第51話 明日から、また

 黄輪祭は終了した。終了後の二日目は振替休日となっていた。


 五月十九日月曜日。瞳は白妻駅から歩ける範囲にあるマンションに向かっていた。


 駅から離れた住宅街にそびえ立つマンション。見上げると縦長の長方形が天に迫る勢いである。黒い外装はシルエットを隠すベールとなっていた。


 五月なのに、気温は二十七度。左右を人工芝に挟まれた入り口。表面が磨かれた白いタイルは日差しを反射する。瞳はマンションの入り口にまっすぐ進んだ。


 ミカが住む部屋番号をインターホンに入れた。スピーカーからミカの声が聞こえる。エントランスのドアは開いた。


 エレベーターに乗っている間に、瞳は思っていた。これまでミカ以外の声を訊いたことが無かった。


 白い照明に照らされた箱の中で瞳は過去を思い返す。そもそもミカの家族に会ったことがない。


 瞳は部屋の前に辿り着く。各戸はマンションの中心に玄関があり、間取りはそこから放射状に伸びる形になっていると考えられる。共有スペースは光が上からしか入らない。それ以外は照明だけだろう。


 瞳はインターホンを押した。応答した声はやはりミカである。「待って」と口にしてから間もなく鍵は開いた。ドアからミカが顔を出す。


「どうぞ」


「お邪魔します」


 ミカに呼ばれて瞳はやってきた。鎮まった廊下を足音立てずに歩いていく。


「リビングで待ってて」


 リビングに繋がる扉をミカが開けた。瞳を中に通すとミカは扉を閉めた。


 殺風景なリビング。本当に暮らしているのか疑問を持つほど、部屋に装飾が無い。キッチンから見える位置にテーブルと四脚の椅子が置かれている。


 キッチンから壁で死角となった位置に、ソファとテレビがテーブルと平行になるよう設置されていた。その空間にそれ以外の装飾は一切無い。


(思えば不思議ね)


 瞳の疑問は少しずつ膨らんでいく。今までは気にならなかったことが気になり始める。好奇心が揺さぶられる。だが、それは触れて良いラインに抵触するだろう。


 ミカは自身のプライベートを話すことはない。自分語りを嫌う性分であった。俗に云う秘密主義者である。


 瞳は椅子に座る。肩から掛けていたカバンを隣の椅子の座面に置いた。


 高層階から見える町の眺め。何回か来たことはある。雲は何処へ向かうと決まったわけでもなく流れていく。流れ着く先は何が待っているか。


 ミカが自分の部屋から戻ってきた。服装が変わっている。過去に瞳があげた服を着ていた。


 ミカは廊下とリビングを隔てる扉を閉めると、キッチンに立った。


「お昼食べた」


「まだ十一時よ」


「そうか」


 寝ぼけたような話し方。日付感覚が曖昧なミカを補正した。起きてからまだ一時間経っていないだろう。


「ちょっと食べる」


 ミカは収納から深底鍋を取り出した。麺類を茹でるようだ。蛇口から直接水を入れて火をかける。


「パスタ食う?」


 しゃがんでいるミカが問いかける。瞳はミカのペースに巻き込まれていく。


「頂くわ」


 ミカは乾麺の袋を手にして立ち上がる。袋を破くと適当に麺を出した。量はあからさまに量っていない。目視では五〇〇グラム程度と考えられる。


「ちょっと多くない?」


「朝兼昼だから」


「それでも多いわよ」


 瞳に指摘されるとミカは渋々乾麺を袋に戻した。それでも四四〇グラムは少なくともある。


 お湯が沸くと塩を入れた。塩を入れるとミカは、近くにあった木べらで鍋の中をかき混ぜ始めた。


 大雑把さが現れる。ミカは右肩を左手で押さえながら、右手に持った木べらでかき混ぜている。


 まだ残っているのだろう。減らず口は飛ばせる姿で相手に不安を見せない。ミカは誰にでもクローズ状態。孤独の一面が窺えた。


 出来上がったパスタは、殆どの人が予想したものと違うものとなっていた。意図してこうなったのである。そのパスタを見て、瞳は何処から指摘するべきか迷った。


「これは」


「パスタ」


 麺はパスタの麺を茹でていた。しかし、色は粉のソースで茶色に染まっている。具にはキャベツやニンジンといった焼きそばに使われる野菜が混ざっている。


「焼きそ……」


「パスタ」


 ミカは食い気味に否定する。


「焼き……」


「パスタ」


「焼きパ……」


「スタ」


 絶対に食い下がろうとしない意思が強い。リビングの攻防において、ミカは引く意思すら見せない。


「そうね。麺はパスタね」


 瞳は仕方なく食い下がった。


 違和感は見た目だけと思っていた。味も首をかしげる点がある。いつも自分はミカに同じものを出しているのだろうか。瞳は左手に持った箸で麺をつまんだ。


 二人はよくわからない物を平らげる。皿は瞳が洗った。ミカはテレビ台の下にあるレコーダーをいじっていた。今日ミカの家に来た理由は昼食を食べに来たわけではない。映画を見る目的があった。


「確か三作目よね」


「ああ」


「二作目までは映画館で見たけど、三作目は見てないのよね」


 瞳はソファの右側に座った。左側のひじ掛けに寄り掛かったミカはリモコンで再生した。


 日差しが入り込む明るい部屋の中。ホラーに必要な恐怖を感じさせる要素は半減されていく。


 見ているミカはうとうとしている。顔を覗き込まなくてもわかる。始まった時の姿勢から眠りに入っていた。


 瞳は映画の内容に見入っていた。徐々に横で寝ているミカは気に留めなくなる。


 主演の俳優の演技は三流以下。随所に粗さが見える。父親役の芸人の方がストーリーに合った演技を行っていた。事務所が強引にねじ込んだのだろう。瞳の評価は辛辣に変わっていく。


 ストーリーが中盤になる。登場人物は誰も死なないで終わる予感がしていた。面白味に欠けるシーンが連続する。驚く要素も少ない。表現力は前回より落ちていた。瞳にとっては退屈な連続に変わっていく。隣で眠っているミカの体勢も変化していった。


「邪魔よ」


 ひじ掛けに寄り掛かっていたミカは右側にいる瞳の太ももを枕にして眠り続ける。痛めた肩に気を使ってか、仰向けになっている。


 頭は重い。ミカは眠り続ける。膝枕を要求する者は自身の頭の重さなど考えていない。事実、瞳が注意してもミカは自分の頭を瞳の太ももに乗せ続ける。


(仕方ない)


 諦めていた。瞳は猿芝居と化した映画を見続けていた。


 トリックは見破れる。ミカは眠り続ける。かれこれ百分程度。太陽は南から西へ動き続ける。


 映画はクライマックスに近づく。予想の通り、どちらかが死亡する終わり方ではない。登場人物が次々と減っていくホラーの定番とは異なった展開である。そして、エンドロールを迎えた。ストーリーには終わりがある。だが、現実には終わりがない。


(人は全て孤独である。前にミカが言っていたわね)


 映画は終わった。ミカが起き上がる。空間は殺風景を貫いている。ミカの孤独と孤高はここにあるのかもしれない。


「明日から、またか」


「ええ、またよ」


 瞳は訊かれた質問に答えた。

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