第36話 お前たちが“育成失敗”と蔑んだ朝比奈透花!

「はぁ……はぁ……!」


 最寄りの駅までは走って十五分くらいだろうか。


 くそっ! 簡単に息が切れる。昔だったらこんな距離くらい平気だったのに、膝のことなんかなければもっと全力で走れたのに!


「ふざけんな! そんなこと言ってられるかよぉおおおお!」


 膝のことなんて知ったものか。今、本気で走らないで、なんのために足がついてるんだ!


 電車なんてあまり乗らないから、時刻表なんて知らないけど、十五分くらいならなんとかなるはずだ! いや、間に合ってくれ!


 こんなことになるなら、あの日、あの場で告白してしまえば良かった。そうすれば、元マネジャーに堂々と関係性を答えることができたのに……! ぎりぎりで判断を間違えてしまった。そんな馬鹿な自分にもイライラしてしまう。


「ぜぇ……ぜぇ……!」


 息が切れる。


 喉が焼ける。


 足は鉛みたいに重い。


 でも、止まるわけにはいかない。


 確かに、このまま朝比奈が芸能界に復帰することができたら、結果的には俺の育成は成功っていえるかもしれないが――。


 って、言えるわけねーだろうが! まだなに一つ達成してねーよ! あいつ、ネクタイすら結べるようになってないんだぞ!


 頭の中では朝比奈のことばかりが思い浮かぶ。


 ボサボサの寝ぐせ、ヨレヨレの制服、ゾンビみたいな足取り。


 くそっ! あんなに可愛いのに、今、思い出すのは無気力状態のことばかりじゃんか!


 初めて髪をとかしたときの涙が忘れられない。初めてお弁当を渡した時の暖かい涙が忘れられない。玉ねぎを切りながら、苦しそうに流した涙が忘れられない。勉強会をしたときに、まるで俺に心を預けてくれたみたいな切ない涙が忘れられない。


 あいつ、泣いてばっかりじゃねぇか!


 文化祭のときのSSRの笑顔が忘れられない。お祭りに行ったときの幸せそうな笑顔が忘れられない。

 ――そして、毎日、一緒に過ごして、楽しそうに笑う彼女の笑顔が忘れない。恥ずかしそうにお礼を言う朝比奈の笑顔が忘れられない。


 全部、忘れられるわけがないだろう……!


「俺……! もう、どうしようもないくらい、あいつのことが好きじゃんか……!」


 ようやく見えてきた駅の看板。その瞬間、背中に風が当たるような錯覚を覚えた。


 耳に「ゴォォォォ……」という音が届く。まずい、電車が入線してきている。タイミングが最悪だ。


 最後の角を曲がると、改札が見えた。ちょうど通過していく人混みの向こうになにやら揉めている一団が見つけた。


「朝比奈ぁあああああああああああああ!」


 全身の力を振り絞って叫んだ。


「朝比奈、行くなぁあああああ! 俺と一緒にいろ! 俺の育成はまだ終わってないんだよ!」

「遼君……?」


 息が続かない。額と背中には汗がびっしょりだ。

 でも、良かった……! なんとか彼女の姿を見つけることができた。いつもの髪ボサボサの朝比奈だ。なんとか間に合ったぞ。


「ぜぇ……ぜぇ……」

「遼君、なんでここに……?」


 朝比奈はただ目を丸くして驚いていたが、次第に目からは涙がこぼれ落ちてしまっていた。


 今すぐ朝比奈に駆け寄ってやりたいが、その前にどうにかしないといけない人たちがいる。


 朝比奈と俺の間にはこの前の元マネージャー。

 そして、朝比奈の隣には、凛とした雰囲気をまとったとても綺麗な女性がいる。目元が朝比奈に似ている……。


 直感で分かった――この人が朝比奈のお母さんだ。


 朝比奈はお母さんに腕を引かれながら、今まさに改札を渡ろうとしているところだった。だか、朝比奈はなんとか踏ん張ってその場に留まろうとしていたみたいだ。


(また朝比奈のことを……)


 その様子を見ていたら、自分の中でなにかが切れた。俺は朝比奈の母親に向かって歩き出していた。


「待ちなさい!」


 元マネージャーが俺の肩を取り押さえようとするが、それを乱暴に振り払う。


「なんで、誰も朝比奈の気持ちを考えようとしないんだよ!」


 俺は朝比奈のお母さんに詰め寄っていた。与えられた時間はちゃんとあったはずだ。だから、それに向けて俺も朝比奈も必死に考えようとした!


「あなたが遼君?」

「そうです!」

「山野辺さんが一言くらいは連絡したほうがいいっていうから……」


 朝比奈のお母さんが、元マネージャーに抗議の目を向けた。すると、元マネージャーが「すみません」と謝った。


「せめて、お別れの挨拶くらいはさせてあげるべきかなと。透花の携帯には一人しか登録されてなかったので……」

「ふんっ」


 朝比奈のお母さんは鼻を鳴らした。怒っているというよりは、呆れているような、そんな表情だ。


「随分、必死なのね」


 朝比奈のお母さんは、俺のボロボロの姿を見て、小さくため息をついた。肩で息をする俺を、まるで値踏みするかのように見ている。


「そこまでして、透花のなにがいいの? そんな風に芸能人の透花に近づこうとした人間は山ほどいたわよ」


 俺に投げつけられた言葉はとても冷たいものだった。


「……違います」

「はぁ? じゃあどういうこと?」

「だから違うって言ってんだろうがッ!」


 俺の声は次第に大きくなっていた。


「俺は、芸能人の朝比奈が好きなわけじゃない! “育成失敗”って言われた朝比奈のことが好きなんだよ! お前たちが“育成失敗”ってさげすんだ朝比奈透花のことが好きなんだよ!」 

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