第15話 心境(?)の変化


「ただいまー」


 ようやく林間学校から帰ってきた私は、リビングを覗き込みながらママに声をかけた。

 テレビを見ていたママは振り返って、


「おかえり、みかげー。林間学校はどうだった?」

「んー……まあまあ」


 適当に答えたつもりだったけど、ママはなぜか「あら?」と興味を示した顔をする。

 それが妙にムカついて、私はその顔を睨みつけた。


「……何?」

「だって、いつもだったらまともに答えてくれないのに、『まあまあ』だなんて、ちょっと前向きなことを言うもんだから」


『まあまあ』が前向きの部類に入るのマジか。

 今までの自分が恐ろしくなるとともに、確かに今までだったら、何も言わずに適当に誤魔化してさっさと自分の部屋に行ってたかもなと思った。

 それが変わったのは――


「何かいいことでもあった?」


 ママはにんまりと笑って、


「あ、わかった! 好きな男の子としゃべれたんでしょ~?」

「……うっさい」


 私はそれだけ言って、リビングを離れた。

 重いリュックを背負い、疲れた足で階段を上っている途中、リビングからママが顔を出して言う。


「シュークリームあるけど食べる~?」

「あとで!」


 大声で返して、私は自分の部屋に入った。

 電気をつけて、リュックを下ろし、靴下を脱ぎ捨てながら、ベッドに倒れ込む。


「はあ~……」


 慣れ親しんだ感触と匂いに、ようやく帰ってきたって感じがした。

 ほんと疲れるな……。泊まる系のイベントって……。これで来年だか再来年だかには修学旅行も行かないといけないって……。だりぃ~……。


 しばらくベッドの上でゴロゴロする。

 明日からなにしようかな。

 いつもは学校行くのめんどくさいって思ってるのに、いざ行かなくていいってなると何をするべきか迷う。

 まあゲームくらいしかすることないんだけど……。

 

 この夏休みこそ本気で格ゲーに取り組んで、端山のやつをボコしてやるのもアリか。あのガン待ち陰キャ野郎は一度ボコボコにしてやらないと気がすまん。

 そうだ、せっかくまたあいつとつるようになったんだし、1人じゃちょっと行きにくい映画館とか、ラーメン屋とか……。


「…………むむ」


 右へ左へゴロゴロしながら夏休みの計画を考えていると、私はそれに気付く。

 ゴロンと寝返りを打ってうつぶせになると、それはますます確信に変わった。


 …………めっちゃムラムラする。


 そういうことをするときはいつもこのベッドだから、パブロフの犬的にここがそういう場所だと身体が覚えてしまっているのかもしれない。

 まあそれと単純に、まるまる2日もしなかったのって結構久しぶりだし……。


 私はちらっと、カーテンを閉めた窓のほうに目を運ぶ。

 まあ、なんというか、こういう言い方はアレだけど、絶好のネタもできたことだし……。

 ……これは……すごいことになるぞ……。

 よし。今宵は宴じゃ!


 もぞもぞもぞ。


「……んっ、……んっ、……んっ、………………んん~~~~~~っ?」


 私は布団から顔を出した。


 なんか……全然そういう気分にならん。


 例えるなら、性欲という名の風船に私がどれだけ息を吹き込んでも、すぐにどこかから空気が抜けていってしぼんでしまう、みたいな……。

 なんでじゃ。こんなにムズムズするのに!


 疲れてるんかな。

 疲れてるときとか眠いときって、溜まっててもやる気にならんからなー。

 確かに今朝は早かったし、昨夜は……遅くまであいつと喋ってたし。


 あいつ……キョドってたな。

 私のこと、意識してたんかな。

 いや、意識しまくってんのは前から知ってたけど。

 でも、ちょっと……可愛かった、かも。


 そういえば……あいつの部屋に行く約束、しちゃったな。

 準備しとくとか言ってたけど、何を準備する気なんだあいつは。

 まあ部屋を片付けるとか? どうせそんな感じのあれだろうけど。

 もしそういうつもりだったら……。

 あのヘタレのことだし、いきなり押し倒すとか、そんなことできっこないだろうけど……。

 例えば、そうだなー……順を追ってキスとか……それもめっちゃ下手くそで……。


「……ん」


 あ。

 来た。


 荒波のごとき気分の盛り上がりを感じ、私はもう1回布団の中に顔を引っ込める。

 そして――――








「――――ぶはっ」


 長い間素潜りでもしてたかのように、私は布団の外に顔を出した。

 余韻が抜けて、頭の中が冷えていき、ようやく冷静に現実を見つめられるようになる。


 なんてこった……。

 私……。


 あいつとの純愛妄想しか、受け付けなくなってる……――




◆◆◆




 部屋に帰ってきたあと、気付いたら一眠りしていた。

 日が落ちた頃に妹のカナに起こされて、夕飯を食べる。それから再び部屋に戻ってきた頃に、そういえば今日はカーテンを開けてないなと思った。


 大丈夫……なんだよな?

 仲直り……っぽいことは、できたわけだし。


 恐る恐る、久しぶりに、僕は窓際に移動し、視界を塞いでいるカーテンを開けた。

 向かい側の窓は、当然ながらカーテンが閉まっている。

 だけど電気はついているから、在室はしているようだ。


 呼び出してみるか?

 いや、そんなことしたことないしな……。あくまでタイミングが合ったときにだけこの窓越しに会話する関係だったわけで……。

 というか、連絡先を交換して以降は窓越しに会話することも少なくなってたし……そりゃスマホで会話できるんだからわざわざ寒風に当たる必要もない。


 でもまあ、久しぶりにここで顔を合わせてみるのも乙というか。

 直接顔を見たい……っていう……わけじゃ……ないけど。


 ……何でもいいか。

 向こうが顔を出してきたら応じるような感じで――


 と、窓際を離れかけたとき、僕はそれに気付いた。

 カーテンにうっすらと隙間が空いて、そこから隅野が左目だけを出しているのだ。

 こわ。

 何回やられても怖い。


 僕は窓を開けて、不審者か幽霊かどっちかでしかないその目玉に言った。


「それやめてよ。何回やられてもビビる」


 僕の抗議が届いたか、隅野は目玉状態のまま、カーテンの隙間から右手だけを滑り込ませて、窓を開けた。

 そして、墓場に吹く風のようなおどろおどろしい声で言う。


「うっさい……。お前のせいで私のコレクションが台無しだ……」

「は?」

「絶対ボコボコにしてやるからな……。明日カスタムで待ってろ!」


 ぴしゃんと窓が閉じられて、隅野の目玉もカーテンの向こうに消えた。

 意味がわからん。

 でもとりあえず……今年の夏休みは、ほとんど隅野と過ごすことになるんだろうなと思った。


 しばらく電気のついた隅野の部屋を見つめて、僕は窓を閉じる。


 少しだけ、僕は僕にびっくりしていた。

 こんなに夏休みが楽しみになるなんて……思ってなかった。

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