第20話 朝比奈透花は寝落ちする(何故か俺の手を握って)

「俺の話?」


 朝比奈は布団の中でこくりと頷く。眠そうなのに、まぶたを頑張って持ち上げるみたいにして、俺を見ていた。


「俺の話なんてつまらないと思うよ」

「それでも知りたいの。遼君って妹さんがいるんだよね?」

「うん、今、中二」

「きっと可愛いんだろうなぁ……」

「いや、すげー生意気」

「えー、意外なんだけど」


 ぽつらぽつらと自分の身の上話をしていく。そういえば、こういった話を朝比奈としたことはなかったかもしれない。


「遼君のお父さんとお母さんってなにしてる人なの?」

「普通の会社員だよ。共働き。だから、昔から妹の面倒が俺が見ることが多かったんだ」

「遼君って“お兄ちゃん”って感じだもんね」

「そういう朝比奈の親は――」


 「朝比奈の親はなにしてた人なの?」って普通に聞きそうになった。朝比奈の家庭って複雑そうだもんな。前の話を聞くに隠居(?)しているらしい……。はたして俺が触れていい話なのだろうか。


「気にしないで。うちの両親も元は業界の人だったんだ」


 あっ、俺の気持ちが見透かされてしまった。朝比奈が普通に俺の疑問に答えてくれた。


「業界の人?」

「お父さんがカメラマンで、お母さんがファッションモデル」

「う、うちの親とあまりにも違いすぎる……」

「そんなことないと思うけどな」


 朝比奈が部屋の天井を見ながら、話しを続ける。


「お母さんはあまり売れてなかったみたい。厳しい世界だからね。だから、私にすごく期待してくれたんだ。透花はすごい、透花には才能があるって、ずっと褒めてくれててさ。だから、私もいっぱい頑張った」

「……そっか」

「昔は泣きながら演技の練習をしてたなぁ。台本もなかなか覚えられなくってね」


 言葉の端々に、並々ならぬ苦労を感じる。俺が鼻水垂らして遊んでいた子供時代に、朝比奈はきっととんでもない努力をしていたんだと思う。


「遼君の膝の怪我はどうして?」


 俺の話に戻ってきた。朝比奈の話を聞いた後に、自分の話をするのは色んな意味で恥ずかしい。


「……中学のときなんだけどさ」


 そう前置きしてから、俺はゆっくりと昔を思い出すように言葉を選んだ。朝比奈は、毛布を口元に引き寄せて、じっとこっちを見つめている。


「俺、中学ではバスケ部に入ってたんだ。最初は友達に誘われただけで、全然やる気はなかった。思ってたよりハードでさ! 毎日汗だくになって、怒鳴られて、筋肉痛で階段も登れないくらい」


 朝比奈がうんうんと俺の話を聞いている。


「そんなある日さ、試合でなんとなく俺の出番が回ってきたんだ。でも、俺のパスミスで逆転されて負けちゃった」


 思い出すと、今でも少し心がざわっとする。あの瞬間の空気。あの沈黙。あの背中に刺さるような視線。


「みんな無言でさ。監督もなにも言ってくれなくて。帰り道、一人で歩いてたら、自分ってなんでここにいるんだろうって、そんなことまで考えちゃって」


 朝比奈が真剣な表情で俺の話を聞いている。俺の話でなんかより、授業中でその顔をすればいいのになとか思っちゃう。


「でも、その夜、部活の仲間たちがうちにやってきたんだ。あのときはびっくりしたなぁ。俺んちのチャイムを何度も鳴らしてさ。誰もお前が悪いとか思ってねーよ。明日も部活に来いよってアイスを持ってきてさ」

「みんな良い人だね」

「うん、だから俺も心を入れ替えて頑張ろうと思った。みんながいるから頑張ろうと思った。でも、頑張り過ぎちゃったみたい」

「頑張り過ぎた?」

「練習を頑張りすぎて怪我しちゃった」


 俺がそう言うと、朝比奈は小さく目を見開いた。細いまつげがぴくりと揺れている。


「痛かった……?」


 その声はまるで、今の俺の身体じゃなく、当時の俺の心を気遣ってくれているみたいだった。


「うん、まあ……ちょっとね。膝の靭帯をやっちゃってさ。医者にしばらく休めって言われたんけど、どうしても練習をやめたくなくて、無理して――」


 そこまで言って、俺は口をつぐんだ。あのときの焦り。置いていかれるのが怖くて、自分で自分を追い詰めた日々。誰かが悪かったわけじゃない。ただ、俺が自分に優しくできなかっただけだ。


「結局、悪化させてね。それで試合に出られなくなっちゃった」

「馬鹿……だね」

「うん、でもマネージャーとして最後まで部活にいたよ。悔しかったけど、みんなの支えになりたかったから。チームの一員でいたかったから」

「……」

「……と、俺の中学時代はこんな感じだったかな。至って普通の生徒だったと思うよ」


 そう言ったあと、少しだけ笑ってみせた。朝比奈と比べると、なんてスケールの小さな話なんだろうと思ってしまう。


「……遼君と私って似ているかもね」

「え? どこが!?」

「私も、みんながいるから頑張ろうと思ってた。いつも、笑ってなきゃって思った。応援してくれる人の前では、弱音なんて見せちゃいけないって。誰かの“理想の朝比奈透花”でいなきゃいけない気がして」


 胸の奥がちくりと痛む。ずっと誰かの期待の中で、息を詰めていた朝比奈透花の姿が目に浮かんでしまった。

 そんな一生懸命に頑張ってきた女の子が、世間から“育成失敗”だなんて言われたら……と思うと、ものすごく悲しい気持ちになってしまう。


「でもね、ある日、限界がきちゃって――」


 言葉を探したけど、うまく出てこなかった。俺は、ただそっと、朝比奈の手を握り返すことしかできなかった。


「朝比奈、それ以上はいいよ」

「……私、遼君のことがもっと知りたい」

「……うん、俺も朝比奈のこともっと知りたい」

「それは……嬉しいな……すぅ……すぅ……」


 限界が訪れたのか、朝比奈が眠りについてしまった。

 手、繋ぎっぱなしなんだけど……。でも、彼女がこんなに自分のことを話してくれたことがとても嬉しかった。


「おやすみ、朝比奈」


 つい朝比奈の頭に手を伸ばしそうになった。それはダメだよね。


「うーん……」


 暖かい心のまま、朝比奈のことを見守っていたら、俺も眠たくなってきちゃった。俺もちょっと目を閉じちゃおうかな……。





「ん……?」


 気だるさとともに目が覚める。

 やばい! 気がついたらあれから二時間も経っている! 完全に寝落ちしてしまった。変な体勢で寝てたから体が痛い。寝ている間、ずっと朝比奈と手は繋ぎっぱなしで、手汗はびっしょりだ。


「タオルかえてあげないと!」


 繋がれていた手を無理矢理離して、朝比奈のおでこのタオルを絞り直す。顔色は悪くなさそうかな。

 朝は早く起こして、夜はおやすみ電話をしてで、もしかしたら、単純に睡眠が足りてなかったのかも。ただでさえ、最近は授業中に寝ないように注意してたしね。


「……俺がいなかったら今日はどうしてたのかな」


 そう思うとぞっとしてしまう。きっと、一人で大変な思いをしていたに違いない。


「遼くーん……」

「あっ、ごめん。起こしちゃった?」

「ううん……」


 朝比奈はまぶたをうっすら開けて、ぼんやりと俺の方を見た。まだ熱が下がりきっていないのか、頬がほんのり赤い。


「汗、気持ち悪い……」

「あっ、着替える? だったら俺、外に出てるよ!」

「着替えさせて~」

「だから無理だって! いつもふざけてそんなこと言ってるけどさ!」

「今日は本当にお願いしたいんだけど……」

「はい?」

「はいっ」


 そう言って、朝比奈がいつものスウェットを脱ぎ始めた!

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