茶とデザート──アップルパイを用意し、毎日、蒼い薔薇の庭へ通いました。最初は一週間に一度会えれば良かった。逢えない日は肩を落とし、独りで芝生でティータイムを過ごしました。

 ジルベルト様に逢えた日は、用意したジルベルト様の好きな紅茶を淹れます。少しでも楽しんで頂けたら。ティータイムの度にジルベルト様は花の話を良くしてくださいました。ジルベルト様は薔薇が好きで、中でも此処でしか咲かない蒼い薔薇は大切にしていると仰っていました。

「この薔薇は四季咲きの薔薇だからな。いつも私を慰めてくれる」

 ──あまりにも惨めですから、解るのです。あの黒いオニキスの瞳が潤む理由は、私ではない。ジルベルト様が見ているのは、私を通した違うあの方だと。そして、私の想いは秘すべきもの。気づかれてはいけないものだということも。あの方の中に、私はいないのです。

 そして、私は恐ろしいことを考えてしまいました。私が金の髪をしていなかったら、紫色の瞳をしていなかったら、緋の国の敗残兵から、ジルベルト様は、私を助けてはくれなかった……?偶然か、必然か。忘れてしまうような少女への言葉。何故、憶えていたのでしょうか?

 胸が痛みました。ジルベルト様には、毎日の日課のようなティータイムをジルベルト様と、この秘密の蒼薔薇の庭で過ごします。

 切なくて、悲しい。あの方と会ってつらいだけだとは、解っているのです。けれど私の足は蒼薔薇の庭に向かいます。ジルベルト様と過ごした一瞬一瞬を、思い出の箱に詰めたい。愁いを帯びた横顔を見詰めていたい。それだけが、どうしようもない私の願いなのです。


────────《続く》

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