第2話 私だけの再会
「蒼い、薔薇?初めて見たわ……甘くてやさしい香り……」
ここは、少し湿度があって、蒼い薔薇が咲き乱れ、甘いの匂いが立ち込める、神秘的な、触れてはいけない、踏み込んではいけない禁足地のようでした。けれど、この花達は、私を不思議と切ない気持ちにさせます。
『おかあさん、おとうさん、天国は良いところ?おばあちゃん、きっと天使様が胸の病気を治してくれるよ』
そんなことを願いながら、蒼い薔薇に触れます。願いは真実なのに、独りになったという現実は、私をひどく切なくさせるのです。
「みんなに会いたい……。おかあさん、おとうさん……おばあちゃん」
庭をつつむ甘い匂いが涙を誘います。私は人目も憚らず泣きました。今思えば戦火に全てを失ってから、こんな風に泣くのは初めてでした。毎日、毎日一日を生きることに精一杯で、こんな風に感情が溢れて泣くことなんて出来なかったのです。張り詰めた糸が切れたように、私は蹲り声をあげ咽び泣きました。言葉にならない声でひたすら、
「おかあさん!おとうさん!おばあちゃあん!私、独りになっちゃったよ!誰もいないよ!独りぼっちだよ!」
顔をぐしゃぐしゃに濡らす私を、ただ咲いているだけな筈なのに、蒼い薔薇は温かく見つめているようでした。涙はただただ流れますが、心は幾分穏やかになりました。
「お前は、綺麗ね。私はいつも手なんかカサカサ。髪も、縛ってキャップをかぶるから。綺麗になりたい日もあったけど、今の暮らしが好きなの。石鹸の荒れた手も、髪も勲章なのよ」
「……どうしてこんな所に子供がいる?」
厳しい声に泣き濡れた顔で振り向きました。見目麗しい、長い黒髪のオニキスのような瞳をした──『黒将軍』
蒼の国『聖女』エリアラ様の言わずと知れた忠臣、ジルベルト様。蒼薔薇の飾りをつけた黒毛の馬を引き、私を見据えています。
「どうして私の庭を勝手に歩いている。ここは私だけの庭だ」
怒って、らっしゃる。昔私を助けてくれたジルベルト様の声とはかけ離れていました。
「……も、申し訳ありません、ジルベルト様。わ、私は、イルと言います。屋敷で『まかない』を作らせてもらっています。ジルベルト様にお出ししているのは、甘いものだけですが……どうか、どうか、此処においてください。お願いします……」
「……アップルパイもお前が作っているのか?」
私は小さく頷きました。アップルパイは私の一番の得意のデザートです。俯いているとジルベルト様は、私の頭をそっと撫でて下さいました。磁器のような冷たく美しい手をしていました。ただ手のひらは剣で出来た硬い皮膚をしていました。私の道標としてきた方。生きる意味を失っていたときにはジルベルト様を思い出しました。仰ぎ見る顔は、あのときと同じ。少し緊張します。憧れて、ずっと焦がれ続けたジルベルト様。ただ、声が硬く怖く感じました。一瞬だけ見せた私の怯えた顔を、ジルベルト様は見過ごしませんでした。ジルベルト様は、悲しい顔をしました。
────────《続く》
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