4.夏影
4-1
私たちのことを呼ぶための固有名詞はないけれど、私はドッペルゲンガーが一番近いんじゃないかと思う。楓くんがいつだったか、そんな感じの内容の本を読んでいた気がする。
もしかしたら、あのときにはすでに私の正体に気づいていたのかな?
ドッペルゲンガーが一番近い、というのは、ドッペルゲンガーとは異なる点が多くあるという意味で、私としては死神だったり、神隠しだったり、そういう要素もあると思ってる。それでいて、私は幽霊のような、妖怪のような、妖精のような、そういうふわふわした不定形の概念的なものでもあると思う。
何かの拍子で自然発生する不思議な存在。それが私。偽物の存在。そういう意味合いで、私のような存在のことをここではフェイカーとでも書こうかな。フェイカー。口に出して言うとちょっとかっこいいね。
正直なところ、私も私のことがよく分からないんだ。ただ、私が何をしなくちゃいけないのかは、意識が芽生えた瞬間に分かった。
私に意識が芽生えたのは、今から十四年前、雨谷涼夏が中学二年生に上がった頃だった。
初め、私は意識だけの存在で、もちろん肉体は持っていなかった。睡眠も食事も必要ない、まるで魂だけの存在みたいな感じだね。
私は彼女の近くで意識を得た。私の視界には、彼女がいじめられている光景が映っていた。
そして、彼女が死んでしまう運命にあることと、私が彼女の代役を務めなければならないことを理解したんだ。
代役の使命は単純だった。オリジナルを愛してくれている人を悲しませないこと。そのために生まれたことを、なぜだか分からないけれど私はすぐに自覚していた。
人間はいろんな原因で死んでしまう。交通事故だったり、病気だったり、戦争だったり、自殺だったり。そんな死にゆく人たちにも、愛してくれる人がいる。彼ら彼女らを悲しませないのが、私たちフェイカーの役目。
バラエティー番組で見かけるような「奇跡の生還!」とか「臨死体験!」とか、そういうのは全部、私たちフェイカーが代役としてすり替わっているからなんじゃないかと思うんだ。オリジナルの方は普通に死んでいて、本来遺族になるはずの人たちを笑顔にさせているのがフェイカーってことだね。これを奇跡って呼ぶかどうかは当人たちの自由だけど、オリジナルは死んでいるから、別に奇跡でも何でもないんだ。今まで思い出を彩ってきた相手は死んでいて、よく分からない不思議生物?がその人のふりをしている。サイエンスフィクションにそういうお話はありそうだよね。つまり何が言いたいかというと、奇跡はそう簡単に私たちを助けてはくれないってこと。
話を戻すと、フェイカーはそのままオリジナルのふりをして生きていく。そうしているうちに、フェイカー自身も自分がオリジナルだと思い込むようになる。なんていったって、意識を持った時点で自分のオリジナルのことをオリジナルと同じぐらいに理解してしまうから。
私も、雨谷涼夏のために用意された時点で、彼女のことを自分のことのようによく知っていた。なんていうのかな。鏡の中の自分が、自分とは違う自我を持っていて、独立して動いているような感覚だった。
彼女を見たとき私は「彼女に代役が必要なのか?」って思った。だって、彼女はいじめられていて、親にも棄てられて、暗い顔をしていて、この世全てがどうでもよくて、嫌いで、そんな世界に抗えない自分がもっと嫌いで、もっともっと端的に言えば、未来に希望なんて持っていなかったから。生きていてもしょうがなかったから。愛してくれる人なんて一人もいなかったから。この頃から、雨谷涼夏は自分の死について考え始めた。
彼女の日常はひどいものだった。楓くんには前に新幹線の中で話したけど、本当にひどかったんだ。いじめの原因は彼女が名前も知らない人気者の誰かさんの告白を断ったことだけど、そんなことで人間はこんなに残酷になれるんだと思った。本来、どんな理由があっても人を傷つけていいはずがないのにね。
私は、彼女の代役をやらなくちゃいけないのがすごく怖くなった。旧校舎の階段裏で裸に剝かれて足蹴にされるあの場所に、自分がいることを考えるだけで気が滅入った。あのときの私も、肉体があるんだったら鏡に映したぐらい、彼女に負けないひどい顔をしていたんじゃないかな。彼女の受けた心の傷は、私にも同様に刻まれるから。彼女の気持ちは、私に勝手に流れ込んでくるから。
孤独、という感覚もそうだった。いじめられて、家に帰っても誰も慰めてくれる人はいない。適当なカップ麺を食べて、飢えを凌ぐ。味なんてきっと分かっていなかった。シャワーを浴びるとかすり傷が痛む。体中の青黒い痣が醜悪で痛々しい。
できることなら、私が彼女の心の支えになってあげたかったんだけど、そういうわけにもいかなかった。だって私は喋ることも触れることもできないから。彼女の涙を拭ってあげることも、励ましの言葉をかけてあげることも、何もできなかった。
そういう意味では、フェイカーは入れ替わる前はただの傍観者に過ぎない。普通だったら、フェイカーは愛してくれる人がいる人の代役になるから、きっととんでもないラブストーリーだったり、涙ぐましい感動的な映画を見ている気分になるんだと思う。そして、すんなりと代役であることを受け入れて、そこに誇りみたいなものさえ芽生えちゃって、入れ替わってからは本人に徹する。
でも、私はそうじゃなかった。雨谷涼夏の人生は、そんな感動的なものじゃなかった。目を逸らしたくなるような、脚本家がいるんだったら石を投げたくなるような筋書きだった。
彼女にそんな運命を与えたのはいったい誰だろうね。私は、彼女の人生を作った脚本家は俗にいう神様なんじゃないかと思うんだ。神様にとって、雨谷涼夏はきっとお気に入りではなかったんだろう。もしくは、彼女の存在がお気に入りの邪魔になったか。誰かが幸せに暮らすには、誰かが不幸にならなくちゃいけない。誰かの幸せは、誰かの不幸の上に成り立っている。この言い分はすごく表面的で、薄い言葉だけれど、それ自体はあながち間違ったことではないと私は思う。
そういう理由で、私は神様が悪いと思った。けど、雨谷涼夏はまだ神様を信じていた。
夏休みに入ってからは、いじめ自体はなかった。誰だって、貴重な夏休みを嫌いな人に費やしたくはないからね。彼女にとっても夏休みは平穏そのものだったわけだけど、それと同時に、夏の終わりに怯えていた。夏が終わると同時に、また私は人目に付かない旧校舎で、女子トイレで、傷だらけの体と燃えカスみたいな尊厳を傷つけられるんだと思った。
だから、神頼みをすることにした。雨谷涼夏はもう、神様に頼るしかなかったんだ。
八月の初め頃、彼女は神社に行った。その神社は、小学生の頃の地域学習か何かで行ったことがあった。だから場所は覚えていたし、人が少ないことも知っていた。いや、雨谷涼夏はその神社しか神様に会える場所を知らなかったんだ。
彼女は一円玉を一枚持って、神社を訪れる。親に棄てられたも同然だから、金銭は無駄にはできないけど、お賽銭が一円もないと神様に門前払いにされる気もした。だから一円。
賽銭箱に一円玉を投げ入れて、手を合わせる。目を閉じる。どうか私を救ってくださいと、心の声で叫びながら。一分間ぐらいそうしていたけど、目を開けた瞬間に現実に引き戻される。私は何をしているんだろうって、阿保らしく思えてくる。たった一円で神様が動いてくれるはずがない。彼女は少し自嘲気味に乾いた笑いを一つ溢していた。項垂れるように、賽銭箱の横に座り込む。茜色の夕日に焼かれてそのまま焼け死んでしまえたらいいのにと思った。
けどね、彼女が期待していなかったそのたった一円が一つの縁を手繰り寄せてくれた。駄洒落っぽいけど、そういう力がお賽銭にはあると思う。楓くんも、神社に行くときはちゃんとお賽銭を投げるといいよ。
なにがあったかは書くまでもないかもしれないけど、あえて書くことにする。
雨谷涼夏にとっての神様が現れたんだ。楓くんは、彼女にとっての神様に見えたんだ。
そこから先の話を書く必要性というのは、本当にないんだと思う。だって、後の流れは楓くんも知っての通りだし、彼女が死ぬ少し前まで一緒にいたのは楓くんだから、楓くんが知らないことはほとんどない。あれから時間が経って、彼女の言葉の真意だとか、表情の裏側に隠れてきた気持ちだとか、そういうものにも大まかには気づいているんだと思う。
だからここからは、彼女の話じゃなくて、傍観者である私の話をもっともっと詳しく書こうと思う。これは雨谷涼夏から楓くんへ宛てた手紙じゃなくて、私から楓くんに宛てた手紙だから。
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