いちばんに愛さなくていいから。

蓮水エヌ./N.

いちばんに愛さなくていいから。


添田毬花そえだまりかと書かれた社員証を提示し、社員食堂の入り口を通過する。


「…え?生田の家、泊まったの?」


驚き顔で私を見つめるのは、職場の同期で友人でもある後藤澪奈ごとうみおな。食券を買うために二人で発券機前の列に並ぶ。


「うん。昨日仕事終わり飲みに行って…そのままお酒買って生田ん家で二次会。」


「…それで?」


「それで…とは?」


「目の下にクマが出来てるのは、一晩中愛し合ったからとか…そういう、」


「いや、ないって。知ってるでしょ?私が生田に告白して玉砕したあの黒歴史を。」


「…だったら何で二人で宅飲みをするような仲に?」


「一緒にいて…気が楽だからじゃない?はっきり振られた私は脈ナシだと自覚してるし、生田も私が相手なら気を使わなくていいから…飲み友達として一緒に居てくれるのかも。」


同じく同期である生田蒼佑いくたそうすけとは入社説明会の日の席が隣同士で。いちばん最初に連絡先を交換したのも彼で…親しくなるのにそう時間はかからなかった。



艶のある黒髪はいつも抜かりなくセットされていて、長身でスタイルのいい彼。新入社員の中でも目を引くルックスの良さから…入社当初からとても人気者だった。


そんな彼に三年ほど一方的に恋心を抱いていた私は、つい1ヶ月ほど前…仕事終わりに生田を待ち伏せし、募りに募った三年分の思いを打ち明けたのである。


『私、生田のことが好き。同期ってだけじゃ…足りないっ!もっと一緒に居たいし、休みの日も会いたい。』


これまで積み上げてきた信頼関係を失いたくなくて伝える勇気が無かったが…溢れ出して止まらない感情を抑えることが出来ず、ついに告白してしまったのだが─…


『…今は仕事で手がいっぱいだから、無理。』


なんて、たった一言で片付けられ…呆気なく終わりを迎えたのだった。



社食のメニュー表を眺めながら、今日は日替わりランチにしようと決めて小銭を取り出す。


「いや、全然分かんないんだけど。同期なら他にもいるのに何で二人きりで会うわけ?っていうか、二次会するほど生田と盛り上がる話なんてあるの?」


「生田の好きな人の話…聞いてる。」


「…は?」


「生田、酔ったら好きな人の話ばっかりしてくるから…それを大人しく聞いてる。」


「え…アイツ、好きな子いるの?!!」


「ね、意外だよね。」


「ていうか毬花…生田の好きな人の話なんて聞いて、辛くないの?まだ完全に吹っ切れたわけじゃないんでしょ?」


「…好きな人の好きな人がどんな人なのか。知りたいって思ったことない?私は…知りたいよ。知って少しでもその人に近付いたら、私に振り向いてくれるかなって…思えるから」


発券機の前まで来て小銭を入れようとした時、横から伸びてきた手が投入口を塞いだ。


手を辿るようにして視線を上げていくと、見上げた先には明け方まで一緒に過ごした男が不機嫌そうに顔を歪めて立っている。


投入口を塞いでいない方の手の上には、私が食べようとしていた日替わりランチのプレートが乗っかっていた。



「気が利くね?奢ってくれるの?」


「んなわけねぇーだろ。後藤、これやるから…こいつ借りていい?」


「どーぞ、ごゆっくり。ランチは私が有難くいただくよ」



手に持っていた日替わりランチを澪奈に押し付けるように手渡した生田は、投入口を塞いでいた手を下ろし…今度はその手で私の腕を強く掴んでそのまま社食を後にする。


「ねぇ…どこ行くの?私、お腹空いてるんだけど」


「昼メシ、食ってる場合じゃない。早急に対応しないとまずい案件が生じた。」


「…え?!なに、怖い。私そんなヤバいミスしてた?なんだろう…全然思い浮かばないっ」



誰もいない廊下まで来た時、ようやく私の腕を掴んでいた生田の手が離された。掴まれていた箇所を指で撫でながら…目の前の長身の男を見上げると、、彼は気まずそうに視線を逸らした。


「…で、早急に対応しないとまずい案件って?」


急かすようにそう尋ねると…今度は少し頬を赤く染めた生田の真剣な瞳と視線が交わる。


「お前にとって俺の存在って…何?」


「何って…良き同僚で、最高の飲み友達っ」


「何で?いつからそうなった?お前、俺のこと好きなんじゃねぇの?」


「すっ…好きだったけど、、振られたし。これからは同期として仲良くしようと思って」


「…は?俺、言ったよな?今は仕事で手がいっぱいで無理だって」


「うん…だから、」


「落ち着いたら、今度は俺の方から気持ちを伝えるから…待ってて欲しいって。言ったよな?」


─…そんなこと、言ってた?



振られたと思い込んでその後の言葉が耳に入っていなかったことを彼も悟ったのか…呆れたように笑った後、私の額を指で弾いた。


「俺は”好きな人の話”なんてしたつもりはない。好きなやつを口説いてただけ。」


「それじゃあ…生田の好きな人って、」


「…さぁ?今夜また、二人きりで…答え合わせしようか」



お昼休みの終わりが近付いていることを告げるチャイムが鳴る。



早急に対応すべき案件は、

─…夜に持ち越される模様です。




【完】

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いちばんに愛さなくていいから。 蓮水エヌ./N. @enu_mahou

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