第52話 赤いソープラ

 木曜日の放課後、瞳は一年二組の教室でアンケート用紙を一人で集計していた。


 アンケートは織姫高校の生徒会であるホンドーが行ったものである。本来ならば、集計を行うのは荒環史高校の生徒会であるがホンドー側は反生徒会組織の荒部連に要請してきた。


 ミカも瞳と共に集計作業を行う予定であった。だが、課題の小論文を今日中に提出しなくてはならなかった。終わり次第、ミカは図書室から教室に来る予定だ。


 瞳に集計作業を命じたあおは、部室棟の部室を別件で使用しているらしい。そのため放課後の教室を使っていた。


「ひとみん、何しているの」


 ミナミが瞳に声を掛けて、前列の席に座った。


「集計作業よ」


「へぇ」


 ミナミは机に広げられたアンケート用紙を一枚手に取る。


「フィールド競技の感想ね……気持ちを押し殺して参加した。酷い感想だね」


 瞳はパソコンを打ちながら苦笑いで返した。


「そんな感想は沢山あるわよ」


 瞳は机の端にまとめてあった紙の一枚を引っ張ってミナミに見せる。


「ここにいると自分までダメになるとかね」


「何があったんだろう」


「普通こんなこと書かれないでしょ。”競技に出るのはやめとけよ”とか”競技から解放される喜びがあった”とか」


 あり得ないことが当たり前のように書かれているアンケートにミナミは絶句であった。瞳が無表情で作業を続ける理由は徐々に理解した。


「瞳」


 教室の外から呼び声が聞こえる。瞳は廊下側を向いた。後ろ側のドアからひょこっと顔を出していたのは稔である。


「どうしたの」


「あおさんから手伝ってあげてって」


「入りな」


 稔が教室に入って来る。近づいて来る稔を見て、ミナミは「じゃあね」と口にして教室から出ていった。


 教室から出ていくミナミの背中を目で追う稔。稔はミナミが座っていた席に腰を下ろした。


「今、進んだのが三割くらいかしら。打ち込んだものはここにあるわ。そっちに置いて」


 瞳は稔に用紙を渡した。稔は近くの机の天板に渡された用紙を置いた。






 蔵書数が少ないあまり、ここは図書館なのか疑いたくなる。生徒の利用率が著しく低いのは蔵書数以外にもあるだろう。


 自習に使用できるテーブルの数も多くない。だから生徒の大半はここを使用せず、他の場所を探すだろう。わざわざ図書館を利用する意味はない。


 そんな中でミカは一人原稿用紙にすらすらと書いている。時間内にまとまらなかった考えをまとめて文字に起こした。


 書き終えたミカは原稿用紙を立てて消しゴムを掃った。書いた文字を確認するため軽く目を通す。誤字脱字は今の所なさそうだ。


 ミカが座るテーブルの前を男子生徒が通る。スマホを凝視する目と指の動きから、誰かとメッセージアプリを使ったやり取りをしている。


 ゆらゆらと左右に揺れて真っすぐ進まない歩き方。本棚にぶつかりそうでぶつからない。ギリギリで回避しながら出口へと向かっていた。


(なんだあれ)


 ミカは男子生徒の姿が見えなくなったタイミングで立ち上がった。図書室を出ると直接事務室に向かい、室内にある提出箱に原稿用紙を入れた。


 ミカは事務室から一度校舎を出て、一年生の教室にベランダから入ろうとしていた。


 校舎の外を回っていると、体育館裏で何やら怪しい動きをしている人影が見えた。また、何かが起こりそうだ。ミカは視線を逸らして歩いていった。


 校舎南側の校庭では、野球部がグラウンドを走っている。先頭が掛け声をかけ、後ろに続く部員が声を合わせる。


 放課後では見慣れた光景であった。毎日続けて行っている。決めたことを守れているのは、やはり目標があるからか。


「島内」


 呼ばれるが、一瞬誰だかわからない。よく見れば相手は同じクラスの生徒だ。


「星野」


 星野ほしの録雄ろくお――同じクラスにいる丸刈りの男子生徒だ。野球部に所属している。その証明として白い練習着を着用していた。全体の練習はまだなのだろう。ミカがこれまで接したことは少ない。


「ちょっといい」


「うん、いいけど」


 ミカは星野の後ろをついて行く。その間に事の顛末を説明された。


「島内は何でも解決してくれるって足立から訊いたからさ……」


 説明の雑さが仇となった。過度な期待をされては困る。けれど、ここで断ることもしたくなかった。 


「先輩が最近車買ったらしいけど……」


 そう言って星野はミカを校舎の北側に連れて行った。北側には駐車場がある。主に教職員が使う為である。


 そんな所に停めているのか。荒環史高校は在学中の運転免許取得は禁止されていた。あまり深く考えていないのであろう。


「あれ。赤いソープラ」


 星野が指した先に赤いスポーツカーが停車してあった。九十年代に販売されていた車両が駐車場の角に鎮座している。


「あれね。それで」


「中古で買ったらしいよ。三万円」


「三万」


 相場は分からなくとも安すぎることはミカでも分かる。驚くあまり、声が大きくなった。


「安い理由は、過去の所有者が六人全員死んだからだって」


「ふーん」


 そんなことだろうと思った通りの理由が返ってくる。ミカは手で口元を隠しながら欠伸をした。


「それで」


 もしかして、買った車両は呪われているのではないか。野球部内ではその噂が絶えないらしい。星野はかつての所有者の死亡原因は何か調べて欲しいとでも言いそうであった。ミカの眉間にシワが寄り始める。


「この車の所有者が皆死ん……」


「ヤダ」


 星野が言い切る前にミカは断る。えーっと言いたげな顔でミカを見つめる。感じる視線からミカは背けて答える。


「多分、所有者の不注意でしょ。事故っていうのはヒューマンエラーによるものが殆ど。私達の範疇を超えるよ」


 ミカの見解は気に食わないか。星野は納得した表情ではなさそうだ。


「ロクオ」


 名前を呼んで、星野に近づく生徒が二名。同じ白い練習着を着ている。胸元に手書きで苗字が書かれている。


 二人はミカに気付いて「うっす」と口にして、被っていた帽子を取った。挨拶なのだろう。ミカは「どうも」と返す。


「あれが例の」


「そう」


「大丈夫なん」


 有馬――後から来た二人の片割れが心外なことを口にする。小声で言っているつもりだろうがミカにはしっかり聞こえている。


「マッス、あんまり言わない方がいいよ」


 有馬に対して隣にいる仲沢が制止する。星野も頷いた。有馬は先程の発言を顧みた。


「すまん」


 三人の会話が途切れたタイミングでミカが口を開いた。


「バンパーや車体にそれらしき傷はない。板金とかでどうにかなるし、普通は売る前に修復する。事故を起こした状態がわからないようになっているから。こういうのはまず、何故死亡に至ったのか事故の原因を確認することを勧めるよ。三万という安さから、適正な商品で無い可能性は十分に考えられる」


「売った相手に問題があるってこと?」


「事故車を修復して売ってを繰り返して辿り着いた。どこをどうとか言わないほうがいい」


 ミカの言い分は憶測でものを言わないほうがいい。だが、星野らにその意味が伝わったかどうかは怪しい。


 ミカの見解を三人がどう捉えるのかは個人の勝手なのである。ミカ自身もこれ以上深入りするつもりもない。関わらないに越したことはないのだから。


「わかった。ありがとう島内」


 ミカは手を振って、その場を後にした。


 客観的に考えれば、誰だってわかることであろう。難しく考えている理由はこれを怪談にする意思が生まれているから。


 そうした方が面白い。人間の心理であろう。安かったから買った。安い理由に疑問を持てば回避できることである。


 短絡的。ミカの評価はそれに尽きなかった。

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