第17話 普通よりも
「あっ……んあっ……」
隅野が少し苦しそうに吐息を漏らす。
「んーっ……! ん、んっ! ちょっ、調子に、乗っ――」
こらえきれなくなったように小さく悲鳴を上げて、
「――ぶあーッ!! クソクソクソクソ!! 死ね死ね死ね死ね!!」
隣からバシバシと台パンならぬ肩パンが飛んでくる。
僕は身体を傾けてそれを避けながら、顔を真っ赤にした隅野を横目で見やった。
「すーぐそうやってムキになる。飛び道具相手にするとき一番やっちゃダメなことだよ」
「うっさいなあ! ムカつくもんはムカつくの! 上から目線で言うな!」
「だったら実力で黙らせてみなよ。ほれほれ」
「づあーッ!! 端でしゃがむのやめろっ!!」
当初の気まずい雰囲気は何だったのか、格ゲーの対戦を始めると、部屋の空気は一気に治安の悪い路地裏のそれになった。
とは言いつつも、隣の隅野が漏らす声がたまに色っぽくて、かと思えば汚い罵声に変わって、僕は地味に落ち着かなかったりするんだけど。
でも、少しだけ安心した。
結局は男女の友情なんて成立しなくて、僕たちは以前のような気安い関係を取り戻せないんじゃないかって思ってたから。
それは取りも直さず、僕自身が、彼女を女の子として意識する瞬間があるからだけど……この感じだったら、きっとこの先もその意識と付き合いながらやっていけるんじゃないかって気がした。
別に……友達関係にこだわることはないんだろうけど。
彼氏彼女として付き合っていくっていう選択肢もあるんだろうけど。
僕が子供すぎるのか、現時点では、その未来を実感あるものとして思い描くことができなかった。
それにどうせ、隅野は『お前と付き合うとかキモくて無理』って言うだろうし。
一緒にゲームで遊ぶ相手ができただけ奇跡みたいなものなんだ。
それ以上を望むのは、贅沢ってものだ……。
「――うぐあーっ!!」
こっちが気持ちよくなるような悲鳴をあげたかと思うと、隅野はコントローラーを放り投げてバタッと後ろに倒れた。
シャツの裾がめくれて、ちょっとだけお腹が見える。
僕は目に入ってしまったそれを急いで意識の外に弾き出しつつ、
「休憩?」
「インターバル!」
一緒じゃないか。
僕はいったん対戦を終わらせると、そのままトレーニングモードに入ってコンボ練習を始めた。まあただの暇つぶしだ。ペン回しみたいなものである。
隅野はゴロンと横に転がると、足の先にあるモニターに目を向ける。
「……こんな地味なことずっとやってんの?」
「格ゲーはこれをやるゲームだろ」
「無理だぁ……。本能が闘争を求めてしまう……」
「こう言うのもアレだけど、あんま向いてないね」
多分、基礎をじっくりと培う、みたいなことができない性格なんだろうな。
すぐに結果を求めてしまうというか。現代の若者らしいっちゃらしいけど。
「君ってさ、映画倍速で見る?」
「見ないよ。2時間の映画を1時間で見れるってさあ、そもそも見なかったら0分じゃん。そっちでよくない?」
「まあ言わんとすることはわからないでもないけど」
倍速で見るくらい面倒なら見なければいいのにってことだろう。
「そういう話じゃないんだよ」
「じゃあ何?」
「世の中で推奨されていることに対して意味もなく反抗するのって、大体損すると思うんだよね」
「……ますますなに? 私のこと刺してる?」
「君ってそういうタイプだろうなと思って。『推しの子』とか逆に見てなさそう」
「うぐ……」
刺さった。
世の中で人気なものに反抗する割には、自分でマイナーなものを発掘するほどの気概もない――というところまでが僕のプロファイリングだったけど、そこまでは言わないでおいた。
「それを直せとまでは言わないけどさ、僕は割と素直に初心者向け講座とか調べてその通りにやるタイプだから、がむしゃらに対戦するやり方で追いつくのは結構気合いがいると思うよ」
「うっさい。正論言うな」
「だったらどう言えと……」
「練習せずに手っ取り早く強くなる方法があったらな~……」
「本田使えば?」
「それだけはやだ!」
努力はしないくせに選り好みはする。
もし彼女が配信者だったらコメント欄にボコボコにされるだろうけど、僕はそんな彼女の性格がそんなに嫌いではなかった。
見てて安心するっていうか……まあ下に見てるってことなんだけど。
僕は彼女の中に自分を見ている。
それは時に不安になるけど、時に安心させてくれる。
そして時に、勇気を与えてくれる。
だからこそ存在している今を、だからこそ僕は、素直に大切だと思える。
「くそぉ……これが独学の限界か……」
「学んでないんだから独学ですらないって言ったら怒る?」
「死ね」
横腹を殴られた。
手元が狂ってコンボをミスった。
隅野はなおも止まらず、ゴスゴスと脇腹を突いてくる。
力は弱いから痛くはない。
しかしさすがに気が散って、コンボ成功率は普段の半分以下だった。
僕はそれでも意地になってコンボ練習を続けたけど、隅野はそれ以上にしつこく脇腹をつついたり、あぐらをかいた足の裏をなぞったりしてくるので、とうとう根負けしてコントローラーを置く。
「おいこら」
「ん~?」
隅野は横向きに寝そべって折りたたんだ自分の腕を枕にしながら、すっとぼけた顔で僕の腰辺りを見ていた。
あまりにも悪気のないその顔に僕は少し毒気を抜かれつつ、
「邪魔するなよ」
「他人のコンボ練習なんて見ててもつまんない」
「君が休憩するって言うからだろ……」
「もっともてなせ。客だぞ私は」
「カスハラ女め……」
僕は腰の後ろに手をついてかまってやる姿勢を取ると、隅野は視線を僕の手首の辺りに据えた。
顎の下に流れていく髪から、小さい耳が覗いている。僕はその薄い耳たぶを見つめた。
こんなに気安い仲になったのに、未だにまっすぐ顔を見るのは難しい。こればっかりはそういうものだと諦めるしかない。将来面接とかで苦労するんだろうけど、そのときのことはそのとき考えればいい。
「……普通の高校生ってさー……あんなに毎日友達で集まって、何してんだろ」
隅野がぽつりとつぶやいた言葉に、僕は苦笑を滲ませた。
「まるで僕たちが普通じゃないみたいだな」
「異端だから、私」
「そういうの中学の頃やってた?」
「別に……ノートに歌詞書いたりはしたけど」
「ちゃんとやってるじゃないか」
「うっさい。お前も絶対そういうのあるだろ」
「どうかな……。やけにグロい漫画にはまったりはしたけど」
「ちゃんとやってるじゃん」
「大したもんじゃないだろ」
ネットでよく見るような、眼帯つけたり腕に包帯巻いたりして学校に行くみたいな、そういう派手なこじらせ方をしてたら笑い話にでもできたんだろうけど、僕たちはそのレベルにすら到達していなかった。
「信じらんないよな……。そういうのやらなかったやつがいるって……」
「目につくところでやってないだけで、見えないところではやってるのかもよ」
「あの野球部やサッカー部が?」
「野球部やサッカー部をなんだと思ってるんだよ」
「あいつらにこじらせるような自意識なんてないだろ」
「すごい言い草……」
「教室で大声でしゃべってるだけでさ、十分楽しいんだから、そういうことして自分をでかくしなくても大丈夫なんだよ。知らんけど」
「知らんけどって言ったらどんな偏見を撒き散らしてもいいと思ってない?」
「私たちが歌詞とか漫画に向けてる好奇心をさ、あいつらはもっと開放的な、他人を巻き込むようなことに向けられるんだから……新しい友達を作ったり、新しい場所に行ったり、恋愛をしてみたり……正直、ちょっと羨ましい」
ひがみでも偏見でもない、素直な言葉が隅野からこぼれ出て、僕は少しどきりとした。
「お前相手に見栄張っても仕方ないから素直に言うけどさ……憧れん? 新学期ですぐに友達グループ作ったり、学校行事を素直に楽しめたり、そういうのを見るとさ、自分もああいう風にできたらな、って……」
「……まあ」
言いたいことは、かなりわかる。
そういうイベントがあるたびに、僕たちみたいな人間は自分の欠点を突きつけられる。
自分が大半の人間よりも劣っていることを理解させられる。
あるいは学校という場所は、そのためにあるんじゃないかと思えるくらい。
普通になりたい、と。
思ったことが、ないわけがない。
「だからといって、一念発起して高校デビューするような勇気もなくて、そんなことするくらいなら部屋でゲームしたり、配信見たりしてるほうが楽しくて……。人見知りっぽい配信者やVTuberがさ、普通にリア友の話してると、見放されたような気分になるんだよね。本当に友達が1人もいないのって私くらいなんだなって」
「わかるよ……。わかる」
「いくら人見知りとかコミュ障って言っても友達の4~5人はいるのが普通で、どんな陰キャでも大学卒業するまでに1回くらい彼氏だの彼女だのできるのが普通で……それができる気がさっぱりしない自分は一体何なんだって、バグかなんかなのかって、悲しいんだか怖いんだかわかい気持ちになったりしてさ……」
「うん」
この感覚は、きっと普通に友達がいる人間にはわからない。
他人と関わることが普通にできる人間には一生理解できない。
僕たちのような人間にしか、決して共感できない。
「私らは、多分運いいんだ。たまたま同じクラスに似たようなのがいて、たまたま隣の家に引っ越してきた」
「……奇跡だと思ってるよ。今でも」
「それでも多分、普通にはなれなくて。社会不適合者2人が普通に生きてるやつらを指くわえて見てるだけで……」
そこで隅野は力尽きたように言葉を途切れさせた。
言えば言うだけ暗い気分になる。そう思ったのかもしれない。
だけど僕は、大切な確認作業のような気がしていた。
僕たちがなぜ一緒にいるのか、それをはっきりと共有する、大切な作業のような気がしていた……。
「……ねえ」
「ん?」
しばらくしてまた隅野が口を開き、僕は相槌を打つ。
隅野はゴロンと体勢を変えて仰向けになり、部屋の天井を見上げた。
「ファーストキスの平均年齢、知ってる?」
「え?」
「17歳とか18歳とかなんだって。意外と高くない? みんなもっと、中学の頃とかに済ませてるんだと思ってた」
「……どこが調べたんだか知らないけど、僕たちみたいなのが引き上げてるんじゃない? ほら、平均値ってあんまり信用ならないって言うし」
「なるほどね」
隅野はくくっと喉の奥で小さく笑った。
それから、
「だったら、ちょっと下げる?」
と、なんでもないことのように言った。
僕はとっさに理解が追いつかなくて、「え?」と聞き返す。
「さ……下げるって?」
「平均」
「何の?」
「ファーストキスを経験した歳」
天井から、ちらりと僕のほうに視線を移して。
うっすらと耳を赤くしながら。
隅野は――
「今……高1のうちに済ませたらさ……普通よりも、ちょっとすごくない?」
――ピンク色の唇で、そう言った。
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