第37話 遼の怒り、透花の決断

「遼君……」


 朝比奈が俺の名前を呟いたのが聞こえた。だが、俺はそのまま言葉を続けた。


「朝比奈が……朝比奈がどんな気持ちでそう呼ばれていたか分かってますか!」


 俺の声は、駅のざわめきに紛れることなく響いていた。通行人たちが何事かと足を止めてこちらを見ている。


「才能だとか、育成失敗だとか! 大人たちが勝手にラベル貼って、朝比奈の気持ちを全部無視して……! ちょっと上手くいったからってまた商品みたいに求めて……」


 俺の声は震えていた。悔しさと、怒りと、なによりも朝比奈が抱えている痛みに胸が苦しくなっていく。


「朝比奈、ずっと寂しいって言ってたんですよ! あなたたちの言葉一つ一つに、彼女がどれだけ傷ついてたか、想像したことありますか!?」


 言葉を吐くたびに、喉が焼けるように痛んだ。でも止まらない。止められるはずがなかった。


 だってこれは……。


 だってこれは!


「あなたたちならいつでも朝比奈のことを救えたはずでしょう!? もっと早く! 俺なんかよりも先に!」


 これはずっと朝比奈の周りの大人に対して、俺が抱いていた怒りだからだ!


 最初から違和感はあったんだよ! この人たちは、あんな部屋に一人でいた朝比奈のことを助けようとしなかった! カップラーメンばっかり食べていた朝比奈のことを心配しようともしなかった!

 俺よりもずっと近くにいたはずなのに……俺よりもずっと長い時間を一緒に過ごしていたはずなのにだ! 


 俺は、そのことに腹が立って仕方ないんだよ!


「たまたま、今回がうまくいったからって、ふざけやがって! 朝比奈は道具じゃない! 商品でもない! 朝比奈の意思を無視して勝手につれていこうとするな!」


 どんな理由であれ、今回も、この人たちは朝比奈の意思を無視した! そんな人たちに朝比奈を渡せるもんか! 笑顔で送ってなんかやれるもんか!


 声が途切れたあと、一瞬だけ駅のホームに静寂が訪れる。電車の発車を知らせるアナウンス音だけがいつも通りに響く。


 元マネージャーが一歩前に出ようとするが、朝比奈のお母さんがそれを手で制した。


「ぎゃーぎゃー騒いでいるけど、結局、あなたは透花をどうしたいわけ?」


 朝比奈のお母さんは、あくまでも無機質な声で俺にそう問いかけてきた。


「俺は――」


 言いかけて、息を整える。そして、真っ直ぐ朝比奈のお母さんの目を見据える。


「あなたたちが育てた芸能人の朝比奈透花がSSRと言われてるなら――」


 俺、こんな人たちに負けたくない。大人だろうがなんだろうが絶対に負けたくない。朝比奈の過去の実績なんかに絶対に負けたくない!


 昔、俺が彼女に力をもらったみたいに……。


 高校で彼女に出会ってから、また勇気をもらえたみたい!


 今度は俺が朝比奈の力になるんだ! SSRなんかじゃ足りないくらい!


「俺が未来の朝比奈透花をその上にしてやる! 俺が、朝比奈透花にURの笑顔を届けてやるんだぁあああああ!」


 俺の叫びに、また構内が静まり返った――。


「……はぁ」


 ゆっくりと、朝比奈のお母さんがその静寂を破る。


「SSRとかURとか。まだ子供ね。まったく、今どきの子供は……って感じ」


 苦笑いを浮かべながら、あくまで俺のことを見下すような目でそんなことを言ってきた。


「俺は――」

「遼君」


 言い返そうした俺に、朝比奈が割って入ってきた。目元には涙を浮かべたままだった。


「……お母さん、山野辺さん」


 朝比奈の声は、いつもの彼女のどれとも違っていた。子役時代のような完璧な明るさでもなく、疲れきったような無気力さでもない。


「私、ずっと自分の存在価値に疑問を持っていた。誰にも必要とされなくなった自分自身のことが嫌いになっていた」


 それはきっと、朝比奈の心の声そのままだったのだと思う……。


「私、川に投げ込まれた石みたいに、ずっといなくなりたいって思ってた。死んじゃいたいとすら思ってた。でも、そんな私でも気にかけてくれる人がいるんです。昔の私じゃなくて未来の私に期待してくれてる人がいるんです。だから――」


 二人に朝比奈が深々と頭を下げた。




「私、芸能界には復帰しません。このまま正式に引退します」




 ……朝比奈が初めて自分から引退という言葉を口にした。

 その言葉に、朝比奈のお母さんの表情がより一層険しいものになってしまった。


「透花、本当にそれでいいの? あなたには才能があるのよ」

「才能なんてなくても、私のことを見てくれる人がいるの。私、ありのままの朝比奈透花でいたい」

「たかが高校生の分際で……」

「そのたかが高校生があなたたちに言ってるの! 私、もうあなたたちのそばにはいたくないっ!」


 朝比奈の感情が、せきを切ったようにあふれ出した。


「今更なにを言おうが、あなたたちは私を捨てた! その事実は変わらない! だからもう私に関わらないで! 言ったとおりにしてくれないなら、今日、あなたたちが私にやったことを告発します! 子供の私にやったことを世間に言いふらします!」


 「私を捨てた」――その言葉には、朝比奈の中に溜まり続けていた痛みが詰まっていた気がする。


 朝比奈は、涙を拭わずに、真っ直ぐ、自分の母親を見つめていた。


「透花! 大人になったら未来がどうこうとか、これからがどうこうとか、言ってられなくなるんだからね!」

「私、少なくてもあなたみたいな大人にはなりませんから!」


 二人が言い争っていると、駅の構内に次の電車が滑り込んできた。車体の音が近づき、ホームの空気が微かに震える。

 


「あれ、この前テレビに出てた朝比奈透花じゃない?」


「事務所かなにかの揉め事?」


「あのおばさん、感じ悪ぅー」


「誰か呼んだほうが良くない?」


「誰かって誰だよ」



 俺たちの様子を見ていた周囲の声もどんどん大きくなってきた。近くには駅員さんたちの姿も見えた。


「……ちっ。山野辺さん、行きましょう」


 周りの声が聞こえたのかどうなのかは知らないが、朝比奈のお母さんが俺たちに背中を向けた。そばにいた元マネージャーが一瞬なにかを言いかけたが、結局は頷き、二人は電車とは逆方向の階段へと歩き出した。


「お母さん……」

「せいぜい後悔しないようにね。“自分の人生”を選んだんだから」


 その言葉を最後に、朝比奈のお母さんたちは雑踏の中へと消えていった。


 吐いてしまった言葉に後悔はない。

 でも、なんともいえない後味の悪さだけがその場に残ってしまった。


「朝比奈っ!」


 俺は、立ち尽くしたまま動けずにいる彼女のもとへすぐに駆け寄った。


「大丈夫? ごめん、めちゃくちゃ勝手言った!」


 俺がそばに近寄ると、朝比奈はまるで足から力がなくなったみたいに、その場にへたり込んでしまった。さっきまで気丈に振舞っていた顔からは、ポロポロと涙がこぼれ落ちてしまっていた。


「遼君……どうして……? どうして、私にそこまで……」

「俺の気持ちは聞いてたでしょう? それにさ――」


 言いたいことは沢山あるけど、これだけは伝えておきたいな。俺、芸能人としての朝比奈を否定したいわけじゃないから。それにさ、俺、結構ちゃんと楽しみにしてたんだよね。


「あの日言ってた“サイン”、君からまだもらってないからさ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る