2-4 銀の短剣が宙を舞う

 きらめ短剣ナイフが窓ガラスを叩いた。短剣の先端が窓に触れた途端、ガラスは粉々になって砕け散った。文字どおりの粉砕である。あんなに小さな剣なのに、何という破壊力なんだ。

 粉々になったガラスはテーブルの上に降り注ぎ、俺たちの朝食を台無しにした。ウェイトレスは悲鳴を上げ、他の客たちも不測の事態に怯えている。


「気をつけて! その刃には強い魔力が宿っているわよ! ただの儀式短剣じゃないわ」


 〈魔法の眼鏡スペクタクルズ〉によって能力を解析しているだろう千倉が、そう警告を発した。俺たちはテーブル席から立ちあがって、互いの距離をとった。幸いにもガラス片による怪我はない。


「何しにきやがったんだ、上村。お前との勝負はついたはず――それにこんな目立つ真似しやがって」

「ばっばっバカ野郎ッ! 僕はまだ負けてない、その本は僕のものだ。お前なんかに負けるか、お前なんかにぃいいいいいッ!」

「こいつ〈無名祭祀書ネームレス・カルツ〉の所持者だった魔術師よね。なんでトドメを刺さなかったのよ!?」

「――私はそう推奨したのですが。やはり後顧の憂いは絶っておくべきでしたね」


 とうとう俺を無視して、こちらのメフィストが千倉と会話を始めた。こいつ、どんどん生意気になっていきやがる。

 上村はサバイバルゲームに使うようなゴーグルをしており、恐らくあれがスマートグラスなのだろう。魔力の痕跡を追ってやって来たに違いない。衣服は吐瀉物としゃぶつで汚れており、目の焦点も定かではなかった。酒による酩酊と、敗北への怒りと、力への執着で、狂気の淵に落ちている。「ついに一線を超えちまったな」と俺は思った。

 上村の背後には、つき従う巨大な影があったからだ――そう、あろうことか上村は、魔術の実験台にしたという梶畑かじはたを外界へと連れ出してしまった。今や動く屍体と成り果てた、可哀想そうな大男を。


     *


 梶畑は身なりこそ生前のままだったが、肌は土気色で、鼻や口からは緑の腐汁を垂れ流して異臭を放っていた。サングラスをかけた瞳の奥底は見えないが、意思などあろうはずもない。ゲームやホラー映画に登場する、生きるしかばねそのままの状態だった。

 上村は「その女を喰ってしまえ!」とゾンビ梶畑に命令を下し、自分は俺の方へと向かってきた。


「今度こそゲームから排除するのよ! 魔道書召喚サモン・グリモア、〈イオドの書ブック・オブ・イオド〉ッ!」

「オープン・セサミ、〈エイボンの書ブック・オブ・エイボン〉ッ!」


 千倉の呼びかけに答える代わりに、俺もメイガス・フォンを起動して魔道書を呼び出した。武装した相手に素手では立ち向かえない。

 千倉の足元に、黒猫から再び変貌した〈暗影の獣〉が姿を現した。擬態を解き、主人を守るようにゾンビ梶畑を威嚇している。あの〈猟犬〉が守っているのならば、しばらくは大丈夫そうだ。

 無事を確認した俺は魔道書のページを繰って、物理的な被害を逸らす魔術を発動キャストした。〈見えざる鎧〉の呪文である。

 上村は短剣を大きく振りかぶって、

「返せぇえええええッ!」と、怒声を上げて突進してくる。

 その距離、あと数歩といったところで――、

 目に見えて突進の勢いが削がれた。

 まるで強風に身体が押されるように。

 防御呪文は確かに効果を発揮し、不可視の障壁で阻んでいる。

 だが、憎しみの深さゆえか狂気のなせるわざか、短剣が徐々に俺の身体へと迫ってくる。

 メフィストがあくまでも冷静に警告を発した。


「いけませんね。短剣に蓄積された魔力を消費しつつ、こちらの魔術結界を貫いてきます。いったい、どれほどの生贄を捧げて作り上げたのでしょう」

「ならば、もうひとつッ!」


 俺は更に対抗呪文を発動した。

 魔術的な攻撃を跳ね返す〈見えざる楯〉である。

 その効果は違わず、上村の身体ごと短剣を弾き飛ばし、転倒した上村は凶器を取り落とした。しかし、上村はそれでも諦めることなく、俺に掴みかかってきた。


「おい、もうよせ上村」

巫山戯ふざけるなァ! それは僕の玩具オモチャなんだ、返せ、返せ、返せェえええッ!」


 半狂乱の上村は、俺に組みついてメイガス・フォンを無理やり奪おうと、猪突猛進を繰り変えす。まるで駄々をこねる子供のようだ。動きが単純だから突進をいなして奪われずにいるが、拘束しないとキリがない。


     *


 一方、ゾンビ梶畑と対峙する千倉の方は。

 得意の〈鬼火〉を召喚して牽制しつつ、〈暗影の獣〉に何事か命じたようである。〈獣〉は音もなく影に潜み、梶畑の背後に回った。主従で連携する様には手練れの余裕を感じる。

 ――と、俺が一瞬だけ千倉の方に気を取られていた時だ。上村のがむしゃらなタックルをまともに受けてしまったのだ。衝撃でメイガス・フォンを取り落としてしまう。スマホは堅い地面に転がった。

 すかさず拾いに走る上村を、何とか羽交い絞めにして押しとどめた。


「もう、止めておけ。これ以上ゲームを危険にさらせば、〈管理者〉から制裁が下るかもしれないぞ」

「うろさい知るかお前が悪いお前が悪いお前がおまえがオマエがァ」


 駄目だ、これでは。意思の疎通は到底できない。何とか隙を見て、気絶呪文を使おう――そう思った矢先。

 俺の視線の先には、左手に短剣を握りしめた千倉がいた。あれは上村が取り落としたものだ。刀身が血にまみれている。何があったんだ。

 女メフィストが「上書き完了。只今より、この魔道具の所有者は茜音様です。蓄積された魔力残量は――」と告げている。

 魔力の短剣を奪ったのか。

 千倉は銀の短剣を握りしめ、

「私の全力をお見舞いするわよ――」と、呪文の発動を実行した。

 すると、銀の短剣に蓄えられた魔力が、千倉の肉体を通じてメイガス・フォンへと電流のようにほとばしった。

 自己の魔力では足りない分を補ったのだろう――となれば、紡がれるのは超強力な呪文のはず。

 危険を感じた俺は、力いっぱい上村を突き飛ばした。流石の上村も、前方へと数歩よろめく。

 その直後だ。千倉が発動した呪文が、上村の肉体を青紫色の炎で包んだのは。


「〈蒼き炎の死デス・バイ・ブルーフレイムス〉」


 千倉は囁くように呪文名を口にした。

 炎はブスブスと着衣や靴までも焦がしているが、不思議と周囲には燃え広がる気配がない。恐ろしいことに、上村の肉体そのものが内部から燃えているのだ。辺りに肉の焼け焦げる臭気がたちこめ、俺は吐き気を覚えた。


「ぐッぎゃああああああああああぁッ――」


 上村の絶叫がこだまする。人とは思えない、獣の吠え声のような、断末魔の叫びだった。開けた口内までも焼けついて、そのうち言葉を発することもできなくなった。地面に倒れこんだ上村は、体をふたつに折り曲げるようにして痙攣している。

 そして〈暗影の獣〉によって、上下に両断されたゾンビ梶畑もまた、蒼い炎に包まれていた。


 「魔力回路が形成されていたのでしょうね。蘇生と呼ぶには、あまりにお粗末な代物でしたが――」

 男メフィストが分析しているが、俺の耳にはほとんど届いていなかった。あまりの惨状に衝撃を受けすっかり混乱しパニクっていたんだと思う。

 そんな呆けた俺に、千倉が大声でカツを入れた。


「だって仕方ないじゃない! あなたを守るには、こうする他なかった。ゾンビ化した大男を排除するには、蘇生者カミムラの息の根を止めるしかなかったのよ!」

「だからって、お前――こんな惨たらしく――」

「あなたは私の介添人コンパニオンなんでしょ! そう契約したわよね!? だったらあなたも、いい加減に覚悟を決めなさいよ。お前だって、魔術師なんだろッ!」


 俺はその言葉に、頬を平手でぶたれたような衝撃を受けた。

 俺は引き返すことができる地点を――もう、とっくに通りすぎていたのかもしれない。 

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