第二章 犯人③

 伝説の怪異〝でんでん〟。被害者が陸上で溺死した事件。

 共通項は太鼓の音と、神奈川宿という町だ。

 怪訝そうな顔をする上司に半休の承認を得て、太陽が向かったのは県立図書館だった。

 夏休みが始まって、子どもたちが大勢いる。自由研究については川崎の分室が適しているためか、ここにいるのは読書が好きでたまらない、といった者が多いように見えた。

 子どもの合間を縫うように歩き、近代史コーナーの一角を陣取る。庁舎と同じコンクリートだが、二年前にオープンしたここは広々として快適だった。光が取り込まれて、頑丈そうなのに息苦しくはない。

 優しいベージュのテーブルセットは落ち着く様相をしていた。広々と明るく、陽光が柔らかい。足元の絨毯にはまだ染み一つなく、新しさが心地よかった。

 さて、江戸時代と言っても二百年以上ある。東海道は幕府が設定した諸駅であり、神奈川宿は日本橋を出て三番目に位置する。戦国期の宿駅が母体だったことを考えると歴史はあまりにも長い。

 しかしいくつか書庫から本を見繕ってみると記録がそう多くはなかった。どれも埃を被った古い書籍だ。

神奈川宿が目立ち始めたのは日米修好通商条約により神奈川が開港してからだった。

 寺社が一角に集められた区域には精進落としのために女郎屋が建つ。さらには宿場街でもあり、開港以後は寺社が領事館代わりにされた。開国後は異国情緒あふれる町だったようだ。

 住宅が立ち並ぶ現在とは違って、にぎやかだったことだろう。きっと旅籠がいくつも立ち並んでいた。日本橋から来る者、向かう者、商人の呼び声、賭け馬の足音と活気あふれる町だったのだろう。

 そういえば浦島寺にも領事館跡の石碑が立っていた、と太陽はひとり納得した。今は静かな場所の過去を想像して、目的をほんの少し忘れてしまう。

 平日昼間の図書館は人が少ない。本をめくったり、勉強したりする音が淡々と響く。

 ここでは怪異も物静からしい。いることにはいるが、スモッグのような見た目のものが本棚の周りをうろうろ周回しているくらいだ。

 光が明るいせいで、どこか絵本みたいな光景に見えた。

 図書館の柔らかな空気にふと笑いをもらして、太陽はさらに紙をめくる。

 風俗史や日記には生活が宿る。

 本を睨んで一時間ほど経った頃、目についたのは神奈川宿に起こった悲劇の記事だった。


 慶応三年、神奈川宿の大火。西ノ町瀧本屋から出火し、現在の京急生麦駅から浦島が丘中学校までの三キロ近くが燃えている。

 この時、太鼓の音が響いており、祭りでもないのにと町民が奇妙がっていたという。

出火元である瀧本屋の客のひとりが、逃げ込んだ寺社で焼死したと記録が残されている。火は彼を追うようにして神奈川宿を焼いたというのだ。

 寺の名前は翠清寺。かつて浦島観世音像が置かれていた、浦島寺の前身である。

「翠清寺が燃えて、浦島観世音像が現在の白剛寺に移された?」

 また浦島寺だ。ここまでくると、浦島寺そのものに起因する死が続いているようにも見えてしまう。

 しかし今回の事件は溺死、過去は大火事だ。

「何か他にもあるのでは」と漁ってみるも、何も見つからない。めぼしい資料は空襲で焼けてしまったらしい。

 そうすると、怪死事件に関係がありそうな情報は『太鼓の音がした』『浦島寺付近で人が死んだ』あたりだろう。

 でんでんはここから生まれた伝説だろうか。それとももっと前か。浦島寺に何かゆかりがあるのだろうか。いくつかの疑問が太陽の中に渦巻いていた。

 記録をまとめていると、涼太郎からのメッセージが届いた。『何かわかったことはあるか』『琳子は何か話したか』と端的な内容だ。

『恋人と会っていたようです』とだけ送る。涼太郎からの返信はない。

 試しに『行信のアリバイを教えてもらえますか』と尋ねると、これにはすぐ返信があった。

『行信は事件の夜、臨終勤行に出ていたらしい。ブブは犯行現場近くにいたはず』という。

『警察では行信が事前にブブに殺害を命じていたのではと疑っています』

『ブブにそんな能力があるのですか?』

『指示を明確にすれば、あるいはというとことかと』

 それはさすがに無理があるんじゃないか、と太陽は頭を抱えた。命じて殺させたにしては事件発覚までの計画性が無さすぎるし、ブブの対人能力も問われていない。

 これは琳子にも当てはまることだった。通常の事件なら、近所を歩いていただけで容疑者とはならないはずだ。

 浦島寺の怪死事件が〝怪異〟によるものとしか説明できない。だから―

「不可解な事件の原因を見繕って、折り合いをつけようとしているって感じかな」

 道理で徹底して箝口令が敷かれているのだ。

 そう独り言ちて、太陽は頬杖をついた。

 こっくりさんウイルスの感染が落ち着いたといえど、ウイルスが消えたわけじゃない。社会は自然や物と同じように怪異を所有する仕組みを使って、混乱を治めようとしている。

 そして今はその過渡期だ。怪異が起こした事件の処理なんて、まったく前例がないのだろう。

 あるいは以前もあったけれど、こうして適当に怪異を特定して無難に収めたのかもしれない―怪異の自由を奪う形で。

 怪異は消滅させられることが確認できている。歴史あるお祓いなんかの儀式がそうだ。

 琳子はどうなるか。そして、恐らく無害なブブも、容疑者とされた場合の行く末は想像に難くなかった。

 怪異は現行法上、確かに〝所有物〟だ。しかし人間の勝手な憶測や恐怖で貶めて、排除していいのか、と言う疑念が太陽のなかにふつふつと湧いていた。

 それに、琳子は太陽の妹なのだ。

「……そんなことさせるか」

 閉館のチャイムが響いて、太陽はノートを乱暴に鞄へと閉まった。

 まだ整理できていない情報がいくつもある。でんでんについても、何か調べるべきことがあるかもしれない。次はいつ来れるだろうかと脳内でスケジュールを整理しながら太陽は席を立った。

 夏の陽光に埃がきらきらと照らされている。無邪気な怪異が、本棚の周りで相変わらずぐるぐると回っていた。

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