第二章 犯人⑨
「何言っているんだ!」と涼太郎が声を荒げる。しかし電話の向こうはのらりくらりとして、余計に彼の精神を逆なでした。
『だから、私は太陽の方に付くぞと言ったんだ』と通話先の行信が面倒そうに続けた。
苛立たしく自宅のリビングを歩き回りながら「僕に協力するんじゃなかったのか」と重ねて聞くが、行信はどこ吹く風だ。
『私はおもしろそうな方に付く。太陽め、でんでんに気付いたぞ。お前は知ってるか?』
「でんでん?」と聞き返しながらネットを立ち上げる。するといくつか風俗史の個人ブログのようなものがあって、横浜に伝わる怪異らしい。
「太鼓の音と新月? 君は気付いていたのか?」
『そりゃあ、この辺りの怪異だからな。聞かれなかったから答えなかったが。それにお前は何か怪異を悪者にできれば何でもいいんだろう?』
ぐう、と言葉を飲み込む涼太郎を行信が笑う。ひとりの家なのに、まるでそこにいるみたいな圧迫感を与えるのが行信だった。
爪でフローリングを擦る音がした。
『まあ、私は行政が怪異をどう扱おうと構わない。たかだか自然に名前をつけたり、対抗しようとするのは人の常だ』
「他人を小ばかにするなよ。それが生活というものだ、行信」
「バカになんかしてないさ。それでどうだ、お前も乗らないかね」
軽い口調で誘われて涼太郎が余計に腹を立てていると、キャッチコールが鳴った。液晶を見ると母親からである。
一瞬生じた迷いに頭を振って、一言「断る」と告げると涼太郎は行信の通話を切った。
背後からは、ざり、ざりとフローリングを擦る音が聞こえている。
音を遮るように母親からの通話に切り替える。「義母さん、どうしたの」と聞くや否や甲高い声が響く。
『涼太郎さん! アレはどうなったの?』
その声にぴしりと背筋を伸ばす。早くなる息を抑えながら「問題ないです」と答えるも『何が問題ないのよ!』と怒声が飛んだ。
ざり、ざり、とつま先が擦れるような音が大きくなっていく。
震える手をごまかすようにノートパソコンのタッチパネルを触った。カーソルはうろうろとウィンドウをうろついている。
『未だに事件が報道されないじゃないの。悪さをした怪異は絞られているんでしょう? なぜ立証できないの?』
「なかなか自白しないようですよ。所有者たちも頑固みたいで」
『状況証拠はあるって聞いたのよ!?』
「そうですが、確定的なものは何も……」
『言い訳しないで!』と言葉が遮られる。
ぎりぎりと電話の向こうで歯をすり潰す音がして、涼太郎は頭が痛むようだった。
間仕切りを挟んだ向こうにある音。それは段々と涼太郎の背後へと近づいている。
一人暮らしのフローリングは暗く、静かだ。街の明かりが不釣り合いにロマンティックで、けれどそれよりずっと近くで、爪がこすれる音が聞こえる。
「今、別の犯人の可能性も出ているんです。どちらにせよすぐ立件できるかと」
「いつまで待てばいいの!」と母親の声は次第に涙をにじませる。
「父さんが亡くなったのも、怪異のせいだって忘れたの?」
はい、と言いたい気持ちをこらえて涼太郎は押し黙る。心を落ち着かせようとグラスを持ち上げたが、中身は行信との通話ですでに空だ。
反抗しようにも喉が渇いてできなかった。義母の役に立たねばならない、父親のためにも報いなければならないと願うのは彼の本心なのだ。
しかし、感情は臓腑に降り積もる。
腹立たしさと空しさを胃の中でふつふつと煮詰めながら、涼太郎は母親の声に耳を傾けた。
そうしていないと嫌な音が聞こえるのだ。
「あの人は、立派な医者だったのに。怪異なんかが流行ったせいで精神医が逆恨みされて。宗教人の方が役に立つなんて言われて……今はあなたの弟が最前線でがんばってるの。違う?」
「……いいえ。その通りです、義母さん」
「あなたを引き取って育ててあげたのは藤倉家なの。だから、がんばって。わかるわね」
「はい」とぼんやり答える。それから彼女はつらつらと数十分話続けて、満足して勝手に電話を切った。
涼太郎ひとりの部屋に沈黙が灯る。こうこうとした間接照明に焼かれる彼の顔には生気がない。疲れ切って乱れた髪をぐしゃりとかくと、母親の言葉が反芻されるようだった。
涼太郎は愛人の子だ。実母が死んで、藤倉家に引き取られてからというもの、折り合いが悪かった。医者家系と異なる道を目指して官僚になったはいいが、養母との縁が切れるわけではない。
かわいがってくれた父は縊死した。弟に連絡を取るのも憚られる。動機が段々と早くなって、眩暈がしそうだった。
「どうしよう、どうしよう……」
頭を両手で抱えて項垂れる。
すぐ後ろで責め立てるような音が響く。
ざり、ざり、と振り向けば触れられる位置。そこからつま先が地面に擦れる音がするのだ。
早く怪異を規制させて、と怒鳴る義母の声が鼓膜から離れなかった。夜は恐怖を伴って、涼太郎を侵食していく。
液晶画面には〝でんでん〟、そして琳子から聞いた〝影法師〟の検索記録が表示されたままだ。
うつろな顔がブルーライトに照らされる。彼はふらふらと誘われるようにして、液晶画面をのぞき込んだ。
ざり、と床を掻く音がマンションの壁に吸い込まれていく。窓の外は場違いなほど美しい港が広がっていた。
けれど、締め切っていて潮騒は耳に届かない。その空しさを知るのは笑う月だけだった。
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