Book 3:ルルイエ異本

3-1 沖浦夷三郎は手懐ける

 上村の死後、俺は自宅に引き籠った。

 そう、上村悠多かみむらゆうたは惨たらしく死んだ。

 千倉茜音ちくらあかね発動キャストした死の呪文によって、内側からその身を焼かれ、骨の一欠片ひとかけらも残らなかった。


「仕方ないじゃない――こうする他なかった――」


 そして術者の死によって、蘇生に失敗してゾンビとなった梶畑かじはたも燃え尽きた。


「ゾンビを排除するには、蘇生者の息の根を止めるしかなかった――」


 脳裏に怒気をはらんだ千倉の叫びがこだました。

 何度も何度も何度も。

 実際、千倉は怒っていたのだと思う。本来これは俺自身がカタをつけるべき問題であったのだから。厄介事に巻き込まれたのはあの女の方なのだ。

 脅威が消え去ったことを確認した千倉は、その場に運悪く居合わせた一般人たちに、魔術を使って隠蔽工作を施した。〈記憶混濁クラウド・メモリー〉という呪文によって、ファミレスで起こった惨劇を記憶から消し去ったのだ。

 どんな理屈なのか知らないが、この魔術はファミレス店内の防犯カメラにさえ効果を及ぼすらしく、俺たちの姿は記録データからも抹消されるらしい。


「記も記も似たようなものです。脳のシナプスに作用するのか、円盤プラッタ上の磁性体に作用するのか。物理的な影響を及ぼすという点においてはささやかな違いしかないのです」


 メフィストがその効果について得意気に解説していたから間違いないだろう。魔術というのは何て出鱈目でたらめな力、いや暴力を発揮するんだろう。これは「現実を改変する力」なんだと改めて思い知らされて、俺は背筋が寒くなった。

 何故こんなことになってしまったんだろう。

 ロクでもない奴だったし、上辺だけのつき合いだったかもしれないけれど、上村は本当に死ななければならなかったのだろうか。


「あなたを守る為だった――」


 千倉はそういったが、炎に包まれて悶え苦しむ上村悠多の敗北ゲーム・オーバーは、明日の俺の姿かもしれないのだ。

 とうに通報はされていただろうから、警察がやってくる前に俺たちが現場から逃げ去ることができたのは僥倖ぎょうこうといっていい。

 千倉に追い回され、上村との一件があり、精魂尽き果てた俺は、比喩ではなく足を引きずりながら自宅アパートへと辿り着いた。そしてメイガス・フォンを机の引き出しに放りこんで、ベッドに潜りこみ寝て過ごした。一日か、二日か、あるいはもっとか。

 何度かスマホに着信があったが、俺は全てシカトを決めこんだ。

 本当に何もやる気が起こらなかったんだ。


     *


 俺が安アパートの自室に籠城して、たぶん三日目の夜――玄関のチャイムがキンコンと小さく鳴った。

 他人に会いたくはないのでガン無視を決めこむが、30秒ほどするとまたキンコンと控えめに鳴った。無礼にならないように丁寧に。だが、はっきりと面会の意思を伝えるように。

 家族が突然やって来ることはないし、わざわざアパートまで訪ねてくる友人もいない。協力を約束した千倉ならば、電話以外にもメールという連絡手段もある。

 はて、誰だろう。

 もしかすると隣家に住むアパートの大家かもしれない。何かの手違いで、家賃の不払いでもあったら困る。そう不安になった俺は忍び足で玄関まで行って、のぞき窓ドアスコープからそっと外を眺めた。

 そこには、廊下の薄暗い灯りに照らされて、男がひとり立っていた。

 ドア越しに気配を察したのか、男はいきなり両手を上げた。そして「喧嘩ケンカに来たんやない。話し合いに来たんですわ」という。上着の胸ポケットからはチラリと深緑色ディープグリーンの金属外装が見えた。

 こいつ、もしかして魔術師か?

 千倉のように襲撃を仕掛けてきたのかと疑ったのだが、その笑みには不思議な愛嬌があった。

 三度みたびチャイムが鳴ることはなかった。

 俺は不安を覚えつつも、玄関のドアを開けてしまったのである。


     *


 男が差し出した名刺には、蒼紅あおあか二匹の魚が印象的なエンブレムとして刷られていた。沖浦水産株式会社、代表取締役社長、沖浦夷三郎オキウライサブロウとある。


「可愛いマークですやろ。蒼魚あおうお桜魚さくらうおいいましてね。ワシら一族の護り神みたいなモンですわ。今じゃ知多半島の師崎もろざき漁港で、小さな会社やらせてもろうてますけどね。ワシらの先祖ルーツは貧しい漁民ぎょみんや。ほれ、伊良湖いらご岬のちょいと先、伊勢湾に浮かんどりますやろ、海神島うながみじま。あの島出身ですわ」


 狭苦しい部屋の中、俺たちは小さな炬燵こたつに向かい合って座っていた。沖浦と名乗った男は齢30後半から40歳くらいで、水産加工会社の作業着を着ていた。浅黒く日焼けをし、エラの張ったいかつい顔立ちをしているが、威圧的ではない。


「――それにしても、えらい質素な〝塔〟ですなぁ。何も魔術的な防護をされてないのは、自信のあらわれですかな」


 沖浦は生活感の溢れる室内を見渡しながら、そう感想を述べた。〝塔〟が意味するところは、屋敷ロッジ神殿テンプルといった魔術師の拠点のことだろう。なるほど、魔術師が籠るのに塔は相応しい。


「沖浦さん。そんなイヤ味がいいたくて、わざわざいらしたんですか」

「これはこれは、えらいすんまへんなァ。つい軽口を叩いてもうた。せんにもいいました通り、喧嘩を売りに来たんやないんですわ」 

「じゃあ、何用ですか。さっさと本題に入って下さい」

「そうですなァ。まずはあんさんを見くびっていたのを謝りますわ。うちの手下どもがほうほうの体で逃げてきよった。魔術師メイガスたるこのワシが出張るまでないと、侮っていたんですな」


 そういって形ばかり頭を下げるが、特に悪びれるふうでもない。この土地に似つかわしくないしゃべりといい、おっさんという印象である。


「手下――?」

「ほれ。鷺田はんと千倉はん、お二人でイチャついてたところを襲われましたやろ。あの川の交差する公園や」


 あれはイチャついてたんじゃなくて、追いかけ回されていたんだが――まさか〈深きものどもディープ・ワンズ〉のことをいっているのか。あの異形どもが手下だって? 〈召喚〉と〈従属〉の魔術によって、〈使い魔〉にしていたというのだろうか。


「手下いいましてもね、魔術によって使役しよるんとは、また違いますのや」

「そりゃ、いったいどういう意味――」

「あれはワシらの血に連なる者たち。一族や」

「何だって!? あんな化物が、血族――?」

「酷い言われようやなぁ。ワシらはね、祖神〈阿曇磯良アズミノイソラ〉様の末裔ですねや」


 何をいってるんだ、このおっさん――正気か?


「一族の長たる者は、代々『夷三郎イサブロウ』の名を受け継いでましてな。ワシらは古い古い血統を守っとる。一族の護り神たる二匹の巨魚かて、イソラ様の眷属けんぞくですねん。ワシらを導いて下さる。そして先祖の血を濃く受け継ぐ者は、成長と共にその似姿にすがたを発現するんですわ――」


 「誉れなことなんでっせ、ワシらの一族の中ではね」と自慢げに沖浦はいう。


「まァ、その代わり世間とは一切の関係を絶つことになりますけどな」

「あんな異形の存在が、長年世間にまったく知られずにいたなんて――」

「そらもちろん、取引したんですわ。太古の昔から、その時々の権力者や為政者に、を献上することで、ワシら一族は命脈を保ってきたんや」


 人魚の肉――だと?

 あまりに話の展開が急すぎて理解が追いつかない。

 沖浦の顔からはいつの間にか、貼りついた笑みが消えていた。

 どうやら冗談でいっているわけではないらしい。

 予期しない来訪者の突然の告白に――俺は、視界がくらりと傾くような、軽い眩暈めまいを覚えた。

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