第53話 ブルーモーメント

 時期は芒種に移り変わる。もうすぐ部活動が禁止になる季節。部室棟が立ち入り禁止になるため、反生徒会組織の荒部連も活動停止であった。


 昼休み、一年二組の教室にももと稔が来ていた。教室の中央で一つの机を囲んでパンをかじっていた。


「今日、ミカの家行っていい」

 

 均衡を破る如く、ももが口を開いた。


「いいよ」


 考える間もなく、一つ返事でミカは返す。


「大丈夫なの?」


「うん」


 稔が考えるハードルはそこにない。ミカの二つ返事の意味がわかったのはその後だった。


 放課後、最寄り駅である白妻駅に三人はいた。学校から地下鉄で移動して数分。駅からはミカの家は十分以上の距離を歩いた。


「昔は長く感じたけど、高校生になるとそうでもないね」


「そうだな」


 ミカはいつも歩いているせいか、感じなかった。久々に歩けば変わって感じるのだろう。


 ももとミカが歩く後ろをついていく稔。二人の背中から仲の良さを伺っていた。かつてと呼ばれる小学校時代。その懐かしさの世界には入れないと稔は感じていた。


 そんな昔の話をしているうちに、黒い巨塔が目の前に姿を見せる。ミカはエントランスに入るとオートロックを解除した。ガラスのドアが開く。


 ももは足を進める。稔は後をついていく。二人が入ったのを見て、ミカもドアの内側に入った。


 ミカの家に入り、二人はリビングに通された。


 無機質な空間。それが、稔が浮かんだ感想であった。


「変わらないね」


 もものコメントは悪気もない。そのままの意味であった。


「変わることもなければ」


 自虐のような言い分に聞こえるが、事実をそのまま口にしただけである。ミカも気にしていない。


 ももがミカの家に来た目的は三人で勉強会を開く目的であった。リビングのテーブルに道具を並べて始めた筈であった。


 稔の隣でひっくり返る音が聞こえる。芝生のような緑が映えるフィールドの上で白と黒の駒がひっくり変える。ももは盤上を見て、考え込んでいた。ミカが優勢の展開で角を取られずに追い込まれていた。


「なんで、オセロをやっているの」


 稔がペンを止めて指摘する。


「何となくね」


「何となく」


 二人はほぼ同じ回答をした。抜けた雰囲気が漂う中、稔は唯一本来の目的を達成していた。


 対局は盤面全てが埋まる前に、ももが駒を挟めなくなった状態で終了した。


「圧倒的差だ。ハンデあげたら」


「そうだな」


 ミカは盤面の四隅に白い駒を置いた。


「今日こそは勝つ」


 ももの自信がある言い方に稔は「今まで何回勝ったことあるの」と訊ねた。


 ももは「一度もない」と即答した。勝算はないと稔は踏んでいた。


 三戦三敗。結果はももの三連敗。この感じであれば今までもこうなのだろう。


「ミカ」


「ん」


「次は私が相手をしようか」


 ミカは盤面をテーブルの真ん中にずらした。全員から斜めの位置に盤面が置かれた。ももに渡された駒を稔は手にする。


 ミカが手のひらを見せる。先行を譲ってきた。それだけ自信があるのだろう。稔は動作と表情だけでそう読み取った。


 対局は稔が劣勢の状態であった。だが、逆転する可能性は十分に残された状態である。


 ももは端すら取れていない状態で敗戦していた。稔は端に駒を置く展開に持ち込めた。もしかして、ミカが強いのではなくももが弱すぎるのでないか。稔の脳裏には一つの結論が浮かんでいた。


「コーナーを制する者は大抵オセロが強い。大体みんな戦術は同じなんだよね」


 ミカが口を開いた。


「そうなんだ」


 ももが反応した。


「知らなかった?」


「うん」


 稔はそんな気がしていた。いままで誰にも指摘されなかったのであろう。


 結果はミカが勝利した。駒は全てひっくり返されず、数える程度残った。それほど強くないだろうという稔の予想を覆した。


 オセロをしまい、ももとミカも勉強を始めた。ももは問題を解いているが、ミカの手は止まっていた。


「お茶入れるね」


 ミカは立ち上がって、キッチンへ向かった。収納からやかんを取り出して水を入れる。火にかけている間もキッチンから離れようとしない。


 この違和感の答え。稔は人が住み、生活をしていると思えない程の単色な空間が結論であった。ミニマリストというには物が少なすぎる。この一室に暮らす人物はミカ以外に存在すると伺える。


 ミカから見える世界は虚構と現実のみなのであろう。


 ももはいつから知っているのか。知っていた上で彼女ミカの棘もやさしさの塊で包み込んでいた。


(気づくのが遅いか)


 稔は手を止めて、背もたれに寄り掛かった。


 時計が午後六時に近づく頃、ももと稔は片づけを始めていた。結果、ミカは殆ど問題集の答えを雑誌感覚で眺めているだけであった。たまに喋り、たまにスマホを見る。稔からミカは一緒にいて時間を潰しているだけの存在だった。


 稔はももとマンションの建物から出た。ももは空の様子を見て呟いた。


「ブルーモーメント」


 暗い青色が空全体に広がる。


「これもほんの僅か。いずれ見えなくなる」


 白いセダンがマンションへゆっくり向かってくる。その一瞬を忘れさせないかのごとく。ももの迎えであった。


 敷地の前に車は停止する。オレンジのハザードランプはチカチカ光る。


「乗っていく?」


「いや、大丈夫」


 ももは後部座席のドアを開いて乗り込む。点滅するランプは片側だけ光る。


 後部座席の窓が下がる。ももが顔を出した。


「じゃあね」


 暗闇に埋もれていくセダン。稔は見えなくなるまで手を振ると、白妻駅に向かって歩き出した。

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