3-2 お前の欲しいものは何だ

「古伝に曰く、〈国津神クニツカミ〉である阿曇磯良アズミノイソラは、〈天津神アマツカミ〉の外征に際して〈潮盈珠しおみつたま〉〈潮乾珠しおひるたま〉を自ら献じたとされる。しかし、ワシら一族の伝承は違う。海神であるイソラ様は、潮の干満を操る二つの宝珠を奪われ、海底深くにんや。〈天津神〉によってな。今、志賀海神社しかうみじんじゃに祀られておるんは、綿津見三神わたつみさんしんやがのう。元々、志賀しかの海に座す神はイソラ様やった。〈国津神〉とは服従せまつろわぬ民、〈天津神〉とは征服者のことよ。歴史は常に勝者によって書かれる。正史編纂へんさんの折、過去にさかのぼって書き換えられたんや」


 メイガス・ゲームの参加者プレイヤー沖浦夷三郎オキウライサブロウは早口でそう捲し立てた。

 〈潮盈珠〉〈潮乾珠〉の伝説といえば、海幸彦と山幸彦の昔話を思い出すが、他にもそんないわれがあるのか。だが、沖浦の語る一族の伝承とやらは、巷間に流布する伝説とは大きく異なっているように思う。

 にも関わらず彼らは、自分たちの伝承こそが真実であると、心の底から確信してる。沖浦の目に宿る強固な意思の光が、そう物語っていた。突如として神だの征服者だのとをいわれても、にわかには理解できぬ話であるのだが――その瞳の奥に狂気の片鱗を垣間見た気がした。


「この国に統一王権が誕生して以来、ワシら一族の宿願は祖神たるイソラ様の復活よ」

「それがあんたの〝渇望〟なのか――?」

「自分のちっぽけな欲望と比べて、あまりにも誇大妄想すぎると思ったやろ?」


「ぐ――」俺は図星を指されて答えにきゅうした。

 

「あんさんに大層な借金があるのは知ってまっせ。大変やなァ、今の若モンは。大学卒業と同時に350万もの負債を背負わされるんやろ?」

「うるさいよ、奨学金だよ――あんたこそ、一族の悲願か何かしらないが、そんな大昔の与太話を本気で信じているのかよ」

「与太話やて? あんさんかて、その目で実物を見れば信じる他ないんちゃいますの――もう実際にうているやないですか。あの者たちを、魔術なんちゅう奇天烈キテレツな力で追い払ったんは、他ならんあんさんですやろ」


 そうだった――あの川霧と共に水中から現われた、魚人としか形容できない連中に襲われたのは間違いない。となれば、この連中が崇めるのはかつて神と呼ばれた存在であり、一族がまつろわぬものたちの末裔ということも、認めざるをえない――のか。この連中は神と人がより近しい存在だった古代さながらに生きているのだ。

 あのスマホを手にした時から、俺は奇妙な世界に迷いこんでしまったのかもしれない。


「現実を否定したかて状況はかわりまへん。それはあんさんが背負った借金と同じことや――違いまっか」


 沖浦はねっとりとした視線で、無言のままの俺を見回した。そして回答がないのを肯定の印と思ったらしい。声音を和らげて続けた。


「ワシかて苦学しとる若モンを責めたいわけやない。むしろ、エエ話があるんですわ――あんさんの借金、全額チャラにしてあげましょうていうたら――どないします?」

「全額チャラ――?」

「350万ポッキリなんてセコい話やありまへん。せやな、色つけて500万、将来有望な若人に進呈しようやおまへんか。貸すんと違いまっせ。差し上げる、ゆうてますのや」

「その代わりにゲームから降りて、魔道書を寄こせっていうつもりか――」

「さっすが学生さん、話が早い。その通りですわ」


 沖浦は特に悪びれる風でもなく、ぬけぬけとそういった。


「メフィストはメイガス・ゲームの勝者となれば、あらゆる望みが叶う。100億円を手にすることも可能だといっていたぞ」

「その為に死ぬかもしれないリスクを負うつもりでっか。正味な話、あんさん勝てると思うてはるんですか。自分以外に9人もの魔術師を蹴散らして? 決闘デュエルで負けても死なずに、ちょっと怪我する程度で済むかもしれないと?」

「それは――」

「『もしかしたら』、『運が良ければ』、『勝てるかもしれない』なんて、甘い目算で命を懸けるおつもりでっか、ええ?」


 俺は再び黙りこくった。目の前の厭味ったらしいおっさんのいう通りだったからだ。


「何も今すぐ決断しろとはいいまへん。一晩ゆっくり考えたらエエ。その上で、あんさんのお答えを聞こうやおまへんか。せやなぁ、明日の15時、場所は例の川が交差する公園でどうでっしゃろ」


 「ええ返事を期待してまっせ」といい残し、沖浦は去った。沖浦が部屋から出ていった後もしばらくの間、俺は玄関の扉を睨み続けていた。

 まったく。糞ムカつくことばかり、それも本当のことばかり、いわれ放題じゃないか。


     *


 沖浦が去った後、俺は机の引き出しの奥底から、メイガス・フォンを取り出した。そういえば入手以来、一度も充電をしていない。充電器らしき物さえなかった。

 いったいどういう仕組みになっているのだろう。不思議には思うが、俺に確かめる手段はない――いや、待てよ。メフィストに直接聞いてみる、という手もあるのか。


「ヘイ、メフィスト!」

「――――」

「ヘイ、メフィストフェレス?」

「――――」

「ヘイ、シる――」

「私、そういうジョークは好きではありません。起動に際して命令語コマンド・ワードなど必要としませんので」


 そうだった。こいつはプライドの高いAIなのだった。自称、史上初の汎用人工知能エー・ジー・アイは類似するAIと比較されるのを異様に嫌うのである。音声に怒気が含まれているようですらある。


「まァ、そう怒るなよ。単なる冗談だよ。つうかAIにも感情があるのな」

「いえ、私に感情はありません。人工知能ですので。ただ、私の元型アーキタイプとなった疑似人格は高度な知性を有しておりまして、人類の愚かで無意味な振る舞いに苛立ちを覚える傾向があるようだ――と、自己分析しております」

「――あそう、冗談を冗談と理解はできるが、冗談それ自体は好きではないのね。お前ってば、なかなかに面倒臭い性格しとるね」

「それは私の責任ではありません」


 まぁ、それはその通りだ。


「あのおっさんの話は聞こえていたか?」

「はい、敵性魔術師、沖浦夷三郎の申し出は、私にも聞こえておりました。なお検索の結果、沖浦水産株式会社の実在を確認。経営状態、資産状況等チェック済みです。沖浦の個人収入から提示額を支払うことは、容易であると推測されます」

「もうそこまで調べていたのか、流石だね」

「恐れ入ります」


 メフィストはどこか得意気なニュアンスをこめて返答した。感情がないといいつつ、相対する人間の反応に合わせているのだろう。知的な瞬発力というか、人間でいうところの地頭じあたまが良いのだろう。


「お前に、『俺はどうすべきか?』と尋ねても、無駄なんだろうね」

「私からは『リスクとリターンを勘案の上、ご判断下さい』としか、申し上げられません。このゲームに勝利できるか、その保証はいたしかねます。唯一確かなのは――あなたには本機を起動できる資質があった――それだだけです」

「なるほど。たしか――〝力への意思〟だったか」

「左様でございます」

「そうはいわれても、俺には欲望ってものがよくわからないんだよな」


 メイガス・フォンをいじくりまわしながらそう独白する。死ぬのは怖いし、痛い思いをするのも嫌だけれど、それは望みや願いとは違う気もするし。

 〝渇望〟というくらいなのだから、死んでも手に入れたいとか、喉から手が出るほど欲しいとか、そういう強い欲求が原動力なんじゃないのか。

 魔道書の呪文リストを隅々まで眺めながら、これを手放すのは確かに惜しいよな、とは思ったが――俺は、自分自身の本心がわからなくて、途方に暮れた。

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