第二章 犯人⑧

 太陽が浦島寺から帰ると、リビングの明かりが点いていた。

 浦島寺からいくつか付いてきた怪異たちがわあっとフローリングを駆ける。「コラ」と制止するのも聞かず、馬の首だけのものや箒に足がついたようなものが入り込んで、中から小さな悲鳴が聞こえた。

「なにこれ、お兄ちゃん!」と、琳子の声である。

 ハッとして太陽も続くと、彼女は怪異に囲まれていた。

「浦島寺からついてきたんだよ」

 ウエ、とわかりやすく顔をしかめた琳子は、想像していたより幾分か元気そうだ。久しぶりに部屋から出た妹に思わず頬を綻ばせると、琳子は気まずそうに顔をそむけた。

 まとわりつく怪異を撫でてやりながら、琳子は何度か口を開閉させた。

 ダイニングテーブルには平らげられた夕食の皿。それにほうっと息をついて「お茶でも淹れようか」と聞くと、琳子は「いらない」とピシャリと返した。

 それから申し訳なさそうな声色で「大丈夫だった?」と言うから、太陽はたまらない気持ちで「うん」と答える。

 ぽつんとリビングだけに明かりが灯された家はやはり薄暗い。それでも、彼らにとっては大切な居場所なのだ。温かい空気に満ちているようで、浦島寺で芯から冷えた太陽は足先から心が満ちていくようだった。

 太陽の様子を、琳子がちらと伺う。彼は「そうだ」と紙袋を見せた。

「行信と協力できることになったよ」

「えっ?」と琳子が目を丸くした。

「余らせてるからってお菓子やらジュースやらもらったんだけど食べる? ごはん足りたか?」

 矢継ぎ早に聞く太陽に少し押されながら、琳子は「大丈夫」と呟いて、目が三つの狐を抱き上げた。

 そして顔を隠しながら、ようやっと、小鳥が鳴くように「ごめんなさい」と絞り出す。

 押しつぶされそうな声だった。

「色々危ないことさせて、ごめんなさい」

 ひとつひとつ、積み上げるように発した言葉。怪異が心配そうに彼女を見上げて、太陽はようやく、妹が涙を流していることに気が付いた。

「まさかまた浦島寺に行くなんて思わなかった。だって危ないかもしれないのに」

「そうだけど、結果大丈夫だったから」と、琳子がつらつらと涙をこぼす。

 きっとひとりで待つのは怖かったのだろう。

 それを感じさせないようにか、豪快に鼻水をすすりながら琳子は不服そうに顔を上げた。

「でも、私が怪異だって黙ってたことは許さないから」

「……うん。俺もごめん」

「私ってどんな風にこの家に来たの?」

 自分の出目を受け入れようと、琳子が真摯な瞳を向ける。

「別に……ウイルスに感染して、人間じゃないんだなって気付いただけだよ」

 太陽が咄嗟に答えると、琳子は不思議そうにしながら狐を撫でた。

「お母さんもすぐに気付いたの?」

「話したけど、信じてもらえなかった」

「それで、私に『琳子は死んだ』とか『お前は琳子じゃない』なんて言ったんだね」

 うん、と頷く。紙袋から琳子が好きそうな洋菓子を取り出してやると、彼女は黙ってそれを受け取った。

「いつか、お母さんも受け入れてくれるかな」

「きっとすぐだよ。少し混乱しているだけだし、叔父さんが面倒見てくれてるから」

 琳子は焼き菓子を頬張りながら「そうだね」と言って満足げに喉を上下させた。

「あのね、お兄ちゃん。お願いがあるの」

「なんだ?」

 琳子が意を決したように顔を上げる。その瞳にはまだ少し迷いがあったけど、いくらか希望を宿しているようだった。

「彼氏に会って、怪異だって話してみる。それで警察に証言してもらうの。あの日私と会ってた、私は誰も殺してないって」

 一息でそう言って残りの菓子を押し込む。

「だからお兄ちゃんにもその場にいてほしい」 

 太陽が口を挟む間もなく、琳子はスマートフォンのメッセージアプリを突き出した。『話がしたい』と端的に送信されており、相手の方は気が抜けるようなスタンプでそれに応じている。

「お兄ちゃんに任せてたら危ないことするんだもん。わざわざ怪異がたくさんいる犯行現場に行くなんて、やっぱりどうかしてるよ」

「いや、でも」と口をまごつかせて、伺うように「〝先生〟なんだろ?」と言うと琳子は自信ありげに微笑んだ。

「そうだよ。立派な大人なんだから。素敵な人だって認めてくれたら、お兄ちゃんだって応援してくれるよね? どう?」

 有無を言わさない主張に何も返せず、返事を何度も促されて「わかった、わかった」と同意する。

 琳子はそれに満足そうにして「じゃ、明日の午前一時だから。あけといてよね」と、予定が入るはずもない時間を指定してリビングを出ていく。

 琳子はいくつか階段をのぼったかと思うと、引き返してきて「あのさ」と顔を半分だけ見せた。

「私も一緒にがんばるから。疑われてるの、私だし。だからひとりで危ないことしないでよね」

 それだけ言い残して、琳子はまた駆け足で部屋へと戻っていった。

 あとには、周囲の勢いに押されに押されて疲弊した太陽。そして彼をからかうためについてきた怪異たちがけらけらとリビングを踊っていた。

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